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煩悩を研究すれば、"人生のテーマ"に気付けるかもしれない。

【19/10/31 追記】最新版「MOYAMOYA研究」の記事を公開しました!

"人生のテーマ"を見つけよう。

そう言われても、今更感があるかもしれない。

試しに"人生のテーマ"でググってみると、いろいろな見つけ方が説かれている。それだけ多くの人が探求している普遍的なことなのだろうし、だからこそ真っ当なものから怪しげなものまで、すでに語り尽くされているともいえる。

"人生の肩書き"は、"わたし"という足場を固めるものだった。一方の"人生のテーマ"は、そのわたしが向うべき場所を示してくれる北極星となる。人生の肩書きと人生のテーマが結ばれたとき、日々動き続ける自分を支えるブレない基軸ができるのだと思う。

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人生のテーマ、人生のキーワード

いきなり人生のテーマというと大げさかもしれないけれど、何故か避けては通れない"人生のキーワード"というものもあると思う。そして、歳を重ねるとともに、いつのまにか収束していたり、もっと根が深いものに発展したりする。


僕の10代のキーワードはこんな感じだった。

①上京 秋田にはなんにもない! とにかく出たい!
②ファッション 秋田で買える服がない! 自分で作りたい!
③パンクス こんな社会はクソ喰らえ!な気がするぜ!

①は、今となっては「秋田大好き!」ってなってるし、②は20代にデザイナーとして働いたことで折り合いが付いたし、③も今思うと社会への興味の裏返しだったのだろう。10代の人生の肩書きは、「エネルギーの出しどころがわからない、本当は真面目ななんちゃってパンクス」かな。


20代になると、こんな感じになった。

①ソーシャルクリエイティブ 必要なところにデザインが足りていない!
②ブログ "すごい人"だけが発信しているのはつまんない!
③エネルギー エネルギーの独占はよくない!

個人的に取り組んでいた①+②は、やがてgreenz.jpとして結実することになる。③は、取材や講演でデンマークやハワイや台湾を訪れたり、TEDxTokyo yzでスピーチしたり、いちばん動いていた時期だった。もちろん充実感もあったけれど、今思うと身の丈を超えていたし、どこか頭でっかちになっていたんだと思う。

20代の人生の肩書きは、「社会にいいこと×カッコいいことを追い求める、でも自分はリーダーにならないミーハー兼飛び道具」かな。


そして結婚と子育てを迎えた30代になると、ちょっと趣が代わってくる。パンクスとミーハーは結局変わらなそうだれど、"飛び道具"は脱ぎ捨ててより深みのある方へ。

①欲望 "ほしい未来"って欲だけど、肯定していいのだろうか...
②夫婦 夫婦って何なんだろう...
③言葉遊び×教育 子どもにどんな教育を?

①は、かっこいい方でいうと、greenz.jpで「ほしい未来」を掲げたとき、欲望を"大欲"として肯定する空海の言葉がじわじわ効いてくることになった。

②は、まあ、産後からケンカが日常茶飯事で、ストレスによる帯状発疹のままイベントに登壇したこともあった。もちろん自分にも非があるのに、それを認められない小さな自分を、30代にして初めて発見して悶たり。「空海のことを書いているのに、なんで自分ができてないの?」という意地悪なツッコミをされることもあるけれど、きっと何より道半ばの自分自身を何とかしたくて、まったく飽きることなく空海と向き合いつづけているのだと思う。

③については、自分がデザイナーではないことを受け入れるまでのトランジションに時間がかかったけれど、それを手放した先に見えてきたキーワードが"ことば"だった。さらに、子どもが生まれたことで"教育"も急浮上して、言葉遊びをヒントにした国語塾みたいなことをできないかなと模索中(しかも夫婦で、ワオ!)。

ちなみに30代の人生の肩書きは、深まったのは「実験と失敗を繰り返して、少しずつできることが増えていくことに人生の喜びを見出す勉強家」であり、新たに発見したのは「笑ってもらえることで花開く喜劇俳優」かな。


かつての煩悩を伏線回収する

こう振り返ると、繰り返し訪れるモヤモヤ(煩悩)が、"人生のキーワード"に気付くきっかけになっていることがわかる。そして、それを何とか伏線回収したり、新たに意味付けをしようとする過程で、きっと「こんな未来をつくりたい」という"人生のテーマ"へと育っていくのだろう。

好きなことが人それぞれであるように、モヤモヤすることも人によって全然違う。これだけたくさんの社会問題がある中で、特定のニュースに怒りや悲しみを覚えたり、ある身近な出来事に心に引っかかりを感じたりするとすれば、それこそがあなたに宛の大事なメッセージなのだ。

大切なのは恐れや不安に蓋をしないで、心を開いて観察してみること。そして、感情を解放し、本当のニーズを研究すること。世界に対する痛みが自分のものとして感じられたとき、「他者のために行動しよう」という決意が自ずと生まれてくるのだと思う。




はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎