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第3話「卒業、そして新たな旅立ち」

メンズノンノンのモデル募集の結果は紙面で発表された。

応募総数が5万人ほどで、選ばれたのはたった一人。

「うーん、厳しい。まあ~、モデル募集に応募したのを知っているのは、自分だけだから、学校で恥はかかないで済んだかな。」カツヒロは木更津にある本屋さんで立ち読みしながらつぶやいた。

そうえいば、3年前に荻野目洋子のダンシングヒーローが流行ってて、その歌詞の中に♪今夜だけでも、シンデレラボーイ♪とあったけど、今回のモデル募集で抜擢された奴は本当にシンデレラボーイだよな。と思いふけた後に

「さ~って、本当に将来何やろうかな~?」と急に不安になったが、直ぐに気を取り直して、

「よーし、教師びんびん物語のトシちゃんみたいに、学校の先生をやってみよう。俺、案外、人にものを教えるの好きだし、公務員になれば将来安定しているから。」

「そうそう、俺、ダンスだけはちょっと得意だから、トシちゃんの抱きしめてTonightも踊れるし、子供達の人気者になれるぞ、きっと。」と思い、文教大学の教育学部を受験したが、結果は不合格だった。

大学受験勉強法51

「よーし、勉強がだめなら体育推薦で4大を狙おう。日体大ならバレーボールで体育推薦があるから、他より可能性があるかな?」と何か特に勉強したい事があるわけでなく、カツヒロは二人の姉がそれぞれ4年制大学に進学していて、自分だけ行けないとカッコ悪いから、どこでも良いから4大に入りたいとだけ思っていた。

カツヒロの姉たちは優秀で5歳上のサチコは国立大学、3歳上のユミコは都内の私立大学へ通っていた。二人とも高校を卒業後に母方の叔母が住む市川で下宿をさせてもらっていて、カツヒロも高校3年生の夏休みに姉たちの住む叔母の下宿に2週間程、一緒に住ませてもらった。

17歳の少年にとって、既に成人していて都会暮らしも慣れている姉たちが凄く大人に見えた。カツヒロの同級生の中にもお化粧をしている女の子はいたけど、姉たちは女子大生だから、高校生よりずっと大人っぽくて洗練されているとカツヒロは感じていた。

そういえば、サチコ姉さんの彼氏は青山学院大学の4年生で、青学祭の時に二人でカツヒロを渋谷と原宿に案内してくれて、地図も見ないでスラスラ都会を歩きまわる姿がカッコよく見えた。

生まれてから約18年間、千葉県の房総以外に殆ど出かけたことがないカツヒロだったが、2週間の下宿中、市川駅からJR総武線や山の手線を乗り継ぎ、渋谷や原宿、新宿まで何度か出来かけた事で少しだけ東京に慣れる事が出来た。

ユミコ姉さんは、高校受験の時に第一志望の高校が不合格でちょっぴり悲しい思いをしていたけど、大学受験はストレートで希望校へ合格。一方、サチコ姉さんは大学受験は一浪をして、合格、そして、在学中に1年間中国の四川省に留学もしたから、二人とも大学3年生だった。

・・・。

カツヒロは体育推薦のある日体大も不合格、それから、全く偏差値が足りないのに観光に興味があると理由で立教大学の観光学部も受験したが、あえなく撃沈。

「うーん、どうしよう。今の俺の実力じゃ、とても四年生大学は合格できないよ~。」「サチコ姉さんのように浪人させてもらおうかな~?」

カツヒロの勉強不足は本人の責任だか、カツヒロは1971年生まれで、いわゆる団塊ジュニア世代、第2次ベビーブームのピーク年代で当時は今より大学の数も定員も少なく、まさに受験戦争。浪人するのも不思議ではなかったけど、カツヒロは両親に負担をかけるのは忍びないから、別の道を選んだ。

1990年2月末、滑り止めのつもりで受験した東京の旅行専門学校から合格通知をもらった。4年生大学は全滅だったが、唯一合格出来できた。

よっし、決めたぞ。今夜、お父さんとお母さんに進路の事を話そう。

「お父さん、お母さん、俺、東中野にあるトラベルジャーナル旅行専門学校へ行くことにしたよ。」

「あら、そうなの。浪人して大学へは行かないの?」          母親のマキの反応は、少し驚いているようだ。

カツヒロは極めて冷静に語り始めた。                「だって来年、姉達二人が大学4年生だから、俺が浪人したら、やっぱり家計が大変でしょう。」

「それはそうだけど、お金なら何とかするから。大学へ行きたいなら行きなさい。」

「実はね、一昨日、千葉で日経新聞の新聞奨学生の説明会に参加してね、その場で新聞奨学生をやることに決めて来たんだよ。新聞配達をすれば奨学金がもらえて、更に住む場所と2食のまかない付きなんだ。だから、学費や仕送りは殆どなくて大丈夫だよ。」

「カツヒロ、お前の気持ちは分かったけど、本当にそれでいいのか?」  父親のマモルが口をはさんだ。

「うん。よく考えて決めたことだから、大丈夫だよ。その代り、俺がきちんと1年間新聞奨学生をやって専門学校の1年生を終えたら、来年、オーストラリアに留学させて欲しいんだ。来年になれば二人の姉たちも卒業するから、少しは余裕ができるでしょ。頼むよ、お願いします。」

カツヒロの両親は跡取り息子のカツヒロにも、出来れば大学に行って欲しいと思っていたようだった。特に母親のマキは、保育園の保母をしており、自身の経験から経済的に安定している公務員になる事を強く勧めた。

一方、父親のマモルは、自分が農家の跡取り息子で自由に仕事を選べなかったから息子に同じ思いをさせたくなく、マキとは違いカツヒロを応援した。

結局、息子が真剣に留学するために頑張るから応援して欲しいと言うので、仕方なく同意した。

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※きりみ0804さんによる写真ACからの写真

1990年3月、カツヒロは高校を卒業し、3月末から渋谷区笹塚にある日経新聞幡ヶ谷専売所が用意してくれた四畳半風呂無し、トイレ共同の部屋での生活がスタートした。


つづく。

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