【システマ】システマ×カポエィラ(バトゥーキ)のコラボ動画を見て。そして漫画『鈴木先生』を読んで。
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【システマ】システマ×カポエィラ(バトゥーキ)のコラボ動画を見て。そして漫画『鈴木先生』を読んで。

ぺりめに

ついにシステマ東京さんバトゥーキとコラボしたんかよ……

もうしばらくシステマ関連のyoutubeコラボ動画について情動のままノートをかかないと誓ったのに、無理でした。

だって『バトゥーキ』じゃん。バトゥーキとシステマじゃん。

いや、まじか~『バトゥーキ』って言ったら女子高生「いっち」こと一里がブラジルの国技「カポエィラ」を駆使して自由を求めて成長をしながら仲間と戦う青春格闘バトル漫画であり毎回リオのカーニバル並みの肉感リアリティバトルが虚々実々の駆け引きとともに超絶スタイリッシュ緻筆で繰り広げられぶっ飛んだセリフセンスに加えビンビンに立ちまくったキャラの言動は読むフリースタイルダンジョンのインプロヴァイズドリリックように言語野と視覚野を同時に入力されてきて終始絶ッチル状態で楽しめる迫稔雄先生の神漫画じゃん!マンジンガ~(早口&一息)

嘘食いの!?迫先生!!嘘喰い見てました!大学生の時、毎週嘘喰い見てパワーもらってなかったら期末試験と卒業試験パスしてませんでした!試験中に狙って勉強したところが出るたび「ここ勉強しとけー試験に出すぞー」つってその部分じゃないところを試験に出した教授の顔を思い浮かべながら「アンタ・・・嘘つきだね」って内心つぶやいてニヤついている気持ち悪い学生でした!暇な実習の時も部活の試合の待ち時間も、女の子に告白する前の晩も振られて友達の部屋で泣いた後もヤンジャンの嘘喰い見てました!今も新しいお話しが出る度に「バトゥーキ」を拝観しています。

だからそんな漫画のベースになった格闘技「カポエィラ」とぼくの大大大好きな「システマ」がコラボしちゃうなんてなんだこれ、夢かな、現実かな?オバルの魔法の粉の入ったカレーで惚けちゃってるのかなあ?

なんか変なテンションですが、つまりどういうことかっていうと、ここから先は純度の高いただの漫画オタクのおっさんが呼吸も忘れ果ててテンションマックスで好きな漫画と格闘技について手前勝手に語りながらキーボードを打ってるってことだ。ッターン!ってよ!タッターーンってな!

では動画の感想から書いていきたいと思います。

かみ合っていたカポエィラとシステマ

システマのプッシュアップやスクワットの要訣を伝える言葉に「地球の反対側のブラジルを足の裏でおすように」という言葉があるくらいブラジルは世界中の人々から「地球の反対側」だと思われているようです(実はマニラの反対がブラジルですが)。あらゆる国から感覚的に遠い国を二つ挙げるとすると、ロシアとブラジルになるかもしれません。そのロシア発祥のシステマとブラジル発祥のカポエィラ。歴史も成り立ちも違うこの二つの格闘技が邂逅したらどうなるだろうというのは非常に興味がありました。

まずぼくはカポエィラはyoutubeとか漫画やゲームでしか知らなかったのですが、カポエィラのフリーワーク、ジョーゴをみて「結構システマのフリーワーク的だな」と感じていました。システマ以外の格闘技を全く知らないぼくにとってこの世の光景は「システマ」「システマっぽいなにか」「システマじゃないっぽいなにか」の高々三つくらいのグラデーションに分類される感想しか持ちえないのですが、それにしてもカポエィラの、即応性のある、途切れない柔軟で自由な動きは見ていて非常に面白く感じていました。

北川さんと迫先生、北川さんと竜太先生とのジョゴを見てもやはりそう感じました。カポエィラは踊りの要素が入っているというお話を動画の冒頭で竜太先生がされていましたが、システマは踊りっぽくはなくとも、相手との動きのやり取りの結果として踊るような軽やかな軌跡が出たりすることはある気がします。それにしてもカポエィリスタの動きの自由度と身体能力凄いですね!実はカポエィラのネガチーヴァというトレーニングを一時期かなりスタティックプッシュアップの1パターンとしてやっていました。勿論ぼくの情報源は第一に『バトゥーキ』、第二にyoutubeです。

システマのトレーニングでやたらとプッシュアップの亜流をやるので、いろいろネタがないかと探していた時なんどもカポエィラの非常にハードな床トレーニングの動画に出会って、カポエリスタの動きには素直に驚嘆して真似したりしました。

そしてあえてシステマの特徴のひとつを「自由」「とらわれない」とするならそれはカポエィラも似たニュアンスの構造があるのだろうなと感じていました。

どこから飛んでくるかわからない足、拳、頭突き、肩による打撃、崩し、投げ、極め、踏みつけ、たまに金的、帽子のツバでの目潰し、システマのフリーワークではパンチにとらわれたらキックに対処できないし、キックにとらわれたらテイクダウンに対処できないという事をボコボコにされながら教わりました。教条的に「自由」を目指すというか、少しでもなにかしら自由にしなければ圧倒的に苦しく(痛く)ていられないので、結果少しでも自由になるしか残されていないという有様です。

カポエィラは竜太先生が語られていたように、もとは奴隷として拘束されていたような人たちの格闘技だったようで、つまり物理的、社会的な拘束状態からでも駆動できることが要件として成立した格闘技だったのかもしれません。カポエィラの求める「自由」というのも形而上のお題目や旗印ではなく、実際その動きをみれば現れているような気がしますが、あらゆる意味に置ける「自由さ」のことではないかと感じました。

そういうところがシステマとカポエィラが響きあった、その理由だったのではないでしょうか。北川さんと竜太先生のフリーワークはお互いを邪魔せず、しかし動きを与えあい、キャッチボールが成立するようにそこから新しい動きが瞬間瞬間に生まれているように見えました。舞踊を目指さなくてもお互い舞踊的になってしまうのはそういうことなのかなと思ってました。

あらゆる次元に置いて、己の「自由」を実現するためには相手を破壊したり思う通りにしようとしては成り立たないはずです。なぜなら、絶対に相手を破壊して勝利するということが目的になった瞬間、相手を破壊して勝利するという事「しか」できなくなってしまいます。そうなると自ら狭めた目的のために身体は幾ばくかの自由さを失ってしまうように思います。

絶対に当てると誓って握ったパンチはもう半分死んでます。コンバットトレーニングの展開の中でより恐ろしいのは、一瞬前までパンチになる予定を与えられていなかった拳がいきなりパンチとして、より正確に言うならパンチと呼ばれる動きとして「も」成立して、体に叩き込まれ、そしてそこから新たな展開につながること「も」可能にするとらわれのなさ、自由かなと思います。

動画のコメント欄にありましたがこれがもしかしたら世界初の「カポエィラ×システマ」動画かもしれないとのこと!だとしたら資料的価値も相まって相当貴重な、そして面白い動画だったと思います。しかも『バトゥーキ』コラボ。どんだけ贅沢なんだ🎵眼福でした。ありがとうございました。

少し関係のない話・『鈴木先生』と文章の話

最近「書く」という事に対して非常に深く反省することがありました。なんと言いますか、ぼくはよく文章を書くくせにずっと文章を書くという事は必ずしも良いことであるとも思っておらず、むしろある種の苦しみ、システマでいえば非快適さがあるから発する行為だという風に思っていたのです。だから基本的には今まで書いてきたノートの文章もその時々で「こういうことに感動していてもたってもいられなくて苦しい」とか「システマをトレーニングしていく中で苦しい」または「システマをトレーニングして楽になっていった様々なことが新たな展開を自分の人生にもたらして、苦しい」といった苦しさがある種の必然性として文章を書かせていたようなきがします。ぼくは本心を言えばいつも文章を書く必要もないほどの快適な状態で居たいのです(笑)

それに言葉で言い表してしまうという事は非常にわかりやすいが、自分の思考や気付きを言語化する過程で必ず矮小化することにもなってしまいます。システマのトレーニングを通じて得た「なんともいえん体験」まさに言葉にするのが難しい感覚をもくるっとまとめて装備した気になってしまう可能性が多々あるわけです。そもそもなにかを言葉で正確に言い表せていたらいいものの、実際のリンゴを「リンゴ」という言葉で言い表せても、あるいはリンゴに対しての本を100冊描いたところで、それはどうしたって正確なリンゴの「体験」にならないように、言葉と体験はそもそも全く次元の違う話なので、自分の体験や気づきであったとしても何かを言葉にすると言うのは基本的に莫大な誤謬を意識の内外に産んでしまうことになります。文章にして何かを語るというのはすさまじく恐ろしいことで、いつも間違いの海に飛び込むような行為だと思っています。

よく「いうのとできるのは大違い」といいますが、システマの場合「できたから」といっても全然そんなこともどうでもいい場合すらあります。システマの究極の目標は「己を知る」なので、知った己を外部世界に向けて表現することはまた別の話なのです。最近なにかを「やって誰かに成果を見せる」こと自体がシステマの向上から離れていくとも感じます。もちろんシステマを学んでいくと実生活にいろんな変化は出ていきますけれども、どんなにか完璧にコンバットスキルを見せつけることができても、目隠しをして転がりながら銃で的に当てまくることができても、またワークで相手を圧倒することができても、生活で役に立つことさえシステマの進捗を証明できるものではありませんしシステマを学ぶ上ではなにか証明する必要も、証明が必要になる構造すらないのかもしれない。倒す敵が必要ないどころか、あらゆる積極的な行為そのものが必要ないし、必要にならない。ただひたすらトレーニーそれぞれが「己を知っていく」過程だけがあり、それは終始言葉の上でいうなら「沈黙」や「静寂」の中にあるではないかという思いがある。世間で善性の高い行為だと思われている「言語化」はぼくにとってはシステマにおいては上達の上でそう意味のあることに感じられていません。

ぼくはシステマのことを一つ語るたびに「必ず」一つ間違います。体験であっても、感想であっても、分析であっても。それは言葉の上でシステマを型にしていくという事に近いからです。システマを矮小化しているという事に近いからです。

だからシステマのトレーニングを通じていろいろ自分の中に苦さがあるから文章を書き始めたにもかかわらず、書けば書くほど深い「楽」からは遠ざかる。システマ的には(書いているぼくは)ほとんどなんも成長することはないのだと思っているのです。

ぼくは膨大な文章を書くたびに膨大に間違っていきます。ミカエルがシステマの練習のために文章を書くことを勧めることもありますが、そういう限定的に目的を定めたトレーニングとして使う場合を除いて、基本的には書くことはそれほどシステマのトレーニングの節目にしても役に立つという感覚はありませんでした。

実はノートを始めてからだけでもノートの記事が70本以上書き終えたまま、下書きに保存してありました。実際に公開している記事の二倍以上の数です(笑)文章を書き終えるとその場の苦しさはいったん解消されるので、公開するかどうかは気にならなくなってそのままお蔵入りさせることの方が多くありました。

ただ、最近であった『古代戦士ハニワット』という漫画作品の作家、漫画家の武富健治先生の作品を読むにあたって、ぼくはなんて浅い段階で言葉、文章、そして言語というものと対峙していたんだろうという事を思い知らされました。武富先生の代表作『鈴木先生』でかたられる中学二年生の学生たちのほとんど度を超えた自己内省、自己探求、葛藤する姿。精神的に犠牲者が出る寸前まで言葉を尽くしてお互いの内面を食らいつく生徒と先生の姿、「心の動き」を既存の概念化された言葉に落とし込む事すら許さずに、その心の動きそのものに肉薄し、言葉というノミによって1㎜でも明瞭にその形を浮かび上がらせようとする執念、執拗性、そしてそれらを統合して俯瞰する無意識領域を明確に視野にいれた心理構造の描写……人間の、自分の「心」「体験」というものを漫画としての絵と、文と、そして物語でここまで書き表そうとしている人がいるのかというショックな体験をしました。

さすが芥川賞作家のピースの又吉さんが敬愛する漫画家の筆だと思いました。武富先生の作品はまさに文学でした。

そうこうショックを受けているうちに何の因果か故有名漫画家さんの著作をまとめるお仕事を頂いたりして、ぼくのなかで漫画という文化のもつ深みに対する再定義が進むにつれ、言語、自分の思いを何らかの形で言葉や作品に表すという行為について思い直しました。

そのなかで恥ずかしいことを書きますが、自分がシステマにおいてもなんと浅い次元で文章や言葉を操っていたのかということを嫌というほど自覚させられたのです。

ぼくは半ば嫌がりながら、あるいみ言いたくなるから「しょうがない」とグダグダしながらシステマを通じて得た体験を文章や言葉にしていました。言葉に対してもシステマを学ぶ姿勢に対してもなんと失礼でダセェことをしていたんだと、心の底から反省しました。そして読んでくださるかたにも多分に失礼な態度だったなと思いました。

言葉を使う事が自身のシステマの体験や学習を矮小化していたのではなく、ぼくのそのなめた気持ちが自分自身のシステマでの学びを矮小化していただけでした。ぼくは真剣な気持ちでシステマにも言葉に取り組んでいなかった、文章と言語に取り組んでいませんでした。すくなくとも『鈴木先生』の作中で武富先生が物語とキャラクターを通じて言語に対して見せていたあのリラックスしながらも真摯な姿勢とは全く次元が違っていました。

システマの中で唯一積極的に言葉を使うシーンがあります。練習後にその時の感想や思いをシェアリングする時間です。ぼくはあの時間が大好きなのですが、あの時は言葉がそう邪魔になりません。

正直にかたっているからだと思います。正直に、自分自身の気持ちにたいしてゴマかしなく語る言葉は乾いたからだがスポーツドリンクや水を受け入れるようにスッと入ってくるのです。

だからこれからはもっと自分自身に正直に書きたいことをしっかりかいていこうと思いました。言葉は確かに扱いが難しいツールですが、邪険に嫌っては今まで言葉によって生きてきたのに申し訳ないし義理もたたないですからね(笑)

最後にすごいまとまらない話しになってしまいましたが、これからはもっと正直に真剣に言葉にもシステマにも、また自分の好きな漫画を語る事にも言語を使ってリラックスしながら付き合っていきたいなと思いました。今度バトゥーキのなかでのシステマの扱いなど書いてみようかな。

おわりです。読んでくださってありがとうございます。




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ぺりめに
ロシア古武術システマ学習者、トレーニー。ノンインストラクター。 主にシステマやそれについての生活実感の世界を言葉にしていきたいです。 現在『古代戦士ハニワット』という漫画作品にハマっています。2022年末に向けて同人誌鋭意制作中。