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被写体との距離感が良い写真について考えて続けたこと

好きな写真家の方が、Twitterである写真家についてこう評していた。

「被写体との距離感が良い」

もちろん褒め言葉なのだが、当時の私は「そんなん写真見てわかるもんなの?」と思っていた。実際、私はわからなかった。

スマートフォンのカメラ性能が上がり、一眼レフもお手頃な価格で手に入るようになった。様々な特性を持ったSNSが発達し、作品を発表できるチャンスが均等に与えられた。誰もがクリエイター(写真家)を名乗れる時代、素人とプロを徹底的にわけるものが何か、私にはわからなかった。
(特に、写真や文章は、プログラミングのような明確なスキルレベルがないため、余計に判断基準に戸惑っていた)

長年このテーマを考えあぐね続けていたのは、私自身が映像作家を目指しているからだった。学生時代から趣味でカメラを回して思い出ムービーみたいなのは撮っていた。好きなことが仕事にできればいいな。と思っていたが、紆余曲折あって(単に就活で諦めてしまっただけだが)、今はWebディレクターの仕事についている。

今でも映像作品や写真を見て、「うわ、すごいな」「こういうのつくりたいな、こういう仕事がしたい」と心揺すぶられることはあるが、今の職場環境に困っているわけでもないし、そこそこやりたいことに近い仕事ができているから、なんとなくこのままでいいかなと思っていた。

しかし、つい最近あるMVと映画を見て、「やっぱり映像の世界に行きたい、ここで勝負したい」と強く思い、決意した。

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そんな決意の矢先、会社の元同期が実家の北海道に帰るという連絡をもらった。その元同期は同じチームで一緒に動くことも多く、信頼も強かったし仲も良かった。社会人とともに始めた、たった2年の東京生活。ふと、2.6畳のワンルームで慎ましやかに暮らしていた彼女とその部屋を撮りたいと思った。

今まで、学校行事や旅行にカメラを持っていったことは何度もあった。でもそれは、メインイベントが別にありその記録の一環として機能しているものだったから、「撮る」ことがメインで人と会うことは初めてだった。これが、「この世界で生きていきたい」と決意してから初めてカメラを手にとった瞬間だった。

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実際に撮ることだけを目的に部屋に訪れると、なんだかそわそわしてしまった。まず、カメラマンと被写体という関係性がちょっと恥ずかしい。私もプロではないし、彼女もモデルではない。素人同士の撮影。カメラを撮りだし、「じゃあ撮ろうか」という雰囲気をつくるのもなんだかこっ恥ずかしかった。

やっとのことで気持ちを入れ、ファインダーを覗いてすぐに感じた。どう撮ればいいかわからない。寄りとか引きとか、光の角度とかそういう技術的な問題ではなく、彼女との距離感が掴めなかった。あれだけ本音をぶちまけて言い合ってきた戦友みたいな関係だったのに、ファインダー越しだと心的な寄り添い方がわからなくなった。その時、冒頭に書いた言葉が思い浮かんだ。

これが、被写体との距離感ってことなのか。

友達でもない、初対面の人を撮る。初対面なだけでなく、撮られることに関して素人かもしれない。そんな中で、被写体との距離感をはかる。

被写体の顔を撮ればいいわけじゃないと感じた。その人が醸し出す雰囲気は、周りの環境に影響する。それをまとめて収めないと駄目だ。

私が趣味のまま続けていければいいやと思っていれば、気付けなかったかもしれない。この世界で戦いたい。そう決意した瞬間、上を行く写真家たちとの実力の差がはっきりした。

今まで写真を撮ってきた中で一番悩んだ時間だった。でも、撮り終えたときに解放感があった。

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悩みながら撮った中で、一番いいなと思えたのは、肩を組んで一番近くで見てきた友人を少し離れて撮った一枚だった。

少し、写真の見方・撮り方が変わった瞬間だった。

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