マンガのようにカッコいい❗️
こんにちは。
「究極の塾経営突破術」
「究塾」の石原です。
感動を受けたセミナーからチラシのことへ少し脇道にそれました。
その躍進の理由をぜひ知りたいと思った塾の見学がセミナーから一年後に可能になりました。
つてを頼ってダメ元でお願いしたところ、快諾でした。
感動しました。(これには理由があったことが後でわかりましたが…)
セミナーに登壇された代表の方はお忙しいとのことで直接お話を聞くことはできませんでしたが、どこの馬の骨かわからない私への寛大な配慮にますます期待を強くしたものでした。
指定された土曜日、夕方の小学生から夜間の中3の授業までみっちりと見学させてもらいました。
衝撃は想像を軽く超えていました。
私の乏しい塾経験からはどう逆算しても到達しえない現実がそこにありました。
二次曲線のように在籍を伸ばし10年もたたない間に在籍一万人を超える塾の成功の現場がそこにはありました。
組織も若く、私より6歳年上のナンバー2の方が全体を統括していました。見学した教室の責任者は私と同じ年齢でした。
イヤー、漫画のようにカッコよかったです。
3年後に、この塾の京都進出に合流し全く同じシステムで教室運営を行いましたが、結果、大変苦戦しました。
成功は再現されませんでした。
その理由について様々な分析があると思いますが、最大の理由はお客様のニーズの段階の違いだと思います。進学塾ブームで組織的な塾が多く出現し、塾選びが大変難しい首都圏のマーケティングと、
まだ塾が組織的でなく、これから塾選びに突入する前夜のマーケティングとの違いだったと思います。
と…いまなら明確に分析できますがその時は全く理由がわかりませんでした。そして、苦しみ悩みました…
当時は、首都圏を中心に私立中学受験が過熱気味でした。
夜遅くドリンク剤を飲みながら電車で帰宅する小学生などがマスコミで批判的な取り上げられかたをしていました。
マスコミ的には塾といえば「進学塾」をさすようになり、見学した塾の夕方の授業も「四谷大塚」の正会員になるための小4の土曜特訓授業でした。
余談ですが、京都の京進は実は四谷大塚進学教室の「進学教室」をとり、「京都進学教室」がスタート時の名称でした。
のちに通称となった「京進」を正式名称としましたが、時代の背景があったのではないかと察します。
進学塾ブームを予見した名称を付け、教育を選択するという時代の風潮をとらえる。後に、成熟した学習塾に求められるニーズが多様化すると逆に「進学」ということばを外す。
実によくマーケティングを意識していたなと、今気が付きました。でも、本当のところは直観で決めたのでは…とも。
マーケティングというのは人間心理に基づく「真理」ですから不変のものです。真理に沿って行動できた塾が現在生き残っていると考えられますが、「なるほど」と感心する場合ばかりではありません。
当時だってそうだったでしょう。「構え、撃て、狙え!」でスピード感をもって、たくさんの失敗をしながら少数の成功を確実にものにした塾が集客に筋道をつけたのだと思います。
マーケティングの3Mといいます。
Market(マーケット)
Media(メディア)
Message(メッセージ)
のトライアングルが正しければ…ということです。
塾においてメディアはチラシでいいと思います。
いや、チラシがいいと思います。
残りは、どのマーケットにどんなメッセージを届けるかですね。
当時台頭してきた組織型塾の経営者は間違いなく直観でトライアンドエラーを繰り返し自塾の「マーケット」と「メッセージ」を決めていったのだと思います。そして、その約束事を学習サービスとして徹底して体現していく…
素晴らしい経営者魂です。賞賛します。
でも…密かに…
いまだにマーケティングを直観でやっている塾が圧倒的だとも…
大手を冷静に観察しているあなたの塾は違いますよね!
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