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「最も個人的なこと」を続ける表現者にエールを!

「最も個人的な(Personal)ことが、最も創造的(Creative)である」

この言葉は、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』で、オスカー(2020年アカデミー賞)を受賞したポン・ジュノ監督のスピーチの中で語られた。

私が映画の勉強をしていた頃、いつも心の中に刻み込んでいた言葉があります。「最も個人的なことが、最も創造的である」。誰の言葉かというと・・・偉大なマーティン・スコセッシ監督によるものです。学生の頃、彼の映画を観て勉強をしたんです。

この発言の直後、同じ会場で同じ監督賞にノミネートされていたマーティン・スコセッシの表情がゆがみ、会場はスタンディングオベーションとなった。とても印象深く感動的なシーンだった。

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(『アイリッシュマン』で監督賞にノミネートされたマーティン・スコセッシ)

ポン・ジュノ監督の敬愛するマーティン・スコセッシの過去の映画を振り返ってみると、バイオレンスものが多い。しかし、それだけではなく、確かに「個人的」な要素が強いように思われる。

1978年の『ラスト・ワルツ』は、ザ・バントの解散コンサートのドキュメンタリー映画で、ロック好きなオヤジという個性が生み出した作品だ。

また、2011年の『ヒューゴの不思議な発明』は、同監督には珍しく、ハートウォーミングなストーリー展開である。映画への愛情が溢れていて、個人的に大好きな作品である。

この映画に関するインタービューで、マーティン・スコセッシは次のように語っている。

この映画では「映画への愛」が重要なテーマとなっているが、私がこの映画を作ろうと思ったのは「映画愛」とか「映画のありがたみ」を伝えるためではなく、単純に娘のために作るということが目的だったんだよ。私の末娘はいまちょうど12歳で、私が69歳。「あとどれくらい家族と一緒に過ごせるのだろうか」ということを考える中で今回の企画に出会ったんだ。
引用:映画.com 「マーティン・スコセッシ監督、ほとばしる映画愛で達した新境地」 

娘のために作るといった極めて個人的な動機が、「映画愛」という形となり、クリエイティブを作り出している。

さて、ポン・ジュノ監督に話を戻そう。同監督は、朴槿恵政権時代、「文化芸術界のブラックリスト」に入れられていたらしい。彼の韓国社会に対する眼差しと映画表現が、当時の政権にとって極めて不都合だったのだろう。

そんな韓国の状況下で、敬愛するマーティン・スコセッシの言葉を胸に刻み、映画製作を続けたポン・ジュノ監督。流されることなく、自分自身の信条を全面的に出し続けた結果のオスカー受賞だったのではないか。

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また、この日のプレゼンターは、作品賞がジェーン・フォンダ、監督賞がスパイク・リーだった。これは大変興味深い。いずれも「個人的なこと」を貫いてきた俳優と監督だからだ。

偶然なのか、演出だったのか? いずれにしても、この二人の「同志」からオスカーを授与されたことにより、ポン・ジュノ監督の喜びは倍増したに違いない。

ところで、『パラサイト 半地下の家族』は、カンヌ国際映画祭でもパルムドールを受賞した。前年度のパルムドールは、是枝裕和監督の『万引き家族』だった。「個人的なこと」を標榜する映画監督として、彼もまた「同志」といえる。

『万引き家族』がパルムドールを受賞した後、是枝監督は、文科相からの祝意を辞退した。これは、公権力と距離を保つのが表現者としてふさわしい振る舞いと考える同氏の信条を貫いた行動だった。

忖度が蔓延し、テレビも新聞も本当のことが言えない今の日本社会において、「個人的なこと」を貫くことの重要性を考えずにはいられない。同時に、世の中の流れに媚を売らず、自らの信念に沿って活動を続ける表現者にエールを贈りたい。




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