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"プロの独学者"としての石黒宗麿論

僕は石黒宗麿のことを何も知らなかった。

1955年にはじまった「重要無形文化財保持者制度」で、最初に指定を受けた日本初の"人間国宝"のひとりである。

しかし、陶芸の世界では伝説レベルの巨匠であっても、世の中全体でいえばそれほど知られていない。例えば、同時期に人間国宝として認められた陶芸家の富本憲吉や濱田庄司と比較してみても、twitterやinstagramで話題になることは少ない。

急にその風向きが変わったのは、2018年、京都精華大学が維持管理する八瀬陶窯での「木葉天目茶碗」の発見であり、それを祝う形となった京都精華大学のギャラリーフロールでの展示だった。



SNSを見てみれば、「これ気になってるやつ」「ツアーもあってとても面白そう」「陶片が触れます、生きた資料◎」などなど。こうして石黒宗麿がカジュアルに"再発見"され、その普遍的な価値は次の世代にも受け継がれていくことになった。もちろん、何も知らなかった僕自身も含めて。


50年ぶりのタイムカプセル

展示の目玉はもちろん、窯で焼かれたあと取り出されずに残されていた木葉天目茶碗である。

その吸い込まれるような美しさは、陶芸に明るくない僕にとっても何か感じるものがある。50年後にタイムカプセルとして日の目を浴びることになったのは、まさか意図的ではないだろうが、その粋な計らいを「何とも石黒先生らしい」と懐かしむ人もいた。



その上で、会場の構成として来場者に暗に放たれていたメッセージとは、幾種もの膨大な陶片を前に、石黒宗麿の生々しい葛藤と向き合うことにあったように思う。

人間国宝という多くの人にとっては遠い存在の手によって作られた、誰でも自由に近づくことができる開かれたそれらの陶片は、出来栄えに納得がゆかず自ら割ったものなのか、数十年の時に揺られて割れてしまったものなのかはわからない(実際に八瀬陶窯のすぐ側では治水工事が行われていた)。

それでもひとつだけ確かなことは、多種多彩、融通無礙、つねに故きに学び、斬新な手法で世間を驚かせてきた石黒宗麿の圧倒的な質を支えていたのは、気高い理想に近付かんとする圧倒的な思索と試作の量であった、ということ。

厳しい目をくぐり抜けて、いよいよ形を留めることができた完成品の澄み渡る美に、野暮な痕跡は残されていない。しかし陶片ひとつひとつに宿る葛藤の日々が、その魂の濃度が、私たちの魂にも響き入る。


"プロの勉強家"が目指したもの

彼の理想とは「器の中に宇宙が見える」とも評される「曜変天目」の再現だった、といわれる。現存する曜変天目茶碗は世界でわずか3点、すべてが日本の国宝指定という究極の器である。



25歳のときに「稲葉天目」を目にして心が震え、そこにあった「窯の偶然がなしたもの」という解説に思いがけず反発し、「これが人の手になるものであるなら自分も同じ物を作りたい」という、本人曰く"非常に傲慢な考え"によって、石黒にとっての陶芸の道は開かれたのだった。そしてそれは、厳しく険しい独学の道でもあった。

1996年にサントリー美術館で開催された『人間国宝 石黒宗麿 陶芸のエスプリ』の目録で、当時の福島県立美術館長・長谷部満彦氏はこう記している。

陶家の出でもなく、まったくの素人から作陶の道に入った宗麿はアマチュアの自由さを非常に大切にしていたように思われる。(...)因襲的な陶家の社会におもねることもなく、師もなく弟子もなく、一人自由に学んで陶技をしだいに多彩なものに広げていった。しかも自ら成しとげた成果に安住することを拒む貪欲さで、絶えず如何に表すべきかを自問しながら制作を続け、次々と独自の陶芸世界を築きあげていったのである。

きっと彼が座右に置いた根源的な問いは、彼が制作したものをいつも上回っていたのだろう。

プロフェッショナルを凌駕するほどのアマチュアであった石黒にとって、偶然を必然に、不可能を可能にする方法を教えてくれる師匠のような人はいなかった。ただひたすら、縄だけで木を断つほどの時間をかけて、身を投じるしかなかった。そんな石黒宗麿の凛とした背中は、いまなお葛藤中のすべての独学者を勇気づけてくれるだろう。それはもちろん、僕自身も含めて。


とはいえ、本当に"師"はいなかったのだろうか。

唯一の弟子である清水卯一氏は、「石黒先生は宗教について一度も口に出すことはなく、むしろ無神論者みたいでしたが、何か仏さんへの信仰があったような気がします」と語っている。そして、「20代のころに『佛山』という銘を使っていたのも、何か思うところがあったのではないでしょうか。先生自身、仏様のように心優しいお方でした」とも。

20代といえば、まさに初心の頃である。生涯"プロの独学者"であり続けた石黒宗麿にとっての師とは、作陶や書画を通して彼を導きつづけた存在とは、それほどスケールの大きな"何か"だったのかもしれない。


〈図版〉
・八瀬陶窯および木葉天目茶碗:京都精華大学のウェブサイトより(撮影:中島光行)
・藤田美術館蔵曜変天目茶碗:Wikipediaより

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎