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マカーブルな人々

何故狂ったようにスタバなのか

メガテン5のウザい敵で一二を争う位置にいるマカーブルですが、リアルではスタバ等でよくエンカウントします。

この場合、マカーブルとはマカー(マッキントッシュユーザー)ぶる人々の事を指します。

特に都心部のスタバでは遭遇率が高く、東大近くのスタバでは複数人のマカーブルに囲まれた事があります。

なんで君ら狂ったようにスタバに集まるの?

元々は硬派だったマカー

クリエイターといえば林檎製品のイメージが強いですが、それは80年代〜90年代初頭のマッキントッシュユーザーのイメージを引きずっているからに過ぎません。

当時のデザイナー達にとって必携とされソフトウェア環境はマッキントッシュでしか揃わなかった為、Mac LC3やらLC4は、当時のクリエイター達の私生活を記した桜玉吉の日記漫画「しあわせのかたち」でもネタとして描かれています。(とはいえ、今はWindows環境でも何でも揃ってしまいますし、特段マッキントッシュでなくてはならない理由はありません。)

昔のマッキントッシュは黒く四角く、硬派なパソコンとして逆張りの大好きな一部のオタクに好んで使われていましたが、90年代後半に現れたiMacの登場によりこの立ち位置は一転しました。

一気に大衆化した林檎

パソコンらしからぬ風貌をしたiMacは一世を風靡しました。見た目のお洒落さも大衆受けした理由でしたが、ディスプレイと一体化させたことで購入総額を抑えられた点が、家庭用パソコンとしての普及を一気に推し進めました。

低速とはいえCD-ROMドライブを内蔵し、当時は画期的だった新規格のUSB1.0は素人にはメチャクチャ解りやすかった。あと意外に知られていないが、当時のDOS/Vマガジンでも紹介されていた通り、内蔵されたG3プロセッサは確かに優秀であった。(といっても、Celeronよりは秀逸、しかしPentiumⅡには負けるという立ち位置だった。)

当時の熱狂っぷりを知る一人として、モノ自体は(それなりに)良かったiMacの姿は、今のM1プロセッサM2プロセッサを搭載した(それなりに)優秀なMacBook Airに通じるものがあるなと思う反面、メモリ増設不可避の構造で売り捨てるような姿もあの時から変わってねぇなぁ、と思うところである。

実際、当時ゴリゴリのマカーはiMacを見て(こんなの俺の知ってるMacじゃない!)と失望したんちゃうかなぁ…。

林檎教に洗脳され支配されるマカーと、自由を追い求めるパソコンオタクの姿

こうして、iMacの登場により信者構成がガラリと変わってしまった林檎教界隈だったが、現代のマカーもある意味で逆張りオタクの一種ではあるものの、根本的には何となくオシャレな雰囲気の林檎教に洗脳された哀れなキョロ充に過ぎない。

何故なら、真の逆張りオタクはグラデオン卿のようなAMD信者になる為、彼等の立ち位置はやはり洗脳された哀れな子羊に他ならないのである。

そして自由と平和を愛する逆張りオタクのAMD信者達は、intel勢もNVIDIA勢も頭から否定をしたりはしない。彼等は目の前にある確かなベンチマークの結果の元に平等であり、互いの実力を認め合うライバル関係なのである。

林檎教に支配された現代のマカーキッズには理解できない事かもしれないが、Windowsユーザーの多くは、OS以前に高いハードウェア性能と自由度の高いソフトウェア環境を評価した上で、WindowsというOSを受け入れている。

Vistaやら7やらで改悪と改善を繰り返しつつ、叩かれたり神扱いされたりするWindowsだが、それは高い自由度があるが故である。不思議とMacOSではそういった声が上がらない辺り、やはりユーザーが林檎教に洗脳されているから節が否めない。

真のパソコンオタクが求めているのは、ハードウェアソフトウェア問わず、あくまで自由度の高い使用環境なのだ。

根本的なOSの違いに苦しむ

マッキントッシュの不自由さにはいくつかの例がある。

右クリックの歴史はWindows登場前に遡るが、Windows以前のMS-DOS時代、その時代に発売されたPC-98シリーズ向けの最初期のマウスにも右クリックと左クリックがあった。

一方で、伝統的にマッキントッシュのマウスには右クリックがない。特許の関係なのか逆張り故の個性の果てなのかは不明だが、とにかくMacOSは右クリックありきの設計ではない。

発売当初から右クリック使ってきた勢からすると、これがもう無理な要素となる。MacOSってそうした環境に最適化されてるので、長らくWindowsを使ってきた身の人間からするとめちゃくちゃ不自由に感じてしまうのである。

そもそも、左右のボタンが右耳と左耳に見えるからマウスなんじゃないの…?

あと、Windowsの原点はやはりMS-DOSにある。未だにDOSプロンプトが備わっているように、Windowsの根幹であるドライブ指定、拡張子、ディレクトリ(フォルダ)といったMS-DOS時代から続くファイル管理の概念も、MacOSには通用しない…というよりも、OS側が意図的に触らせないようにしている節があるため、これがWindowsユーザーにとっては、より不自由感を感じてしまうのである。

まるで情弱を丸め込んでるようじゃないか!

これらの事から、(マカーって実は林檎に飼い慣らされてるだけで、実は不自由なパソコン概念の中で、ありもしない自由をスタバで自己主張してるだけなんじゃね?)という解釈が成り立つのである。


見た目のデザインは秀逸だが、その実態はパーツの互換性も乏しく、カスタムもできない…あぁ、恐ろしい。

実にマカーブルである。

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