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大学院で学ぶ ①重心児の豊かさとは(子どもの外見ケアetc)

10月から、公立大学の大学院医学部小児科主宰のインテンシブコースを受講している。
医療職だけではなく、他の職種・職域の人も受講可能ということもあり、様々な専門職の人が集まっているのだけれど、医療職でも他の専門職でもない団体運営者というのは全受講者で私一人という物凄いアウェー感。
来年から、社会福祉士資格取得のために専門大学への入学が決まっているとは言えど、どえらいところに申し込んでしまったのでは…と一抹の後悔と、オンラインでグループディスカッションをすると認識していなかったので、どスッピンでの参加に冷や汗をかきつつ第1回目に参加したレポートを残しておこうと思う。

重症児の在宅医療支援を行える専門職の養成

私が受講しているインテンシブコースは公立大学の大学院医学研究科小児科グループが主宰しているもので、半年間で小児在宅医療について「退院から地域での生活までを横軸で捉えることができる」講義と実習をオンラインでのグループディスカッションとイーラーニングで学ぶというもの。
医療以外の多職種での合同勉強会の機会とあって様々な職種の人が参加している。(約80人ほど)

専門職ではないのは、80人中私だけ

私は現状、いわゆる専門職の部類とは少し違う、チャーミングケアという病気や障害のある子どもの外見ケアやメンタルケア・家族ケアに関する治療以外の包括的ケアの啓蒙を民間の団体として発信をしている。
だけど、このジャンルの発信をしているのは恐らく我々の団体だけ。
そもそも「チャーミングケア」という言葉は、私が作った造語であって医療において良く使われる似た言葉としては「アピアランスケア(外見のケア)」があるが、主にがん領域で使用されており、且つ自身で意思決定や意思発信が難しい子どもに関しては既存の概念であるはずのアピアランスケアですら*軽視されている傾向がある。
来年から専門大学への入学が決まっているとは言えど、現状ただのしがない団体代表の40歳オーバーのわたし。どえらいところに申し込んでしまったのでは…と一抹の不安と後悔はあったものの、共に学ぶ方々が優しく迎え入れてくれたことに安堵した。

*チャーミングケアで行った、全国の市町村で行われているアピアランスケア支援事業に関する調査

在宅移行 家族の「豊かさ」に関する伴走とは?

月に1度のオンライン講義は約3時間、講義とワークとグループディスカッションを行う。
事前情報のインプットのためイーラーニングでの受講などを考えると1ヶ月で5-6時間(半年で約40時間ほど)このコースに関しての時間を持つということになる。
初回の大きなポイントは患児と家族のための「豊かさとは何か」という部分を念頭に置いての在宅医療支援への移行という部分だったと思う。
本来医療とは当人の病気を治すというところが本職であって、本人や家族の「豊かさ」に関して足を止めて考えることは少ないのではなかろうか。
少なくとも、私の息子が6年前に小児がん(小児白血病)に罹患した際には、とにかく命を救おうという考えが先行していて、家族のこと患児以外のきょうだいのこと、その後の生活のこと、病気とうまく付き合いながら「豊かに暮らす」なんて考え方はほぼなかった。(障害ではなく「病気」だったからかもしれないが)
それはごく自然なことだし間違っていないのだけれど、入院生活から在宅療養への移行に際して、日常生活に順応し馴染んでいく過程で「豊かさの概念」が徐々に変化するのもまた肌感覚で感じてきた。
肌感覚なので個別性が高く、言語化するのも難しい。
それをディスカッション形式で学ぶというのは、とても素晴らしいと感じた。
そして医療という切り口で展開される場で、当事者サイドに近い立場で参加できたことも嬉しく思った。

豊かさの一つとしての外見ケアと家族連携と親の就労

今回の講義でのグループディスカッションで、外見ケアの問題や、親の就労の問題、家族間での連携(障害受容)などに関して、わたしだけではなく他の専門職である受講者の方からも意見が出ていたのが、この領域が今後広がっていくための道筋として希望の光だなと思った。
親の就労問題に関しては特に母親に対してのフォローは、子どもが大変な状況だから仕方ないと片付けられがちなのだけど、家族間や地域連携やサービス活用などにより「仕方ない」と諦めなくて良い場合もある。
これもケースバイケースで、本人の就労意欲の問題もあるけれど、諦めなければならない状況は歪だ。それをチームで考えようというマインドをこの講義で作れているのは素晴らしいなと感じた。
また、患児自身の豊かさという観点で外見ケアという言葉が私以外の受講者から出てきたのも時代だなと感じた。
私たちの活動のベースになっている病気や障害のある子どもの外見ケアの重要性は、活動当初の5−6年前は全く意識されていなかった。
ここ数年で子どもの人権や子どもアドボカシーという考え方が広がりつつあることと、手前味噌ながら我々が一生懸命発信してきたのもすこーし関係あるのか医療ケアグッズなどの物の流通もメルカリやハンドメイド系のC to Cサイトの台頭により一気に進んだ感がある。
それが起因してか、具体例こそ上がってはこなかったけれど、患児自身の豊さへのアプローチとして外見ケアというのを気にかけてくれたというのは、嬉しい以外の表現が見つからなかった。

専門家と認められるまでの道のり

「専門家になるため」という目的で生きているわけではないのだけれど、病気や障害のある子どもと家族のための*QOLに関する専門家が恐ろしく少ない。
単純に課題を持ちながら生活をしている人数が少ないということと、具体的な課題及び重要性が顕在化していないというところが大きいと感じる。
適切な情報を適切に伝える専門家がもっと必要だとわたしは考えている。
できればわたしもその一人になれたらいい。
そのために、この大学院での学びを皮切りに来年から社会福祉士の資格を取得するべく、40代にして人生2度目の女子大生になる。(働きながら+団体運営もしながら)

*QOL=クオリティ・オブ・ライフ
クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、略称: QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた『生活の質』のことを指し、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。驚くべきことに、規律性の高い人は長生きする傾向があるが、規律性の低い人よりも生活の質が低くなる可能性がある。

1970年代以降に注目されるようになった概念で、もとは健康関連の概念だったが、それ以外にも拡張されるようになったため、健康に関するQOLは健康関連QOL(HRQOL、Health - related QOL)ということもある。

クオリティ・オブ・ライフは、個人の収入や財産を基に算出される生活水準(英: standard of living)とは分けて考えられるべきものである。

wikipedia

運営している一般社団法人チャーミングケアでは、「病気や障害のある子どもと家族への適切な配慮」というテーマで研修事業を行なっている。
まさにQOLの向上、みんなの当たり前の目線をチューニングするための基礎知識を学ぶ研修だ。
この研修事業を始めようと思ったときに、ドリームキラーに言われた言葉がいつまでも記憶に残っている。
「あなたみたいな支援される側の人間に、一体何が提供できるっていうんですか?」
ただ子どもががんを患っただけだけど…そうかわたしは支援される側だったのか。「支援される側」という言葉が物凄く「施される」という耳障りで伝わってきた言葉だった。
しかし、当事者に近しい体験をしたからこそ伝えられることがある。
ただそれを体系的かつアカデミックに展開しないと認められないのだろうなと感じ、その時自分がなんの資格保有者でもない非専門家であることが悔しくてならなかった。
『おらぬならわたしがなろう専門家』
専門家と認められるまでのわたしのスローガンとして、日々邁進している。

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