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あらためて、コト消費 ~旅で、なにをしないのか~

居室は3畳程の最小限、薄い壁ごしに隣の物音がきこえる。トイレ、シャワーも最低限のユニットで共有。風呂なし、おまけに過酷労働つき。そう聞けば、一泊の値段がけっして廉価でないこの宿にいったい誰が泊まるのだろうと不思議に思われるだろうが、私が宿泊したその日、参加者は定員まで一杯だった。



KURABITO STAY

ここは、日本酒の酒蔵に泊まり日本酒の醸造工程を体験できる、全国でもまれな体験型ホテルだ。所在地は13の酒蔵がひしめく酒どころ、長野県佐久市。

KURABITOとは「蔵人」、つまり日本酒醸造の工員だ。日本酒は米から作られる。洗米、蒸しなどの処理をし、麹や酵母による複数の発酵、熟成、濾過と、いくつもの過程を経て、香り高い酒が醸しだされる。これら製造工程のすべてを担うのが蔵人であり、そのリーダーが杜氏である。

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敷地内は、酒の源泉となる井戸を中心に、明治、大正、昭和と時代を重ねて建て増ししていった重厚な木造建築が林立する。ホテルとなっているのは、昭和の時代に住み込みで季節雇用されていた蔵人たちが、醸造期である冬に寝泊まりしていた二階家を改装したもの(写真中央、暖簾のかかった建物)。梁、柱といった躯体はそのまま活用してリノベーションし、清潔であたたかな、心地よい空間になっている。ただし居室は、さきに紹介したように、シンプルで最低限。

居室2

ーー手前の窓が元の建物、外側があらたに取り付けた二重サッシ窓。4月といえど朝晩はかなり冷え込む地域だが、暖かく眠れた。

この旅において、自室でくつろぐ、テレビを見る、ゆっくり温泉に浸かる、といった概念はない。なぜなら、宿泊客たちには、酒造という重要な仕事が待っているためだ。

神域

ーー扉の上から下がっている紙垂(しで)は、ここから先を神域とする境界線を意味する。発酵という、微生物の働きによる現象が科学的に明らかでなかった時代は、醸造に不都合な菌類などを入れないため、神域という概念で衛生を保持したが、現代にあっても目に見えない神聖なものを感じる。

蔵の内部は、春の温かな気候と打ってかわってひんやりしていた。初めは蔵内の見学。酒蔵の社長さん直々の案内に耳を傾け、しばらく居れば足先が凍えてくる。見学の後、本格的な作業に進む。


手に触れ、体感する

体験できる作業は醸造工程の一部分だが、それでも予想をこえてきつい労働だった。本物の杜氏や蔵人の方々に助けられながら、二日間にわたって醸造のお手伝いをさせていただく。

一日目は、洗米、浸水。冷たい井戸水を使って、中腰で米に水をくぐらせる。ざるに上げた米は一晩おく。

浸水

ーー研ぎが終わって浸水後、水をきった米は、透明感がさっと消えて、抜けるような白さに変化する。この時、微かに米の香がたつ。

作業のあいまには動画をつかった座学や、麹料理のレクチャーもあって、日本酒に詳しくない私でもわかりやすく学ぶことができた。

この体験で用意された米はこのあと実際の製品になるため、客側である私たちも真剣だ。客であって、客でない。だが、重い桶を運ぶような仕事もあり、「危ないと思ったときは、お米は落としてしまってもいいから、自分の体を守ってください」という言葉に、受け入れ側の覚悟を感じた。

さて、労働をしたあと(本業の方とくらべたら、分量も少なくてお遊びのような労働なのだが、それでも神経も体力も使う)は、待ちに待った夕食。宿ではなく、近所の料理屋に個室が用意されており通される。醸造体験を中心にすえた宿泊なので、ホテル自体の規模は小さい。夕食を外部委託することは、ホテルにとっても地域にとってもメリットがある。

れもん

ーー料理屋「れもん」での夕食は、魚介をメインに手の込んだ料理が並ぶ。13酒蔵のうち3銘柄を宿泊者でシェアして堪能した。こと、疲れた体によく染みわたる。

宿のダイニングにも日本酒が数種類とつまみが用意されており、飲み比べができる。照明は少し落とされて、外は静か。酒を片手に贅沢な夜をすごした。

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そして2日目。作業があるため(前日どんなに呑んでも)朝は早く、7時には朝食の席に着く。ダイニングで大きな丸テーブルを囲んで全員でとる食事は、実際の蔵人たちのかつての暮らしに近いのだという。醸造シーズンは、みなそろって食事をし、雑魚寝で眠った。言葉通りの「共同生活」だったのだ。

朝食はホテルのスタッフの方が腕によりをかけ作ってくれたもの。端々に麹をつかった料理があり、滋味深い。ちなみに、宿に到着してから各テーブルに常に用意してくれてあるのは「仕込水」。雑味がまったくなくまろやかな口当たりで、これが、美味しい酒の原点となっている。

朝食2

ーー純粋な和朝食。地元食材を多く使った、シンプルかつ最高の食事。

2日目は、研いで水を切っておいた米の蒸しから始まった。甑(こしき)という大きな樽のような丸い容器に米を入れ、布の蓋をしてからガスにつなぎ火を入れる。布の蓋がたちまち膨らみ、温かな湯気があがる。

蒸し

ーー蒸気でふくらむ甑。水をいれて炊く米とはまたちがう、ゆたかな香りが辺りに漂う。

煙突から

ーー湯気が立ち上るのを、建物の外から見た様子。この醸造体験をしなければ、この湯気もなんのための湯気なのか知らずにいただろう。

蒸しに続いて、製麹(せいぎく)という作業にすすむ。製麹とは、米の上で麹菌を繁殖させる作業で、気温が30℃前後に保たれた麹室(こうじむろ)で行う。

麹振りかける

麹は、黄土色のような青緑のような、不思議な色をした微細な粉で、近くで人が動くだけで舞っていってしまうほど。その正体は「麹菌」、つまりカビの一種だ。台のうえに均一にひろげた米に、杜氏の方が丁寧にふりかけていく。

麹室と手たち

蒸された米は、熱いうえに粘りもつよく、混ぜるのに力がいる。麹菌をふりかけては混ぜる作業を数回繰り返し、麹菌を米にまんべんなく付着させると同時に、菌が繁殖するのに適切な温度になるまで米を冷ます。

麹菌を混ぜて乾燥させ、一日もすれば、米の表面を、真っ白く、ふわりとした層が覆う。この状態を米麹という。米麹に発生した糖分が、醸造工程においてこのあとに来る酵母による発酵のもととなっていく。

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ーー別の日に製麹された米麹。このままでも食べられ、口に含むと微かに甘味があった。この状態から、甘酒や塩麹をつくることができる。

春夏は日本酒の製造期ではないので、今回作られた米麹は、このまま加水して甘酒製品などになる。醸造期である冬場には、酵母による発酵工程へとすすみ、宿泊者もさらに多くの体験ができるのだという。

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旅で、なにをしたいのか。それは「なにをしないのか」を決めること

さて、今回の旅は、2つの点で、私にとって特別な体験だった。1つは、酒造という「体験」、つまり「コト消費」に特化した旅だったということ。

旅というと、私は大抵、まずガイドを読み漁る。主要な観光スポットから自分の行きたい場所をえらび、動線を定める。次に宿を決め、それから地域内のちいさなお店、話題のレストランやカフェ、雑貨、地物が買える道の駅を調べて、立ち寄り場所に加える。宿そのもののポテンシャル(宿内に温泉、食事処、レジャーはあるか)を重視することはあまりなく、第一に立地、第二に値段、と思っている。というのも、旅をする主な目的が「知らない土地に行き、暮らしを知る」だからだ。

今回の旅行はこれらの過程をすべてすっ飛ばして、宿だけ予約した。

それ以外なにも決めなかった。滞在中は、昼間は酒蔵体験をし夜は日本酒を飲むのであって、ほかへ遊びにいく暇などないのだから、行く場所を探す必要もない。驚いたことに、これが非常な時間の節約になったし、意外にも心理的にとても気楽だった。

「旅にいくまでの準備が楽しい」も確かにそうだとは思う。しかし実際問題、仕事の繁忙もあってそれほど時間を費やせないし、たとえありあまる時間をつかって準備をしたとしても、その旅が準備量に比例して充実するかといえば、必ずしもそうではない。調べるといいながら、漫然と情報の波に埋もれていることもある。逆に、どんなに調べても「調べたりないかも」「重大な情報を見逃しているかも」と焦ることもある。旅にでる前の期間で、これらの余計な時間浪費や焦燥感がなかったことは大きい。

また、土産物屋を見てまわることもしなかった(特別な旅である理由2に通じるところもあるが)ので、帰ってきてからも時間があり、旅後の片づけや洗濯もその日の明るいうちに終わってしまった。

その結果、今までに経験した旅とくらべて充実感が薄いものだったかといえば、まったくそうではなかった。日本酒をつくること自体、唯一無二の経験だったし、夜はお酒をゆっくり堪能した。「自分の知らない暮らしを知る」ことも存分にできた。そう考えると、このコト消費に特化した旅というのは、準備にかける労力を最低限におさえ、最高の充実を得る、新しい旅のカタチと言えるかもしれない。

やろうとしている事以外の事をなにもしない旅。ふだん、常にマルチタスク状態で動いている脳には、いい休息になった。

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そしてもう1つの特別な点とは、旅先が家の近所だったということだ。


旅で、なにを知りたいか

近所といっても、歩いて数分というわけではないが、歩いても行ける。そのような近隣にある観光施設に宿泊する経験をしたことがある人は、あまりいないのではないだろうか。私はなかった。家の近くを旅することなんてないし、だいいち、泊まらなくても家に帰れば眠れるのだから、宿泊代がもったいない、と考える。

家の近くを旅しないのは、暮らしをすでに知っているからだ。その土地の人が食べている物を、自分もだいたい食べているだろうし、夜や朝の空気の感じも知っている。その土地の文化もだいたいわかっている。だからわざわざ旅をしたり知ろうとしたりする必要もない。だが今回、この感覚は覆った。

宿で出てきた、麹をつかった料理も十分目新しいものだったが(本当に地域を知らずに参加していたら、この辺の人は麹料理をよく食べて健康的だなあ、と考えたかもしれない。それは酒蔵の文化でしかなく、酒蔵に関わりのない地元の人は米麹が特産だなどと考えていないのではないだろうか。だが手に入りやすさでいえば十分特産である。)、私は、酒蔵の多い地域という事実を、知ってはいても、まったく理解していなかったのだ。

地元に酒蔵が13蔵(正確には、佐久地域に13蔵あるのであって、これには小諸市、佐久穂町の各1蔵を含む)あることは以前から知っていた。けれど私は、その事実に驚いたことがなかった。その理由は、たいして日本酒ファンでもない私にとってこの事実が「常識」だったからだ。言葉どおりに暗記していて、それがなにを意味するか考えてもみなかった。(日本酒ファンだったら注目したかもしれない)。

それが今回、同宿者の多くが他県からだったことも影響し、地元をあらためて客観的に見ることになった。常識というのは怖い。いちど身に染みつくと、他の地域では異常であることをふつうだと思いこみもし、逆に、ふつうであることを異常と捉えてしまいもする。日常を暮らすなかで、その感覚から抜け出すことは、アンチな概念が不在のため不可能だ。他地域にはない稀有な文化も、ふつうになってしまう。酒蔵が全国でどのように分布しているかについては、以下の「酒蔵マップ」で確認できる。

https://www.nta.go.jp/about/organization/kantoshinetsu/sake/index.htm

ちなみに都道府県別の酒蔵数を比較すると、だれもが予想するとおり、新潟県が押しも押されぬ堂々の1位であるが、2位は長野県だった(これも知らずにいた)。マイクロツーリズムが叫ばれる時勢にあって、「近場だから小さめな体験しかできない」という常識に、私は異を唱えたい。

旅には、常識のタガを外す力がある。遠くに行っても、近くに行っても。

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旅で、なにを食べたいか

さて、ここまで酒造体験談と、マイクロツーリズムの大きな可能性について考えてきたが、最後に、いっしょに体験に参加した宿泊者のある言葉を紹介したい。

ーー旨い酒のあるところには、歴史のなかで培われた、その酒にもっとも合う肴があるはずだ。

この言葉は私に突き刺さる。なぜなら、私にはその肴が何であるのかわからないからだ。そこに住んでいるにも関わらず。

酒蔵体験で出てきた料理は、どれも美味しいものだったし、酒に合いもした。他の地域それぞれの名物が出会ってマリアージュする、ということもある。だが、歴史のなかで、地元でできる酒と食物を組みあわせ、あれこれ試行錯誤がなされ見出された、最高にあう一品とは? 地元の酒飲みの中には、知っている人もいるかもしれない。そういう人と出会う機会は、その肴について教えてもらう機会は、これから先あるだろうか。

そういう酒と肴に出会って、旅は真に完成する気がした。

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ーーGWを過ぎると、田んぼに水が張られはじめる。酒造りの過程の最初の最初、はじまりの場面。毎年見られるなんでもない光景が、今年は少しちがって見えた。




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