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僕が小説を書いた理由

僕は2000年から出版社で編集者として働き、2016年に退職しました。最終役職は電撃文庫の編集長です。現在はストレートエッジという会社で、同じく編集者として働いています。

このたび、自分は一念発起して、編集者としてではなく一人のアマチュア小説家として小説を執筆しました。
タイトルは『チートの王』です。
https://ncode.syosetu.com/n3229ga/

このnoteを書いた理由なのですが、もし自分を知る人がいたら、まず初めに、

「なんでお前、編集者のくせに調子に乗って小説とか書いちゃってんの?」

と思われたでしょう。

それにはわけがあります。

自分は小説の編集者を生業とし、アニメやゲームのプロデューサーも兼務をしています。

つまり、小説を評価したり修正指示したりする側の人間であり、あくまで非クリエイター領土にいる人間だと周りも認識しているだろうし、自分もそう思っております。

これは業界のあるあるネタなのですが、編集者やディレクター、プロデューサー職の人間は、クリエイターが生み出した『まだ世に出ていないコンテンツ』を評価し修正指示するのが仕事なのですが、その立場になるための免許もなければ、資格試験も必要ありません。

コンテンツを扱う企業に新卒や中途採用で採用されれば、誰でもなることができます。もっと言うなら、フリーとして活動し、ただ名刺にそう書けば名乗れます。

日本のコンテンツ(主に、マンガとアニメとゲーム)は、自動車や小型カメラといった精密機器のように、日本が誇る『世界で勝負することのできるもの』の一つです。

なのですが、そんな優れたコンテンツをジャッジする人間は、ノウハウや積み重ねた経験がなくとも、感覚で仕事ができます。その役職にさえつければできてしまいます。

実際僕も出版社の新人時代に、なんのスキルも経験もないにもかかわらず、小説家さんを相手に偉そうなことを言っている自分を自覚した瞬間がありました。

心の中でその行為に疑問符をつける自分もいました。

僕の中では、ずっとずっと長年に亘り、その疑問符を自分の中で解消したいという想いがありました。だからこそ僕はがむしゃらに働いて、必死に編集者のスキルを磨き、経験を積み重ねてきたのだと思います。

自分が担当につくことによって、間違った判断や致命的ミスジャッジをして作品に傷がついてしまったら最悪です。

そうならないように、その小説家さんにどんなメリットを与えることができるのか……それを夢中で考え続けて、最高の利益をもたらせる編集者になるべく努力しました。

その集大成と言えるものが、2015年に発売した『面白ければなんでもあり』という書籍です。これには自分が突き詰めてきた編集術を詰め込みました。

編集者だけでなく小説家さんにとっても役立つものになることを心がけました。

プロデビューしていない、アマチュアの小説家さんへ向けての小説づくりのハウトゥーも盛り込みました。

たとえば「こうすればいい作品は書ける!」「物語を面白くするためにはここに気を付けて書け!」「こういう作品は魂が込められてないから支持されない!」といったことを、今までの自分の経験則に基づいて。

しかし、このように編集術を昇華させたつもりでも、まだどこかで燻るものがあり、やり切ったという感覚にはなりませんでした。

まだどこかで心の中の疑問符が僕には残っていました。

なぜ疑問符は消えないのか。僕は心の中を整理してみようと考えました。

そもそも、クリエイターの生み出したコンテンツへ評価や修正指示を出すという行為には、そう言うだけの『責任』が伴います。

そして、いくらその責任を負うとしてもクリエイター本人ではないので当然に限界があります。クリエイター本人のキャリアを背負えるわけもないので仕方ないのかもしれません。

いうなれば、プロ野球選手への技術指導を観客席から行うような、わかりやすく言うと『ケツを持てない』というやつです。

たとえば、偉そうな編集者や傲慢なプロデューサーへの『創作側の本音』として、「(そんなにいろいろ文句を言うのなら)じゃあ、お前が自分で書けばいいじゃん」というアンチテーゼがあります。

これは、身勝手なことを言う僕ら非クリエイター側への皮肉でもあり警告とも言えます。

これからもこの業界では、両者の間で普遍的に交わされる永遠のテーマであり続けることは間違いありません。

だからこそ、

僕はいつしか、この警告を真正面から真摯に取り組んでみようと思い始めていました。

つまりは、

「じゃあ、お前が自分で書けばいいじゃん」

――たしかに、そうだ。

だったら、本当にそうしてみようじゃないか。

この言葉を発せられたら目を瞑ってやり過ごす――のではなく。

逃げずに向き合ってみる。

この言葉を発せられたら『役割の違い』という理由で諦める――のではなく。

前を向いて挑戦してみるんだ。

僕が自分で小説を書いてみるんだ。

やり方は、僕が今まで歩んだ道を辿り戻ればそこにあるはずだ。

創作の根幹とはなんでしょうか。

それは、自分が『これ面白いと思うんだけど!!!』と感じた気持ちを、誰かに共有する行為です。その手段や方法の違いが個性や魅力を生み出します。

もっとも大切なのは、単純で原始的な自己の衝動、それだけです。

クリエイター側とか、非クリエイター側だとか関係ありません。

編集者だろうが小説家だろうが大統領だろうがホームレスだろうが、それについては誰もが等しく平等なのです。

誰かに、自分の『面白い!』を伝えたいという衝動さえあれば、創作物は生まれます。

表現する手段は簡単です。衝動にしたがって物語を書けば良いのです。

僕もその信念に基づいて、自分の『これ面白いと思うんだけど!!!』を、力一杯に詰め込みました。

僕の『面白い』が詰まった小説を、みんなが読んで面白いと思ってもらいたし、つまらないとも思ってもらいたい。褒めてもらいたいし、けなしてもらいたい。評価してもらいたし、ディスってもらいたい。

自分が考える『面白い』は、みんなにとってどうなんだろう。知りたい!!

――これが僕が小説を書いた理由です。

仕事の合間に、頑張って書きました。もしよければ、楽しんでくだされば幸いです。

これが僕の、『ねえみんな、これ面白いと思うんだけど!!』です。

タイトルは『チートの王』です。
https://ncode.syosetu.com/n3229ga/

2020/2/10 三木一馬

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