カメラは写真を撮るための機械である
『住宅は住まうための機械である』
建築家ル・コルビュジェは環境が劣悪な伝統建築からの脱却を目指しこの言葉と共に「近代建築の5原則」を提唱した。その5原則がこれ。
ピロティ
屋上庭園
自由な平面
水平窓
自由なファサード
近代建築を勉強するとみんな一度は通る道。住宅を「機械」に比喩することから当時の業界からは大きな反響があったみたいだね。
でも彼は伝統やさまざまなしがらみから逃れるために、そして自分の思いを建築として表現するために、あえて「機械」と言う冷たい表現をしたんじゃないかな。
実際にコルビュジェの建物はさまざまな表情を持っていて冷たいなんて言葉とは似ても似つかない建築。東京だと国立西洋美術館がコルビュジェの設計だから(厳密には違うけど)一度行ってみるといいよね。
当たり前だけどカメラも機械
建築とカメラは違うものだけどあえてボクももう一度言ってみたくなった。それが、
『カメラは写真を撮るための機械である』
ボク達はカメラがないと写真は撮れないし、カメラは電子機器が搭載されたまさに機械であるのは間違いない。だからこの言葉の通りなんだけどね。
最近はカメラ本体の価格高騰もあって10万円を超えるのは当たり前で、趣味でカメラ買ってるボク達にすると大きな出費。
かかる費用に比例してそこに思い入れが入るのは必然だよね。
「これだけ高いカメラなんだからいいものであるに違いない」「このカメラをボクにとって最後の一台だ」「Aメーカーはダメだ、ボクの持ってるBメーカーの方が優れてる」
こんな言葉はカメラやってる人たちの口からよく聞くよね。実際にボクもな何度も口にしていた気がする。でもそれは仕方ないことで、高価なカメラになるほどバイアスがかかって実際以上に愛情を注ぎがちだし、実際以上に優れたものだと思いがち。
そんなボクも超高級カメラのライカを買ったところで、しかもいろいろあって今ボクの手元には色違いのライカM10がある。
ライカのカメラはすごくいいもので満足感は高い。実際にボクも毎日持ち出して一人でニヤニヤしてるんだよ。
でもだからこそ今もう一度この言葉を言いたい。
『カメラは写真を撮るための機械である』
カメラが変わっても撮れる写真はそんなに変わらない
ボク達はこの事実を知っていつつ新しいカメラが出たら「AFが良くなっているから」とか「動画性能が上がってるしね」とか、いろんな言い訳をしながら新製品情報を検索している。
でもやっぱりわかってるんだよね。「カメラが変わっても撮れる写真はそんなに変わらない」ことを。
カメラを車に例えたらわかりやすいかもね。
車もいろんな種類がある。軽自動車からワンボックス、トラックやスポーツカーなど。それぞれが車だけどそれぞれに用途が違う。
安くて気軽に街乗りしたいなら軽自動車が最適だし、とにかく早く走りたいならスポーツカーがいいよね。でも街中のAからBへ移動するだけならどの車を選んでも実は移動時間はあんまり変わらない。
それと同じことがカメラでも言えるかもね。
AFが早い、画素数が多い、シャッタースピードが早い。シャッターボタンを押すまでのアプローチは多少の差があるかもしれないけど、出てくる写真の質はそんなに変わらない。
少なくともボクレベルの人間が撮る分にはボク自身は見分けがつかないし。(プロだと見抜けるのかもしれないけど)
だからカメラ”なんか”なんでもいい?
そうなったらもうカメラなんかただの機械なんだからなんでもいいんじゃない?ってなるよね。ボクが買ったライカもただの機械。
極論を言うとそうなるのかもしれないね。でもボクは一部違うと思ってる。
ボクがカメラを選ぶときに大切にしていることが「かっこよさ」。
人によっては「大きさ」だったり「安心感」だったりもするかもしれないけど、持ち主とカメラの間だけに発生する「何か」の要素は多分写真の出来に影響していると思うんだよね。
シャッターを押すときの気持ち
ボクはイヤホンしながらスナップをすることが多いんだよね。ボクを
ボクの世界に閉じ込めたままでスナップするのもアリだと思ってる。
「どんな気持ちでシャッターを押したのか」
それは押すタイミングの問題だろうし、そもそもシャッターを切ろうと思う気持ちの湧き上がりの問題でもあるかもしれない。
その後押しをするためにボクは音楽を聴きながら、ボクの世界に没頭しながらスナップをする。
そしてそんなシャッターを切る時の気持ちに影響するのが、ボクにとってはカメラのかっこよさなんだよね。(人によっては別のものもある)
だからボクはかっこいい(もしくはかわいい)カメラが大好きだし、カメラへの愛情を持つこともあるんだ。
だから、カメラへの愛情やバイアスがあることで、出来上がりの写真に影響を与えるとするなら、そんな考えもアリなんじゃないかな。
ブロガーとしてのボクとボク個人
片方でボクはブロガーとしての側面もある。ボクがレビューをするときは、盲目的な信者にならないように、そのカメラの特徴や適した人、メリットとデメリットを書くようにしてて、ボクじゃない誰かが大金を払ってカメラを買うことを考えている。
さっきも言ったけどカメラへの愛情やバイアスはボク個人とカメラ間で成立することだから、いい写真を撮るために最大限活用すればいいと思うんだけど、それをSNSで発信したり、飲み会の場でマウント取るような発言は控えた方がいいと思うんだ。
だからボクはこれからライカをメイン機で使っていくけど、「たかがカメラ」の気持ちを持ちつつ、でも裏では盲信的な愛情を持って接していくことになりそう。
青の愛情がSNSに滲み出そうな時はそっとDMで教えてほしい。「滲み出てますよ」って。
できないことだからあえてnoteに書きたいと思ったのもあるから、過剰にボク自身に期待はしていないけど、クールでかっこいい大人に見えるように「たかがカメラ」のライカM10をクールに使っていくよ、多分。
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