カインド・オブ・ブルー

大学生の頃に父親が入院し、僕は一時的に故郷に帰省して父の看病をしていた。父親の様態は悪く、しっかりと話せる時とそうでない時があるような状態だった。その父親の隣のベッドには、意識があるのかわからないような寝たきりのおばあさんがいて、時々口から痰が溢れそうになり看護師が吸引をしたりしていた。

何日か病院に通っているうちに、どうもそのおばあさんは特定の看護師が担当になると顔が何となく笑顔になることがわかってきた。細かい表情の違いだけど、何日かずっと横にいた僕にはその違いがわかるようになった。たぶんこのおばあさんにはちゃんとした意識があるのだ。ただそれを外部に伝える手段がない。
おばあさんが気に入っているその看護師は、とても丁寧に援助をするぶん、仕事の進みも遅かった。そのせいで、他の看護師にきつい言葉をかけられたりしていた。それでも隣のおばあさんにはいつも丁寧に、そして優しく話しかけたり体を拭いたりしていた。
ある夜(僕はだいたい夜中に病院に来ていた)、そのおばあさんにちょっと話しかけてみた。たぶん意識があるのなら何か話してみてもいいだろうと思ったのだ。その時に何を話したかは覚えていないけど、おばあさんはもちろん話すことはできないので僕が一方的に話していたのだと思う。
ちょうど僕はその時マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」をCDプレーヤーで聴いていた。僕はそのイヤホンをおばあさんの片耳に入れてみた。そして、マイルス・デイヴィスのこのアルバムに対して僕の感じていることを話したような気がする。するとおばあさんは少し驚いたような表情になり、しばらくして目から涙のようなものがこぼれた。それが涙なのかどうかはもちろん僕にはわからない。ただこの時、こんな風に自分の思いを伝えることもできず、動けないままベッドに横になっているだけの人たちが多分たくさんいるのだろうということは、あまりにも十分に理解できてしまった。

今でもカインド・オブ・ブルーを聴くとその時のことを思い出す。そしてその病院で他界した父のことも。僕にとってこのアルバムは、その当時の自分が体験した重要な何かが詰め込まれたような、とても大切な存在になっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?