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テレビが映しだした平成という時代 (ディスカヴァー携書) 川本 裕司

この本は、ドラマ/アニメ, バラエティ, ニュース/スポーツ/ドキュメンタリーといった数々のテレビ番組について、製作の裏側やテレビ局の組織的内情をまとめ、平成のテレビ史とはどのようなものであったかを書き記した一冊です。

じぶん自身は、全くと言っていいほどテレビを観ずに育ってきました。小学生の頃から習い事だらけだったので、テレビを見る暇も無かったし、そのせいで学校で「あのドラマ観た?」なんて会話をされても、全くついていけなかったくらいです。

そんなじぶんがテレビのことを知るために、この本を手にとりました。


挑戦に華あり

一番おもしろかったのは、P112-113 2章 バラエティ 視聴率三冠王に甘んじないチャレンジ

「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズに乗り、バラエティー番組の校長で82年から視聴率三冠王が続く中、このままでいいのか、という思いがあった。87年10月、日曜の深夜に「FNSノンフィクション」という番組をさっそく始めた。
この10月から民法初の24時間編成を発表。若手部員を「深夜の編成部長」に指名し、「プロ野球ニュース」が終わってから早朝までの番組編成の全権を与えた。番組の内容はもちろん、予算の配分も自由にさせた。重村は「アンチ・フジテレビ、アンチ・軽チャー路線を生み出せれば」と考えていた。そのためには自分がやっても仕方がない、と部員に任せることにした。深夜番組枠は「JOCX-TV2」と名づけられた。第2のフジテレビの位置づけだった。
 それまでの深夜番組といえば、映画やドラマの再放送が中心だった。重村は「深夜の編成部長」について、社長の羽佐間重彰(90)に報告すると、「スポンサーの制約なしに好きなことをやらせろ」と助言を受けた。

フジテレビというテレビ局は、非常にチャレンジングなところであったそうです。本書の出だしにも、こんな描写があります。

P3 はじめに

80年代後半、制作会社の幹部から取材で聞いた話が強く記憶に残っている。「番組の企画の売り込みにテレビ局に行ったとき、おもしろければフジテレビでは担当者が即決で話がまとまる。一方、TBSは『会議にかけないといけないので』となかなか決まらない」。制作会社にとって自身のある企画は、、まずフジテレビに持ち込まれるという循環が生まれていった。新興のフジテレビが80年代初めに視聴率トップに立ち、逆転された老舗のTBSはますます水をあけられていった。

フジテレビとは、そういう場所だったそうです。

なんだか意外な感じがします。テレビ局を始めとするマスメディアは、その影響力の大きさからして、公共のものと感じさせられることもあり、「慎重にリスクケアをしてから」あるいは「上層部へお伺いを立ててから」決定をしていく。そういう場所であるのかと思っていました。

実態はどうか知りませんが、少なくともここに書かれている範疇では、テレビ局(ことフジテレビに関して)は、自由に、とにかく面白いものをつくれ! という場所であったらしいのです。


無い無いづくしがひねりを生む

「フジテレビが軽快/柔軟であった」というのは、はじめから社内の体質がそうであったというより、止むに止まれぬ事情でそうなった、と言えるものでもあるようです。

P21 第1章 ドラマ/アニメ 大御所脚本家に振り向いてもらえないフジテレビ

フジテレビのドラマのヒットメーカーとして知られた亀山千広(63)=現・BSフジ社長=と大多亮(59)=現・フジテレビ常務=には、共通点がある。昭和から平成にかけて健筆をふるい脚本家「四天王」ともいわれた、向田邦子(1981年死去)、早坂暁(2017年死去)、山田太一(84)、倉本聰(83)の作品を一度も手がけていないことだ。大御所の脚本家に振り向いてもらえないことから、若手を起用したフジテレビのトレンディードラマが誕生した。

初読じゃ「え?」となり、信じられなかったところです。その当時、彼/彼女ら大物脚本家が優先的に仕事をするのは、NHKか民法トップであったTBSだったそうです。

「そうか。フジテレビも、はじめから1位だったわけじゃないのか」

当たり前ですが、変わらないものは無いわけで、こういった大物の起用ができなかったからこそ、若手の脚本家を起用をしたり、あるいはコンテスト形式で作品を募るといった(恐らく当時は画期的な)手段で、柔軟に番組をつくりあげていったのだと思います。


振り返りながら今を知る

P239 おわりに

テレビ離れがささやかれるなか、時代の刻印をしっかり押された番組が平成の時代にあったのは、この本に取り上げた数々の作品からも明らかだ。平成が終わったあと、過去を振り返る時期になってこそ、歴史的な意義や重要性がくっきりとする番組が現れるにちがいない。テレビ番組はそうした宿命を背負っている。そのような点で、番組が生まれた背景や制作者の意図を記録する意味があると考えている。

冒頭にも書き記した通り、じぶんはほとんどテレビを観ないです。

だからこそ、「文化史としてのテレビ」を知ろうという意図で思って、この本を手に取りました。きっとこういうモノの見方は、いろいろなものに応用できると思います。今じぶんが属している広告業界だったり、あるいはプログラミングでも言えるかもしれません。あるいは、このnoteという存在も。

そういう風に、研究対象としての日常を掬い上げることで、後になってからでも「あのときの、あの番組は、歴史のこういう潮流を組んだ、こんな役割のあった作品なのだなあ」という、かなりおもしろい"遊び"ができるようになるのだろうなと思います。



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