見出し画像

ここではないどこかへ:睡蓮の池へ飛び込むのは母

お昼に買い出しをして帰ってきたら、モネの睡蓮が印刷されたポストカードが投函されていた。
見覚えのあるこのポストカードの裏を見ると、母からだった。
シルバーウィークで行った箱根のポーラ美術館で購入したカードである。
ポストカードには実家の住所とうちの住所以外何も書かれていない。

メッセージなど皆無のポストカードだった。

11月3日まで、箱根のポーラ美術館ではモネとマティスを取り上げた展覧会が開催されている。
そもそも箱根にポーラの美術館があること自体初めて知った。
けれどそういえば、前職で対応したブライダルのお客様が箱根の美術館のキュレーターさんだとおっしゃっていた気がする。
美術関連に明るいわけではなく、ただ好きな絵は好き、という程度なわけなのだけれど、それでもモネの睡蓮は見てみたいと思っていた。
(マティスは全く知らなかったのだけれども・・・)

画像1

モネの基礎知識がほぼ皆無だったので、展覧会の入り口のイントロで、モネの説明を聞いて驚いた。

あの太鼓橋がかかる睡蓮の庭は、モネが作らせたものだったということ。

池の水は確か、セーヌ川から引いてきているのだとか。
池に浮かぶ睡蓮は、外国から輸入したものなのだとか。
そうやってモネの脳内の自然を、人工的に完全に表現した箱庭。

「絵筆をとるために、庭を造った」

展覧会には、モネの有名な睡蓮の絵画以外にも、様々な絵があった。
フランス郊外の午後の並木通りを外れて歩く婦人たち。
夕日に溶けていく聖堂。
暮れなずむ夕焼けを背に、テムズ川へ溶けていくビックベン。
点描画のような書き方で、優しい色使いの彼の絵画は、眺めていて癒されると同時に、そこへ連れていかれるようだった。

水を題材にした絵が多く、揺蕩う水面の描き方が印象的だった。
水が先なのか、絵を描くことが先なのか、どちらへの執着が先に来て、筆をとらせているのか、ふと考えたりもした。
にわとりと卵問題できっと始まりは溶けてしまっていたのだろうけれど。

後半に行くにつれ、モネの老いが、絵画を通してもわかる。
曇っていく視力と闘いながら描いたらしい睡蓮の池には、もはや睡蓮も水も、見る影もなかった。

パリで成功を治め、それを手放してでも郊外で庭を造ったモネ。
空想の庭を現実へ引き寄せたそれをずっと眺めていて、晩年はどんな思いになったのだろうか。
老いと闘いながらもモネは描いたという。

わたしは美術館へ行くとよくポストカードを購入する。
けれどそれをモネのように手放して、誰かの手元へわたしの軌跡を渡す勇気はない。
どうしても、「やっぱり送らなければよかった」とか、「ここの壁に、あのポストカードがあったら・・・」と思ってしまいそうで。
そんな綿あめのような恐怖心があるから、手元にはたくさんのポストカードが、今も壁に飾られず眠っている。

母は、それを軽々越えてきた。
メッセージなど一切書かずに。

潔く、美しく、手放してくるあたり、大胆。
だけれど、言葉を綴らず、絵だけを送ってくるあたりはとても詩的だった。

モネもわたしも飛び込めない彼の睡蓮の池へ飛び込めるとしたら、

それは多分、母だけだと思った。

画像2

おしまい

頂いたサポートは、note記事へ反映させます! そしてそのサポートから、誰かとの輪が繋がり広がりますように...