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2007年・CUBA LaHabanaの回想

cubaを訪れたのは、2007年の正月。
クリスマスと年末年始を過ごそうと思っていたのですが、クリスマス休暇の帰省でフライトがいっぱいでした。

カンクンで2週間待ったのち、カンクンからの臨時便で、やっと年明けにキューバに入りできました。

故フィデル・カストロがまだ国会議長だった頃のキューバ。
アメリカとの国交が回復する前のキューバ。

タイムスリップしたようなハバナは、見たことのない国でした。

キャピタリオ

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キューバの旧国会議事堂。
1929年、アメリカ支配下の頃に建てられました。

アメリカのワシントンにある「連邦議会議事堂」がモデルになっています。

正面玄関の銅製の扉に飾られた30枚の絵には、キューバの歴史が刻まれています。

インフラの整ってないキューバは、夜になるとぼんやり灯る電灯のみ。
キャピタリオもライトアップされていますが、なんとも幻想的できれいでした。

公認カーサ

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共産国、特にソ連の力を借りてきたキューバは、ソビエト崩壊後、その後ろ盾を無くしました。
中国も、経済発展真っ只中。アメリカとの関係を崩すわけにもいかない中、公な支援はできなかったようです。

陰ながらの支援はあったようですが、キューバは観光収入を得るしかなかったのです。
しかし、観光客を呼び込むにはホテルが足りない。

そこで出来たのが、公認カーサでした。
国の決めた基準をクリアした一般宅は、ホテルとして客を泊めることができるのです。

家の持ち主は、宿泊代から国に税金を払います。
そのため、キューバの物価の割には高い宿泊費でした。

自宅の部屋を全て観光客に貸し出し、家族はリビングで寝る。
私の泊まったカーサは、そのような状況でした。

写真は、5階の部屋から見下ろした景色。
全てが1950年代でストップしています。
当時最新だったであろうエレベーターは、手動でドアを開ける年代物。
いつ止まるか、いつ落ちるか、ヒヤヒヤしながら乗りました。

動画で見てもかなりスリリングだと思いませんか?

同じエレベーターではありあせんが、こんな感じです。

自分でも良く乗っていたな、と改めて思いました。

キューバの家

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人々はなぜ家を建て替えないのか。

お金がない。資材がない。それ以外にも理由がありました。
家は国の持ち物なのです。
家族構成に応じて、家が与えられます。
自分で買ったり借りたりしなくていい、と言えば聞こえは良いですが、勝手に壊したり売ることも出来ないんですね。

一生引越し出来ないの?
と思いますが、引越しをしたいときは、同じような家族構成、同じくらいの家の人を探して、交換することはokなのだそうです。

国が豊かにならないと、家々も新しくはならないのでしょうね。

アメリカと国交回復した現在、キューバがどう変わっているのか気になります。

ちなみに、当時アメリカ国民は、キューバへの渡航が禁止されていました。
しかし、キューバはアメリカ人観光客を呼び込みたい。
そこで、キューバのイミグレーションは、入国検査は行うもののパスポートにスタンプを押しませんでした。
かくゆう日本人の私もキューバのスタンプはもらえませんでした。
残念無念。
どんなスタンプか気になります。

今行ったら押してもらえるのかも知れませんね。

マキーナ

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時が止まっているのは家だけではありません。
車も同様です。
日本でアメ車と呼ばれるクラッシックカーが当時も走っていました。
好んで乗っている訳ではなく、修理しながらオンボロの車を走らせています。

キューバにも国営公共バスがあります。
通称ラクダバスと呼ばれています。
2輌繋いだバスのつなぎ目が凹んでいて、ふたコブラクダみたいに見えるのです。
1pesoと驚くほど安いのですが、超満員。

ちょっとそこまで、という時は、流しているマキーナをヒッチハイクします。
マキーナに乗る合図方法を教えてもらいましたが、外国人を乗せるのは違法。
結局、1台も止まってくれませんでした。

マキーナは機会の女性名詞。
愛称で「機械」とはそのまんまですが、響きが可愛いですよね。
ちなみに、パナマではバリカンをマキーナと呼んでいました。

スペイン語はかわいい響きの単語がたくさんあります。

カバーニャ要塞

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スペイン植民地時代に建てられた、4つの要塞の1つです。

知らないうちに世界遺産になっていました。

この要塞で、雨の日も風の日も毎晩9時に行われているのが「大砲の儀式」
なんと150年以上もの間、続けられているそうです。
本物の大砲が海に打ち込まれるんですよ。

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儀式も見ものですが、制服が昔のまま。カッコいい。
1番左の人はスネアタイコを下げてきますが、これに合わせて行進してきます。

そんな時間にカバーニャ要塞からどうやって帰ったのか、全く記憶にありません。
チラホラとタクシーが待ち構えていて、それに乗って帰ったような記憶があります。
決して「安全です」とは言えませんが、周りを気にしながら人通りがある場所なら、夜間でもまぁまぁ歩けていました。

カバーニャ要塞で、もう1つ見逃せないのが、チェ・ゲバラの執務室。

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執務室の入り口に飾られています。
これはゲバラ没後、執務室が公開されるようになってから作られたのでしょうね。
当時使っていたデスクや椅子などがそのまま展示されています。
触れません。座れません。

ゲバラについてはここに表記することもないでしょうが、医者であり、冒険家であり、革命家であり、夫であり、父であり、キューバの英雄。
キューバだけではないですね。
アルゼンチン人ですけどね。

ちなみに、これは有名な話ですが。
cheはアルゼンチンやウルグアイ、パラグアイなので使う呼びかけの言葉です。
「ねぇねぇ」
「きみさぁ」
みたいな感じです。

これが、実際にアルゼンチンを歩いてみると、あちこちで使われてるんですよ。
自分の名前の音と同じなので、よく耳に入ってきます。
びっくりしました。

Fortaleza de San Carlos de la Cabaña

アメリカ大使館前

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犬猿の仲と言われた、アメリカとキューバ。
フィデル・カストロ率いる革命軍が勝利を挙げた後、アメリカとの国交は断絶されました。
しかし、アメリカ大使館はアメリカ領土となるため、手が付けられません。

大国アメリカとしては、こんな小さな島国が思い通りにいかないのはさぞ腹立たしかったでしょう。
アメリカ亡命を誘う放送を強い周波数で流したり、旧アメリカ大使館の電工掲示板を使ってアメリカの情報を流したそうです。
事実、亡命者は家や当面の生活費などの支援が行われていたようですよ。

で、キューバとしては、これを防御したい。
旧大使館前に大きな建物を建ててしまえば隠れるのですが、国に余裕がない。
という訳で、苦肉の策?電工掲示板が見えないように、キューバの旗を並べたのだそうです。
長くなりましたが、そんなアメリカ大使館前の写真でした。

マレコン沿いをてくてく歩いていくとたどり着きます。

今はもう撤去されているんでしょうね。

Embajada de los Estados Unidos de América en Cuba

キューバとアメリカはなぜ仲が悪いのか

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キューバは他の中南米同様、スペイン領地でした。
スペインからの独立で有名なのが、ホセ・マルティです。
スペインからの独立というとさらっとした感じですが、休戦を交えながらもこの戦争は30年続いたのです。
この時、キューバはアメリカの力を借りて独立しましたが、いざ独立するとキューバの資本企業をアメリカに支配されてしまいました。
名ばかりの独立で、実質はアメリカの支配下の状況でした。
どこかの国と似てますね。

独立から半世紀後、フィデル・カストロ達は反政府組織「M26」を結成し、メキシコに亡命。
1956年、かの有名なグランマ号でキューバに再上陸したのです。

ちなみに、この時戦ったのは、親米で独裁政権を敷いていたキューバの「バチスタ政権」です。

このグランマ号の実物は、キューバ革命博物館に展示されています。
12人乗りの船に84人乗ったとも言われるグランマ号。
本当にどうやって乗ったのか目を疑う大きさです。
で、近寄って中を覗き込んでいたら、塗り直したペンキがカバンにベットリ、、、。
私のカバンにはグランマ号のペンキが今もついてます。光栄です。。。

後で気づきましたが、注意を促す掲示はありました。

(他の方のブログによると、現在はショーケースに入っているようです。)

Museo de la Revolución

Refugio Street 1, between Monserrate and Zulueta, Avenida Bélgica, La Habana 10600 Cuba

地図を貼り付けたら「一体どこ?」という表示になりましたが、NHカブリ・ラ・ハバナのずっと右のほうにあります。クリックしてみてください。

キューバのチャイナタウン

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驚くことに、キューバにもチャイナタウンがありました。

テーマパークの中のチャイナタウンみたいに小さなものでした。
資本主義、アメリカ支配下の時代、多くの中国人がキューバにも渡ってきたそうです。
ところが、革命後に共産主義国となると、なんだ、中国と変わらないじゃないか、ということで華人は撤退。
街だけが残りました。

当時のチャイナタウンでは、スペイン系キューバ人のウエイトレスがチャイナドレスを着てました。
チャイナドレスに金髪って似合わないんですね。
そこで頼んだパスタはうどんが煮詰まったような麺で、不味いものランキング入りするシロモノでした。

クバーナ

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キューバ国営の飛行機です。
当時、カンクンからキューバに入るには、このクバーナかアイロメヒコでした。

ソ連の飛行機の払い下げで、機内はロシア語表記。

搭乗するとすぐに謎の味のキャンディーを3つもらった記憶があります。
そして、不思議なことにシートが前に倒れます。
初めて見た光景で、自分の座席が倒れているのを見て、起こして良いのか悪いのか迷いました。
そして、ドライアイスの演出か、と思うほどの煙が出始めたのです。
Air Asiaも時々ありますが、当時LCCなどなかった時代なので、これまたびっくり。
無事に着くのかドキドキでした。

しかし、さすがは国営。パイロットの腕は良かったと思います。

日本からは遠く離れた国ですが、蒼いカリブ海、歴史、文化、何もかも新鮮です。
資本主義国でない国には、自分達のあたりまえが通用しないところがたくさんあるので面白いですよ。
貧しくても、明るく楽しいキューバ人。

いつかまたキューバの地を踏みたいです。

2017年、Camila Cabello の「 Havana」という曲が、長らくマレーシアヒットチャート入りしていました。当時3歳の次男まで口づさむほど。

ちなみに、ハバナは「La Habana」と書きます。単語の頭にくるHは発音しないので、実際は「アバナ」です。



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