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おすすめ作家「今村夏子さん」


こんにちは、めぐです。今回は私のお気に入りの作家さんをご紹介します。最近初めて読んで面白かった作家さんなんですが、今村夏子さん。これは、坂本裕二さんの"花束みたいな恋をした"という映画の中で、実際に作家さんとして名前があがって気になったのがきっかけでした。この出会い方、なんかいいですよね。そして他にもそういう方、結構いそうです。映画の中で、主人公たちが共通の作家さんの本を読むことで意気投合したり、読む本のタイトルや作家の受賞で時の流れを表現したり、お勧めした本よりも夢中なことができてしまった彼とのすれ違いの場面などに使われていました。ここから、ピクニックが気になり、現実の世界でも芥川賞を獲ったむらさきのスカートの女も先日、ついに読みました。これからアヒルと星の子も読みたいと思っています。

1番、衝撃を受けたのはデビュー作の「こちらあみ子」この作品は、単独で太宰治賞、ピクニックとチズさんを含んだ単行本として三島由紀夫賞w受賞したと言う本でした。

次に読んだのが、主人公の存在を意識させるような作品群が入った「木になった亜沙」ちょっと奇妙なシュチュエーションと設定で話が進んで行き、最終的に確信をついたり、決着がつくような終わり方はしないのだけど、心に何かを落としてくるそれは目に見えない何かで、普通信じるも信じないも受け取るのも受け取らないのも読者次第なんだけど、本がとても強く何かを差し出してくるそんな感じを受けました。本の世界に遊びに行くと言うよりはチラッと覗いてしまったから手首を掴まれて話してもらえないそんな感覚を覚えてしまいました。その感覚がまたね、癖になってしまうんですよね。

そして、芥川賞受賞作の「むらさきのスカートの女」です。私はいつも今村さんの本を読むときは"はてな?"が浮かびます。
その後、もしかして、もしかして?と頭のどこかにはてなを置きながら先を読み進めていく感じ。
もしかしてこの人の方が、、、?
あれ、もしかしてこの2人、、、?
あれ、もしかしてこの人が、、?

この話の中では徐々に紐が解かれていきます。これは、イヤミスの女王湊かなえさんの本の後半で、謎が解き明かされていくときの感覚に近いです。湊さんのがもっとスピーディーですけどね。
あとは境界線の引けていない人を描くのがうまい。そして作品のアイディア、構成、タイトルの付け方、申し分なく芥川賞と言う感じがしましたね。

ネタバレ✂︎-----------------------------------

あみ子に関して
主人公はスペシャルニーズの特徴とも言われる部分をたくさん持った女の子。理解のない人だと嫌悪感を抱かせるほどのあり得ない行動のオンパレード。人の気持ちに鈍感で、気遣いや察することができない、言葉が選べないので傷つける。偏食気味で好きなものだけを食べ自分の見た目に無頓着。この子の場合は知的障害もあるので、クラスの中でも浮いた存在で漢字も読めない、勉強意欲もなければ誰も強制しない。学校でもいじめの対象になってしまう。好き嫌いが激しくて忘れっぽくて自意識過剰で、人の言うことを聞けないことも、話を聞いていなくて支離滅裂なことも全て特徴であり、今の日本社会で放置されたspecialニーズの子供たちや、そのまま大人になってしまった診断を誰からもつけられずに、スペシャルニーズ教育を受けられなかった人たちを象徴するかのような作品でした。

あみ子の親もそこには介入できていなくて、どうしていいか分からない状態。兄はカサンドラ症候群でグレちゃうし、父も距離をとっている。特に、後妻の母親からはほとんど愛を与えてもらえていませんでした。いろいろな感情が心の中を渦巻きました。私はアメリカで教育に関して学んだり、いろんな子供たちを見てきたので、人ごとではなくて、心が痛かったです。ざらつきや薄気味悪いと言う感想よりも描写がリアルすぎて現実的に捉えてしまってこの世界からしばらく戻れませんでした。そして私が彼女を抱きしめてあげたかったと思いました。

あみ子にはどうすることもできない。その周りの人もどうしようもできない。距離を取られて、歯痒くて苦しかったです、全てが一方通行で。
むらさきのスカートの女に関して紫のスカートの女がタイトルにもなっているし、当たり前のように、読者は、主人公だと思って読み始めるんですけど、その女性は変わり者ではあるけど、普通に人気者ぽくて、実は、語り手でもある黄色いカーディガンの女の方が恐ろしい女性なんですね。その紫のスカートの女を執拗に追いかけて、その存在に相手が気づけない位の存在感のなさと執拗なストーカーで観察を続けます。途中から観察しすぎて自分と一体化するぐらい境界線がなくなってきます。主人公のすり替えというか、初めから私たち読者はミスリードに載せられていて、誰しもがどこかで気づかされます。紫のスカートの女よりもさらに薄気味悪いのが黄色いカーディガンの女であると言うことに。
彼女はなぜか紫のスカートの女に親近感を抱いていて、きっと1種の羨望から友達になりたいと言う気持ちが生まれているんですが、彼女をうまいこと誘導して、それもだいぶぶっ飛んだ方法で、同じ職場に勤めることに成功します。ラストもさながら救世主のようにピンチの時に現れて、手を差し伸べますが相手はその人の事は眼中にないし利用するところだけ利用されてしまっておしまいになります。もちろん、最後の誘導はうまくいかず友達にはなれません。彼女の支配欲すごいな。

でも思うんですよね。紫のスカートの女は本当に毎日紫のスカートを履いていたのか彼女が子供たちにいじられていたのは真実か、目に見えるものだけが真実とは限らない。コンフィデンスマンの世界へようこそ!これ、やってみたかった。
なぜならその人の目線から見たものにはバイアスがかかっているから。黄色いカーディガンの女の妄想もあるのかなと。
1番最後のベンチのシーンから子供たちにイタズラされていたのも実は黄色いカーディガンの女の方なのかな。と解釈もできますし、憧れのむらさきのスカートの女がずっと座っていた場所に自分が座ることによってそのポジションイコール彼女になれたと解釈するべきなのかはちょっと考えてしまいました。


NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。