革命と南下の逆風その4〜チリ サンティアゴから パラグアイ〜


バルパライソからさらに南下し、首都サンティアゴに入った。
サンティアゴでは巨大な遺跡のような教会とそれに付随し、その周りを取り囲んだ遺跡を利用したかのような繁華街をぶらついた。大通りでは先住民族の権利を守るためのデモも行われていた。ハンガーストライキも続いているとのこと。どうやら不当逮捕された先住民のリーダーの解放を求めてらしい。
先住民の権利活動や研究調査に関しては、大多数が先住民のボリビアやペルーより、ヨーロッパ系の入植者が多く、圧倒的多数を占めるチリの方が一層活発だった。つまりは当事者でなく、その対象として取り扱う人が多かったのだ。
サンティアゴではお決まりの、赤ワインとガウショの育てた牛肉をアサードと言われるBBQスタイルで炙った焼肉を堪能した。

数日してサンティアゴを後にし、アンデス山脈を越えるトラックをヒッチハイクで繋いでパラグアイに向かった。トラックに揺られて母を訪ねて三千里のマルコに思いを馳せながら、道なき道を進んで行くと、途中山奥の古びた教会に止まった。白く塗った土壁でインカ文明の古代遺跡のような教会には、キリストが捉えられ十字架に架けられるドロローサつまり十字架の道行の絵があった。よくよく見ると十字架に架けられるキリストは、褐色の肌で先住民のようだった。捉えて十字架に架ける方は、ローマ兵でなくスペイン兵だった。罪のない先住民は突然のスペインによる理不尽な侵略や謀略の数々をキリストの受難になぞらえていたのだ。つまり侵略より宣教の方が早く、キリスト教がよりスムーズに深く浸透して土着化していたのが分かる。そう思えば日本ではキリスト教布教に対して、織田信長が好意的だった反面、豊臣秀吉が疑心の念を抱いたのも頷かざるを得ない。そしてその疑心は徳川家康や家光によるキリシタン弾圧へと引き継がれる。
途中湖があり、ビクーニャやらアルパカやらが水を飲み、その周りをフラミンゴなどの水鳥たちが戯れていた!水鳥たちが群れをなして急に飛び立ったり、どこからともなく来て群れで急に次々に着陸する姿は圧巻で、神々しくもあった。何か天からの詔を告げるための使者が、地上に降り立つかのようだった。実際に先住民たちは何らかの形で天からの詔を受けてそれを大切に生きて来たのだろう!宇宙の創造の一部分として。


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