秀吉VS利休の対立の謎、クリエイティブには本来お金のなる木を育てる力があるはず


最近、秀吉VS利休は何が対立軸だったのだろう、と空想してみたのですが、この2人の対立軸をどこにあると考えると面白いでしょうか。

・成金的な悪趣味 VS 上品な貴族趣味

的な対立軸でも作れればお気楽でよいのですが、これだと個人的にはあまりリアルさを感じられません。


利休の有名な仕事の1つは

・「ただのその辺にあるもの→新しいものの見方→高い価値」

というある意味での広告代理店的な価値の転換でした。

たとえば、 ただの竹を切って、ごく軽く加工して花入れにしたりとか。

20世紀でいうと現代アート(デュシャンの泉など)に共通するのですが、

・ただのその辺にあるもの
・新しい視点を提案する
・全然別の価値が生まれる

という構造の仕事がなされています。

(希少な材料と名人芸の職人を投入した贅沢な仕事ではなく)ただのその辺のものを使い方を変えてオモシロクした、という有名な仕事が残ってるので、保守的な伝統芸術というよりも革新的な現代アートに近いのです。

ネーミングによって富が生み出される

誰が言い出した話か忘れましたが、「利休は世界最初のクリエイティブ・ディレクター」なんてことを言う人もいますし、それは正しいと思います。

利休は、ネーミングや名付けで富を生み出したという意味で、日本史上最初の広告やマーケティングのプロと言ってもいいかもしれません。

(信長をはじめとする当時の武将たちが茶器に高い価値を見出すマーケットを形成していたという背景があっての活躍ではあります。信長が社長で利休がブランディング担当役員、みたいな構造なので。)

ネーミングで巨大な富を生んだ例、現代日本でいうなら、女性だけの飲み会や食事会に「女子会」という名付けを(どこかの広告代理店の誰かが)したら、レストランとレストラン向け広告媒体とレストラン利用者のみんなが喜ぶとても便利な概念ができた、というのがいい例でしょう。

いわゆるアート的な領域の外でも、新価値を提案するという名付けの力は強力に作用しているのです。

戦国時代、茶器はある意味で仮想通貨だったのかも

信長は茶器を積極的に恩賞として活用していました。(土地には限りがありますが、茶器や名物は作れますので)

当時は、現代よりも贈答品の交換による流通の存在感も大きかったようなので、「すごい贈答品」の需要は現代よりも高かったと思われます。

純粋に八朔に贈り合う品としてだけ使う分には、鑑定団を用意して裏付けをすることは必ずしも必要ではないかもしれません。

(※八朔(はっさく)の贈り物、中世の日本の上流階級でのお中元みたいなもの。お返しが社会的な義務だったので苦労もあったようです)

ただ、贈答品をもらった人が必要に応じて「換金」もできるようにするには、利休みたいな人に「この茶器はドバイ1国に相当する価値があります」みたいなことを言ってもらう仕組みにしたほうがやりやすいでしょう。

ただのすごい映画より「●●賞受賞のすごい映画」のほうがプロモーションのネタが増えて楽っていうのと似たような話です。

ところで、「1国の価値がある茶器」の価値を認定できるというのは、ある意味で、仮想通貨の発行権を持てるようなものです。その辺のただの器に、利休が「これ価値がある」と言えば、数億円~数兆円の価値を認識する人が出てくる、というような話なので。

となると、仮想通貨「茶器」の発行権を使える立場になった利休 VS  富と権力をもっと独占したい権力者の秀吉、という対立軸を考えてみると面白いかもしれません。


参考

利休の竹の花入





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