見出し画像

空を飛びたい、空から撮りたい。

空を飛びたい、空から撮りたい。

 空を飛び交うヘリコプターを、見上げたことはありますか?
旅客飛行機と地上の間を、縫うように飛ぶヘリコプター。救難や要人などを運ぶ自衛隊機、人や物資を運ぶ輸送機、そして報道機。僕は、そんな様々なヘリコプターの中でも、報道機ではない「空撮用のヘリコプター」に乗って、空からの映像や写真を撮影しています。実は今に至るまで、挑戦と挫折の連続でした。

 空を飛んでみたい。そんな想いは男の子なら誰でも持つ夢ではなかったでしょうか。高校時代から始めた写真の勉強に写真専門学校へ通った後、僕は小学生の頃からの夢を実現するべく、20代前半からバイク便や夜間のトラック配送などで資金を貯め、自家用のヘリコプターの免許を取得に挑戦しました。ヘリコプターの持つ自由な航路、救助などで人の役に立つ、それでいてどこか泥臭い回転翼が好きだったのです。


 しかし、取ったのが事業用ではなく自家用のライセンスであったことと、またバブル崩壊後の航空業界のパイロット就職難という時代で、プロパイロットへの道は諦めざるを得ませんでした。これが、最初の挫折。結果、郊外の邸宅の写真を「空から勝手に撮影して販売する会社」のスチル写真のカメラマン兼パイロットとして、日本全国を数年飛び回ることとなりました。

当時は6✕7を220で数十本撮影していました
工事中のセントレア空撮

 その後家庭の事情で離職、離婚。また挫折です。頭のモヤモヤが取れないまま、カメラを持ってネパール、エベレストの麓までトレッキングの旅に出ました。そこは標高5500mという、ヘリコプターですら到達したことのない高度。薄い空気の中この目で見たのは、限りなく黒に近い蒼空と見渡すかぎりの8000m峰。それまで自分が見てきたものとはかけ離れたスケール感の大地でした。そんな被写体に直に接し写真を撮り続けた僕の胸の中は、改めて「写真を撮りたい」という想いでいっぱいになったのです。

エベレストトレッキングにて

 そのネパールからの帰り道、ぶらりと立ち寄ったバンコクの書店で最初に目に入ってきたものは、フランスの有名な航空写真家ヤン・アルテュス・ベルトラン氏の「Earth from above」という世界中の絶景の航空写真集。鮮やかな空からの風景。これはもう、航空写真をとことんやれという、何かのお告げでしかない!と、頭のなかを電気が走ったのは言うまでもありません。そして帰国後、「航空写真家」として改めて名乗りを上げたのでした。

飛んで写真を撮るならなんでも。
モーターパラグライダーもしてました。

 それから数年、ヘリコプターによる安価な映像の空撮の需要が増え、次第に撮影の軸足が写真から映像に移るようになってきた頃に、あれよあれよという間に空撮専門のヘリコプター航空会社「ヘリテック・エアロサービス」を東京ヘリポートに設立することになりました。そこで航空写真、映像の空撮を専門にしながら、航空会社の共同経営をする事となります。それも未知の挑戦でした。

はじめて購入した「自社」ヘリコプター
飛行船での撮影もしてました。
機内のようす
機内からの眺め

 「空から日本を見てみよう」

 さて、そうして航空写真や空撮映像の仕事をしていると、「空から見ると奇妙なモノ」を度々見つけることになります。日々、空から見ないとわからないような、面白い発見がいっぱいです。もともとの自分の面白がりの性格もあり、発見したものをチルトシフトレンズで撮影したミニチュア的空撮写真集を自費出版してみたり、江ノ電をミニチュア的に空撮した写真集が出版されたりしていたら、突然驚くようなオファーがやってきました。

 テレビ東京(当時)の名物プロデューサー永井氏から、「空から変なモノを発見する空撮バラエティ番組」の撮影のオファーがきたのです。それも毎週新作放映の番組。それは、比較的安価で小回りの効くヘリコプターに安価なスタビライザーを搭載して、営業運航を開始したばかりの空撮会社にとっては、願ってもない話でした。

 テレビ東京系、毎週木曜日の20時からという時間帯で空撮メインの1時間番組。それも日本全域にわたる空撮。曇りや雨の日を避けて、必要な撮れ高をキープしなくてはならない、ハードな挑戦。それからはもう毎日天気図とにらめっこ。天気の良い日は必ず撮影で飛び回る毎日となりました。

 これは当時の裏話なのですが、その頃使用していた機体の防振装置付きカメラ(スタビライザー)は、機体の横に装着するタイプでした。ですが、番組の基本は前進しながらの空撮。つまり、ほぼすべての直進前進撮影は、ヘリコプターを真横に飛ばし続けて撮影していたのです。横っ飛びなんて、パイロットとカメラマンが撮影方向を見やすいというメリット以外はデメリットだらけ!速度が出せない、横風に弱い、同乗しているディレクターが酔いやすい、右方向への横ドリーカットが撮れない、燃料が偏る…などなど、今思い出しても苦笑します。北海道から沖縄まで、ひたすら真横に飛んで撮影していました。地上からその様子を見ても、おそらく相当怪しかったはず…(笑)。番組はテレビ東京の報道機のヘリコプターと併撮でしたが、地上波放映の72本の9割程度は僕の撮影です。その後、BS JAPANに移行してからは100%の空撮を請け負っています。

 

地上波終了時の打ち上げにて

  ドローンデビュー〜マルチコプター撮影

ところで、番組の地上波放映が一旦終了した頃。株主と経営方針の違いから、自分達が設立した会社から離れ、再び個人事業主となりました。ということは、これまでのようなヘリコプター実機を駆使しての空撮は、格段にしにくくなったわけです。またも大きな挫折。翼をもがれた空撮カメラマンは、さすがに途方に暮れました。

 失意の中、けれどもそれを機に、今でいう「ドローン」に挑戦することになります。航空会社経営時から気になっていたけれども手を出せなかった、その当時世の中に出たてであったドローンの一種、「マルチコプター」なるものでの空撮を開始。翼は小さくとも、カメラは飛ばせる。小さな翼だからこそ、撮れるものがある!そう信じて。

 まだ当時は、マルチコプターのまともな機体は日本では販売されていなかったために、ドイツや中国からの個人輸入でパーツを買い集め、ろくなマニュアルもない中、夜な夜な機体を組み立てました。そして当時のあまり性能の良くないジンバルを装着して、空撮を再開。今でこそ20万円もあればアマゾンで高性能なジンバル付きPhantomを購入できますが、その当時はまわりにマルチコプターを飛ばしている人はほぼ皆無、というような時代でした。

DJI Phantomが世に出るよりも前にドローン空撮開始

「空から日本を見てみようplus」とドローン

初めてのマルチコプターで苦戦しながら経験を積んでいると、BS Japanで番組「空から日本を見てみよう」が、続編として再開されるという話がやってきました。空撮を、ノウハウのわかっている僕に任せてくれるというありがたい話です。そこからヘリコプター運航を引き受けてもらえる会社を探し、空撮機材を選定し、ヘリコプターからの空撮をスタビライザーのオペレーターとして再開。同時に当時やっと「使える」映像が撮れるようになってきたマルチコプターとブラシレスジンバルでの空撮のサービスを並行して開始。まだヘリコプター実機から以外の、被写体に飛びながら近接する空撮が珍しかったこともあって、様々な場所での撮影を行ってきました。

  ドローン空撮

 ここ数年ほどでドローンという言葉が世間一般に認知されてからは、ドローンでの空撮・運用をサービスする株式会社HEXaMediaを設立。航空法の改正などに細かく対応しながら現在に至ります。空撮を始めてから20年、航空写真家を名乗ってから15年、がむしゃらに挫折と挑戦の日々。

 

ビデオサロン2016年2月号掲載
2022年3月加筆修正


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?