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20歳の夏、乾杯は1日の始まりだった

「はい、お疲れ様〜」

仕事上がりの夜、新橋のテラス席で会社の同期をビールジョッキを控えめに打ち鳴らした。新橋の飲み屋街は、緊急事態宣言時にニュースで見ていたよりは賑わっていたけれど、一年前と比べるとまだまだ静かだった。

「で、今日はどうしたの」

非常事態宣言が出た4月からずっと在宅勤務の私は、今日も家で作り置きのおかずを食べてさっさと寝るつもりだった。ただ、定時2時間前に一番仲の良い同期から飲みの誘いがきて、気付いたらOKのスタンプを送っていた。

「うん、ちょっと仕事で苛々して…」

なんとなく、そんな気はしていた。滅多に誘ってくる子じゃないから、何かあったんだろうとは思っていた。

納得のいかない人事異動や、自分のやりたいこととはかけ離れた仕事、組織の粗など、社会人3年目になった私たちは、新卒の頃は必死で気付かなかった、いや気付かないふりをしていた、微妙な歯車の掛け違いに否応なく目が向くようになってしまった。仕事終わりに「お疲れ様」の乾杯から始まる飲みは、いつの間にか仕事の愚痴ばかりになっていた。

「そういえば、岡田辞めるって聞いた?」
「小林さんも転職するらしい。元々やりたかったクリエイティブやるんだって」

年の近い先輩は、微妙な歯車の掛け違いを正すために転職していく。新卒から2年間、25人誰も辞めなかった奇跡の代を讃えられてきた私たちの同期すら、今後を見据えて徐々に辞めていっていた。

「あーあ、私もそろそろ転職かな。実は面接とか受けてるんだよね。ちょっとだけど」
「まあ、そういう時期だよね」

なんて軽くいなしてビールを煽ったけれど、内心は驚いていた。一番仲が良くて、何度かあった組織変更の中でもずっと同じチームにいた子だったのに、転職を考えていることにまったく気付けなかったことに動揺していた。私も何度か転職を試み、転職サイトに登録して軽い面談もしてみたけれど、職務経歴書を書き上げるほどの熱意もなく毎度フェードアウトしていた。

「3年目だからね、もうそろそろみんな動くよ」

そう言って、ジョッキに数センチ残っていた味のしなさそうなビールを飲んだ同期は、3杯目を頼んでから「でさ、今日仕事でさ…」と、苛々した様子で話し始めた。

思えば新卒の頃は、何かをやり遂げたことを祝う「お疲れ様」だった。3年経った今、「お疲れ様」の乾杯は今日という日に起こった理不尽に耐え抜いたことを労うものになっていた。

***

最近酔いが回るのが早い。ハイボールを4杯くらいしか飲んでいないのに、所々覚えていない。
火照った身体を冷やそうと、ミネラルウォーターを買うためにセブンイレブンに寄った。

蒸し暑い夏の深夜のコンビニ。なんとなくドリンクコーナーを物色していると、大学生2年生だった20歳の夏を思い出した。

当時、私は映像制作に学生生活のすべてを捧げていた。なにかをつくる仕事がしたいと本気で思っている人たちが集まった、作品最優先のゼミで朝から晩まで撮影と編集ばかりしていた。

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アルバイトにも入れなくて、スタジオや小道具の費用がかさんで、お金のなかった私たちはいつもコンビニで買った安いチューハイを飲んでいた。企画が行き詰まったり、ぶっ通しの撮影で疲労がピークになった深夜にはいつも誰かがチューハイとつまみを買いにコンビニに走った。

疲れた時ほど、「詰んだな~、とりあえず飲むか!」と乾杯をした。疲労とストレスでいつもベロベロになり、いつの間にか夢を語っていた。今思い返せば、酔っぱらいの戯言みたいな暑苦しい話だったけれど、みんな前を向いていた。「テレビ局でバラエティ番組をつくりたい」「アーティストと一緒に感動を届けたい」。ひとしきり夢を語り、深夜2時から編集を再開した。

あの時は、「今から頑張ろう」の乾杯だった。行き詰まったら仕切り直しで乾杯して、また頑張る。体力と勢いに身を任せたやり方だったけれど、乾杯は私にとってエネルギーチャージだった。1日の終わりではなく、1日の始まりだった。

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あれから5年が経って、私は25歳になった。20歳の深夜、チューハイを飲みながら語った夢は一つも成し遂げていない。社会の理不尽を知り、自分の限界値を知った、大人になったと思えばそれなりに聞こえは良いかもしれないけれど、思っていたのと少し違った現実に文句を言いながらビールを流し込んでいる自分がちょっと情けなくなった。転職すれば、フリーとしてなにかを始めれば…。たらればばかり頭の中に並べ、何も行動に移せていない。

また、乾杯から1日を始めてみようか。
手にとったミネラルウォーターとともに、安い缶チューハイを手に、深夜1時のコンビニを出た。

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