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男は「一度俺に惚れた女は、死ぬときに絶対俺のことを思い出す」と勘違いしている

写真は非常にパーソナルなものである。特に女性を撮る写真は、語弊満点の書き方をすれば、ほぼ性癖の露呈である。

写真家としての仕事の立ち位置はいろいろあって、職業カメラマンというのはバンドで言えば作詞作曲もするマスクもいいフロントマンのような人もいれば、作曲をしないベーシストのような人もいる。
どちらか言えば自分は後者。ただアンサンブルの肝を握る屋台骨ではいたいと思う。

超絶技巧の速弾きギタリストのような人は、そのテクニックを存分に出してインパクト抜群。非常に憧れられる。

ただこのときに自分が一番言われたいのは「この曲いいよね」

これも流派だし人それぞれの話であるが、アンサンブルの結晶である曲自体がたくさんの人が聴いてもらえてることが一番嬉しい。
つまり、仕事で撮る写真は、広告なのかニュースなのか印刷物なのかによらず、それを必要とする目的全体の評価に直結したものでなければいけないのが当たり前である。

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ときに写真家はそうではない写真を撮る場面もある。いわゆる作品と呼ばれるものであり、これは一人でピンスポットを浴びた弾き語りのようなものである。

失敗も誤魔化しも目の前で聴いている人にすべて見られる。
どんな人が好きでどんなことがしたくてどんな言葉を伝えたいかを曲に詰め込めば聴く人が自分のメモリーの琴線に触れて涙を流す。
女性を撮る写真に詰め込むのはそこである。
ときどき勘違いなのか、ファインダーの前にいる人に自分の性癖を具体的に見せて捕まるカメラマンがいるが、自慰は誰もいないところでやれと言いたい。スポットライトを浴びた弾き語りのステージでナニをすればそりゃ捕まるだろ。

写真にそれを詰め込み、それを撮りたい。
女性を撮る写真は、ラブソング。
写る人は歌詞でありメロディなので、モデルのパーソナルには関係ない。
トリップしたオーガズムみたいなものなので、テンションの合わない人が見れば鼻で笑うか嫌悪感。
男の撮る写真と女性の撮る写真にニュアンス的な違いを感じるのは、男が女性の気持ちをわからない部分がそう感じさせるのだろうかと考えたりする。

僕の心のやらかい場所とキムタクみたいなことを言うが、非常にパーソナルなところを可視化させる作業が自分の写真作品だと思っている。

女性を撮る写真だけではなく、生きる場所の思い出や感情を残す写真、家族を残す写真、刺激的で衝撃的な場面を残す写真、雄大な自然を残す写真、そのときの記憶と感情を残す写真、それぞれがそれぞれの感情を書いた歌である。

女の子の写真を撮り始めたときから、
男は「一度俺に惚れた女は、死ぬときに絶対俺のことを思い出す」と勘違いしている
という、男という生き物のピンポイントなバカな感情を写真にしたくて撮り続けている。

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