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休学の話をしようか(三)【ヨタロのぼちバケ。その三十六(306)

こんばんは。
シンウルトラマンを見に行きたくてしょうがないヨタロです。

庵野さんの前作「シンゴジラ」が社会現象化し過ぎて、今回はやや下火なんでしょうか。それでも見に行きたい!

敢えてSNSでシンウルトラマン関連の情報はシャットアウトして、その日に備えているんですが、なかなか時間が取れない。

明日行こうかな、とも考えるんですが、最高気温30度超えるらしいじゃないですか。関東地方。

こりゃお天道様が外出するな、とおっしゃってますよ(根っからの出不精)

それに、大学の報告用のレポートもまだ終わってませんし。

もろもろやるべきことを終えて、後腐れなく光の巨人とご対面したいものです!
そんなこと言って、ロードショー終わっちゃったらかなり泣けちゃいますけどね。

\ゼンカイマデノアラスジ!!!/

前回投稿してから時間が空いてしまったので、投稿記事を下に貼り付けておきますね。

休学した一年間、何をしていたのか、という話(序)

休学の1年間を、三パートに分けて話そうと思っています。まずは一パート目。序。

出だし最悪

まず、休学してからのプランも何もないままに、休学届を提出してしまったものですから、

しばらくは家を出ない引きこもりニートのような生活が始まります。

今まで将来の夢と信じ続けていたものが、自分が自分にかけた負のプレッシャーでしかなかったことに気が付いた僕は、

完全に糸がプツンといってしまったわけです。

惰眠を貪り、言葉数は減り、親の顔を見れない毎日。どんどん負のスパイラルにはまっていきました。

好転、そののちヤバいサークルに入ってしまう。

どうにか休学した意義を見出さなきゃいけない。休学スタートしてしばらくして、思い立った僕は、

一先ず、今まで勉強してきた法律の知識を充分に活かせる道を志すことにします。そう、公務員です。

某資格試験予備校に入学し、テキストを受け取り、見事な再スタートを切りました。

そうして、改心した僕の生活の質は向上していきます。

そこで、意志あるところに道は広がる、という言葉通り、面白い話が舞い込んできます。

高校時代三年間同じクラスだった男子(仮にCとしましょう)から、突然LINEが来たんです。
要件は、ライブとかのイベントの企画をする学生団体に所属していて、人手が足りないから手伝ってくれないか、と。

このCとの関係ですが、3年会クラスメイトだったとはいえ、特に親しかったわけでもありません。彼はクラスでも目立たないやつでしたし、こんな言い方は鼻につくかもしれませんが、僕の眼中にはないような男でした。

ですが、

僕は、これこそ休学中にやることだ!とある種運命を感じて、二つ返事に手伝うことを受諾します。それどころか、この学生団体に所属することに決めるんです。

この学生団体、名前は伏せますが、結論から申し上げましょう。

かなり、グレーゾーンな団体でした。

いわゆるねずみ講や、マルチの類ではないにせよ、一部その性質を帯びているような、相当に怪しいレベルの団体です。

あまり詳細を語ると、その団体の特定にもつながりますし、あまり具体的なエピソードは申し上げません。

ただ、確かに言えることは、

Cは、地元の先輩にあたるこの団体の幹部に、良いように使われていたこと。
そして、Cは、(自分で言うのも嫌ですが)高校のクラスでもなんでもそつなくこなす優等生の“イメージがあった”男、つまり僕に声をかけて手伝ってもらうことで、自分の負担を減らそうとしていたこと。

僕もまた、良いように使われていた、ということです。

そんなことにも気が付かず、休学中にやることを見つけなければいけないという焦りと、運命論を信じようとする思考停止とが、僕の判断を狂わせ、結果、利用されたと言えます。

団体では、いろいろなことをやりました。あくまでざっくりと、言いましょう。

企画団体の中にはたくさんの小グループがあり、それぞれがイベントごと(主にバーを貸し切ったパーティーです。めっちゃくちゃ陽キャ)、をこの小グループ単位で別々の企画を立てます。

Cもまたとある小グループのリーダーを務めていたんですが(かりにグループEとしましょう)、

このグループEが、本当に、(言葉を選ばずに言います)無能の集団でした。

誰一人として主体性がない。常識がなっていない。ひどい物でした。Cも正直リーダーの器とは到底言えない人間でした。

そのグループEの再建、といいますか、僕が臨時のリーダーになって、2か月後のイベントを成功させる、というのが僕の任務になりました。

イベントの企画、というのは本当に一からやらなければなりません。
企画、SNS上での情報発信、会場の手配、当日準備、運営、撤収。僕はもちろん生まれてこのかた、そんなことやったことありませんでしたから、

団体の上の方の人たち(といっても大学生ですが)、からいろいろノウハウを教えてもらうわけです。

毎週、都内のどこかに呼び出されて、マーケティングの素養(今思い返せば非常にお粗末な知識を教えられたものだ、と思います)を教わったり、過去に他グループの成功した企画例を見せてもらったり。

更には、毎週一回、都内の区民センターの会議室を貸し切って、セミナーと称した団体の全体会がありましたので、それにも出席しました。
そこでも団体の先輩方の「ありがたい」(もちろん皮肉です)お話を2時間近く聞き、イベント企画に向けてもろもろインプットします。

総じて、得られる情報の質は低かったと思いますが、決して全く役に立たなかった、ということはありません。

団体の先輩方の中には、本気で、学生生活のすべてを費やしてイベントを成功させたい、という熱い思いを抱いた人もいました。
環境がどうであれ、あれだけ一つのことに熱中できるのは尊敬に値しますよね。

さて、あとはグループE自体の増員のために、自分の知り合いにメッセージを送り、団体に加入しないかと誘うミッションもありました。

聡い人は分かるでしょう。これ、めっちゃくちゃ怪しいですよね。表面的に見ればマルチのにおいがプンプンします。

ただ、誰か知り合いを誘い入れても、僕には一銭も入りませんでしたし、言わゆるマルチとは違うことは明らかです。

それでも、知り合いからの信頼は失いました。盲目的にインスタなどで、知り合いに片っ端から連絡するんです。
ほとんど既読無視されましたが、中には律義に返してくれる友人もいて、

「○○(ヨタロの本名)、お前、大丈夫か。それ、だまされてるんじゃね?」

「バー貸切ってパーティーするって、お前そういうキャラじゃなかっただろ」

「お前、ヤバいぞ、それ、たぶん」

いろいろ言われました。

それでも当時の僕は、この活動こそが、僕の休学した意味になるんだ!と信じて疑いませんでした。

しかし、そんなこんなで、イベントに向けて準備する中で、

僕の幻想を打ち破る友人が現れます。かりにYとしましょう。

僕は例にもれずこのYにもインスタで、団体に誘う旨のメッセージを送っていました。

そしてYから、「とりあえず話だけは聞いてみる」という返事をもらったんです。

その後ZoomでYと会話し、イベント実施に向けて手を貸してくれないかと持ちかけました。Yはその場では肯定的な風でしたが、最後に、

「○○(ヨタロの本名)を誘ったのがCだっけ?Cからも話聞いていい?」

と一言添えました。僕は自分の説明では足りなかったのかと、やや不服でしたが、一先ず承諾して、Cにつなぎました。

そして、数日後、YからLINEが来ます。

「○○(ヨタロの本名)、悪いことは言わない。その団体すぐにやめた方がいい」

その後Yから様々なことを聞かされました。
僕が言っていたことと、Cの言っていることが部分的に噛み合わないこと。Cがまだ僕に言えないことを隠している可能性があること。
そもそもCがイベントリーダーになれるような器でもないのになぜ団体の先輩たちは彼をリーダーにしているのか甚だ疑問であること。
セミナーを定期的開催しているということだけれど、それにしても月額6000円以上会員費をとるのは相場感からして狂っていること(書き忘れましたが、この団体6600円の月会費をとっていたんです。今思えばヤバいですよね)
マルチやネズミ講の類ではないにせよ、間違いなくグレーな団体であること。
仮にそうでないとしても、僕が休学中の貴重な時間を割いてまで、やるべきことではない、ということ。

後半に行くにつれて、Yの口調は、忠告から、半ば叱責になっていました。

それを聞いた僕は、最初こそ反発しましたが、次第にYの言い分に理を感じ取って、団体を脱退することにしたんです。

それまでに送ってしまった友人へのメッセージ(10件近くでした。そもそも友達があまり多くなかったことは、このときばかりは幸運だったかもしれません)、を取消、送ってしまった友人に対して、簡単にことのあらましを伝え、謝罪し、もう団体を脱退した旨を伝えました。

メッセージを送られた友人たちは、みんなやさしく、僕が脱退したことに安堵してくれました。みんな、本当にいい人たち。この人たちの信頼を完全に失いかけていたかもしれないと思うと、いまだに寒気がします。

もちろんYにも感謝を述べました。その数日後、僕のつまらないプライドで、再びYと衝突してしまい、半年ばかり連絡を取らなくなってしまった。という後日譚もありますが、本筋からズレますので割愛。
あ、僕に100%非がありましたから、半年係でしたが、Yには心を込めて謝罪しました。本当に自分の人間の小ささと、Yの寛大さよ。Yには足を向けて寝れません。

さて、この「ヤバいサークルに入ってしまう」事件、は終わりを迎えました。

一連の出来事は1か月の間の出来事です。なので、会費の6600円と、Cとの信頼関係を失い、

休学して最初のアクションは、大失敗に終わったと言えました。

休学期間は残り5か月(※あ、当時は休学半年の予定だったので、11か月、ではなく5か月、と書きます)。いよいよ僕は焦っていました。

何が教訓として残るか(さっさと読みたいならここだけでも)

だらだらと書いてしまいましたが、要約と、読者の皆さんに伝えられる確かな教訓として言えば、

(要約)
僕は、休学してすぐに、高校時代の友人に誘われて、どう考えても怪しい学生団体に所属し、一時は心酔し、友人との信頼関係を失いかけた。何の疑問も抱かずに団体内で活動できたのは、休学の目的を見つけることに躍起になって焦り判断力を鈍らせていたから。なぜ躍起になっていたかといえば、休学してからというもの自堕落な生活を送ってしまった罪悪感と、親に失望されてしまうという危機感があったから。この団体との出会いが運命の出会いと思い込みたかった。
(教訓)
運命的な出会いなんてない。あったとしても、出会ってすぐにそれには気が付かない、絶対に。出会い、自分で考えて実行して、成功なり失敗なりして、後で振り返って「あれは僕にとって私にとって運命的な出会いだった」となる。

ものごとを始める動機が「人に悪く思われたくないから」という他人軸では絶対にうまくいかない。自分が心からやりたいと思ったり、正しいと感じたり、やる価値があると感じたものを選択するべき。
意思決定が他人軸になると、まず楽しくない。やっていることが義務的なものになる。自分軸なら、楽しいし有意義だと感じるし、何より自分で選択した、という自信が残る。


続きはまた次回

さてさて、ヨタロのヤツ、休学はして正解だった、とか言って、出だし大失敗しとるやん。そう思ったでしょう。

まあ待ってください。まだ休学した1年間のうちの1か月、12分の一しか話していません。

それに、こういった苦すぎる失敗も含めて、僕は体験して正解だったと思うのです。

まだまだ、僕の休学体験記は続きます。次回は、

「休学した一年間、何をしていたのか(破)」

からスタートです。お楽しみに


今日のぼちバケ

「英語の勉強をし直す」


ついに!Distinctionチャレンジが30日目を迎えました!!!
凄い!僕!

「筋トレで細マッチョになる」


いつも通りの筋トレメニューに加えて、

大胸筋と上腕筋を鍛える腕立てをやってみましたが、見るも無残な姿に(笑)
腕がパンパンになって、疲労感で上がらなくなってしまいました。

よほど大胸筋まわりの筋肉が足りないんですね…。元運動部だったので、なかなかに情けないです。

「朝方人間になる」


今日はなんと5時半に目が覚めるという。確実に起床時間は身体が覚え始めていますね。いい傾向。

でも、でも…。二度寝だけがどうも…。これは何か根本的な解決が必要なようです。

おやすみなさい

今日は長くなりました。
休学エピソード、いかかでしたか?
まったくバカなことしているでしょう。僕。

今思えば本当にバカなことしてると思います。でも、同時にそんな僕を愛おしく感じるんです。


今後も、僕は休学体験記を書き続けます。最初に申し上げた通り、これは休学を薦めるような意図では書いていません。

ただただ赤裸々に、僕の休学という経験を記しているまでです。その中から、(ひょっとしたらいるかもしれない)読者が、自分に活きると思ったものを抽出してもらうことが目的です。けっして、休学に関する一般論や偉そうな助言をする気はありませんので。僕の生々しいまでの実体験を語るまでです。
なので、不必要な情報や、場合によっては人を不快にさせてしまうような内容も含まれるかもしれません。申し訳ないです。ただ、どこまでも赤裸々に書くことに、この記事の価値があると、僕は思っているんです。

エッセイくらいの感覚で読んでいただくのがちょうどよいかもしれません。

では、今日はここらへんで。明日はもっと明るい話題がいいな。

ではでは。ヨタロでした




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