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第30話「3年目の葛藤」

「いやー、ちょっと忙しすぎるよ。このままじゃ体も心も持たないかもしれない。」

カツヒロは眠い目を擦りながら、洗面所で顔を洗っていた。今日は休日だからゆっくり休んでいたかったが、明日は午前10時に成田発のシンガポール行きの便で添乗をする。今回のツアーは鴨川市の市議会議員とその後援会者の親睦旅行で、シンガポール2泊、バリ島2泊の4泊5日の旅。

外注の添乗員を頼んだらツアーが赤字になってしまうから、武藤、頼むよ。代わりに添乗に行ってくれ。バリ島はグアムやハワイみたいに直ぐに行けないからさあ、思いっきり楽しんで来いよ。」と先輩の矢野から無理やり頼みこまれた。どうしても頼むと言われ、少し強引にランチを奢られたから、仕方なく引き受けた。

カツヒロも同じ営業マンだから矢野の気持ちも十分理解できた。それと言うのは、海外添乗を派遣会社のプロ添乗員に発注する場合、最低でも1泊当たり15,000円程度の経費が掛かる。それに加え、打ち合わせと精算日の日当、交通費を加算しなければならないので、今回の4泊5日シンガポールとバリ旅だと10万円のコストがかかる。

それに対して、カツヒロのような社内人材が添乗に行く場合は、海外出張手当と食事代のみ計上すれば良いから経費が3分の1で済む。営業マンとしては、予算を達成するために自分で添乗に行くか、又は社内の誰かにお願いする事でツアーの利益率を上げる。

だけど、カツヒロだって自分の営業成績がかかわってくるから、可能なら他の営業マンの添乗には行きたくない。行った所で、出張手当と代休がもらえるが、その間は日本で営業が出来ない。営業が出来なければ、その分、他社に見込み客を持って行かれる。代休だって、自分の抱えているクライアントとの打ち合わせや清算などの雑務でつぶれてしまう事が殆どだ。結局、皆に内緒で出社して、会社にいるが電話は取り次がない、透明人間のように奥でパソコン作業に集中する。

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「だめだ、このままじゃ、体がもたないよ。」「それに、今の仕事が本当に俺がやりたかった仕事なのか?」

カツヒロがこれまで向き合ってこなかった仕事に対する疑問、そして、自分の人生は、今のような忙し過ぎて,考える余裕もないままで本当に良いのか?そう考える回数だけが増え始めていた。

とりあえず、いつものスーツケースに必要な荷物と道具を詰め込んだ。午前10時の出発なら、空港に7時30分には着いておきたい。君津駅から始発のJRで向かうのでは、とても間に合ないから空港近くのホテルに前泊させてもらう事にした。

・・・。

ここ数日、残業続きで自宅に帰るのは12時過ぎ、休日出勤、持ち帰り残業をやっても仕事が終わらない。2年間営業の仕事をやって来て、ある程度の実績も残せるようになったから、三年目は一気に売上予算が増えた。

東急観光千葉支店には団体旅行向けのセールス担当が13名いたが、カツヒロは第一四半期の利益計上額でトップだった。

「カツヒロ、お前、このまま頑張れば年間トップをとれるぞ。」

支店長の島津は嬉しそうな顔でカツヒロの肩をもんできた。

「はい、支店長。おかげさまで今の所調子が良いみたいです。」

「お前、今、関東営業本部内で2番の営業成績みたいだぞ。この前、会議で本社に行った時、本部長が"武藤はいいね”としきりに褒めていたから、俺もお前みたいに、おかげさまで今の所は調子が良いようです。と答えておいたよ。」

「そうなんですか、ありがとうございます。実は支店長、今日のお昼にランチに付き合ってもらえませんか?」

「おう、別に構わないけど、何か大事な話か?」

「はい、少しがっかりされるかも知れません。」カツヒロはその時、付箋に退職届と書いたメモを見せた。

すると、島津の表情が曇り出し、少し間をおいてから「分かった。ワシントンホテル8階のレストランで12時30に落ち合おう。1階のガスライトだと、誰か他の社員に見つかってしまうかも知れないから、この話は誰にも話さない様にな。」

「はい、ありがとうございます。お忙しい所、すみません。」

レストラン 海鮮丼

約束の12時30分になり、二人は窓側のテーブルに付いた。日替わり定食のミニ海鮮丼をウエイトレスが運んで来る。今回は島津が奢るから好きなものを食べろと言われたが、あまり負担をかけたくないと思い、1,280円の日帰り定食にした。

島津が重い口を開く。

「カツヒロ、さっきの話だけど、どうしてまた、退職しようと思ったんだ。」島津はじっとカツヒロの顔を見ているが、どこか寂しそうだった。

カツヒロは、ちょっと言い辛い気持ちだったが、思い切って口を開いた。

「実は、仕事が辛いんです。」

「辛いって、お前、凄く成績も良いし、周りから見たら何の不満もなさそうで、人生が充実しているように見えたけど、そうじゃないのか?」

「ええ、確かに成績は残せていますが、自由な時間が全くないので。本当にこれが自分がやりたかった事かと悩んでいます。」

カツヒロは、視線を外して外を見た。島津の視線は優しかったが、ずっと見つめられると申し訳ない気持ちになり、それが耐えられなかった。

「うん、それは分かるけど、営業マンは皆、そうやって様々な葛藤をしながら仕事をして、家族を守って行かなければいけないんだぞ。お前はまだ独身だから、会社を辞めても家族への影響は大きくないだろうが、ご両親はきっと悲しむぞ。」

島津はグラスの水を一口飲んで、更に続けた。

「正直、お前に辞められたら千葉支店の成績が下がるから絶対残って欲しいんだけどね。管理職と言うのはその店舗全体の利益を第一に考えないといけない。だからな、有能な社員が抜けると言ったら、嫌でも止めるよ。」

「ありがとうございます。おっしゃる事は充分理解しております。ですが、私はもっと英語を使った仕事がしたいんです。今の仕事でも時々、海外に行かせてもらえたり英語を使う機会はありますが、それはほんのちょっとだけですから。」

「お前は英語が出来るからな。それなら、ロンドンとかニューヨーク支店へ転勤を目指したらどうだ?直ぐには無理でも、4,5年先なら可能性はあるぞ。」

「ありがとうございます。それも考えてみましたが、英語を使って日本人以外のお客様にサービスをしたり、普段から外国人の同僚と一緒に働けるような場所で仕事をしたいと思っています。」

「ふーん。面白いな。では、辞めてどうすんだ?」

「はい。イギリスに留学しようと思っています。私の英語力もこの数年で大分、落ちてしまったので、もう一度、しっかりと身に着けてから仕事を見つけたいと思っています。」

その時点でカツヒロが考えていた次の仕事は、ヨーロッパ旅行を専門に扱うプロの添乗員。そのために、もう一度イギリスで英語力を鍛え直し、ついでにヨーロッパをバックパックを背負って実際に周ってみたいと考えていた。

「そうか、分かった。では、この話は一旦、私の方で預かれせてくれ。来週の土曜日の午後にもう一度時間をとって話をしよう。」島津はどうにかしてカツヒロの退社を思いとどまらせようと思っていたが、恐らく、それは難しいと悟った。


つづく。

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