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夢の語り部


久方ぶりに故郷の夢をみた...

自転車の荷台に重い荷物をぶら下げ家路に着くお使いのようだった。ほんの数分で着けるほど近いのに、ふらふらと進まない自転車には歩くより遠い道のりに思えた...それは同じ場所でありながらも時代を渡り歩くかのように様子が変わってゆく...

私は大人だったのか子供だったのか...幼い身体の中から今の私が世界を視ている感覚に戸惑いながら路の角を曲がった...田んぼの向こうに見えるわが家がどこか小さく感じて体に不安が走ったことを覚えている。突然… 家の坂道から大きなサイが駆け下りてきた...怖い気持ちを抱えながらも自転車はふらふらと勝手に進んでゆく...

田んぼの一本道に差しかかったとき、土ぼこりを上げながら立ち塞ぐように彼は止まった...ひずめを鳴らし、鼻息荒く牛のようにいまにも突進して来そうな姿を前にやっと自転車は止まった。

遠いようでいて近いような間合いを挟み、少しでも身体を動かせば襲い掛かってき来そうな恐怖のなかで、赤い目をした彼は言った...来るな‼ と...

凍りついた身体を感じながら、やがて赤い目から何かが流れてくるのが見えた...それは波紋のように広がり静かに私に近づいてくる...恐ろしい目から発せられたそれは、恐怖とはうらはらに温かい慈愛のような感触が身体から伝わってくる...

いつしか私の背後から大きな樹々が列をなして追い越して行った。細い根を引きずりながら、しゃなりしゃなりとまるで花魁道中を観ている感覚のなかで、あれは桜だったのか… と思い返している時間がないまぜになり、時が止まったのか進んだのか...気が付けば樹々は四方から集まり、やがて我が家を包み込んでいた...

恐ろしい獣は樹々に紛れながら、桜とともに渦を巻き、樹々は森となって遠くに消えていった...わたしの周りには、あの慈愛の小さなさざなみだけがいつまでも残っていた...

まだ夢の中なのか目が覚めたのか… 遠くで誰かが言った...
「そなたはここでピリオドを打ったのだ… 」 と...

あれは夢の語り部だったのかもしれない...
むかしむかしあるところに...
わたしの故郷はこうして昔話のひとつになった...

恐怖のなかで感じた慈愛は奇妙でいて実感があり、現実の手触りを凌ぐ深い振動を残していった...この濃密なクオリアを伴った感覚は何処から来るものなのだろうか...

寄せては返すように語り部のリフレインは響く...
「新しい世界を生きるためにピリオドが必要だったのだよ… 」 と...

夢から醒めた茫洋とした意識のなかにインスピレーションとともに咲いたのは、回転しながら波紋のさざなみのなかに踊る太極図だった...この日… ニールス・ボーアが残した言葉を知った...

 「  私たちが『リアル』と呼ぶものは、すべて本物とは見なされないもので作られています。」

相反するものが補い合うこの相補性を現わした太極図はボーアも大事にしていたという...

ほんものとは見なされない夢もまた、この現実を補完するもうひとつの現実なのかもしれない...私たちが現実と思い込んでいるこの世界のなかで、何の痕跡も残さずに流れてゆく出来事よりも、はるかに深い刻印を残してゆくクオリアは、我々が現実と呼んでいるものの危うさを私に突き付けている...私たちが生きているという実感は、このクオリアにあるのかもしれない...

陰のなかに灯る陽が在り、陽のなかに宿された陰の種を思うとき、夢のなかで渦巻いていたあの獣と桜は、この太極図を暗示するものだったのかもしれない… と今は思えてくる...

隠れ里のように消えた故郷にピリオドを打ち、新たにはじまる私の旅はこれが最終楽章になるのかもしれない...この世もかりそめのまぼろし… ふたつの幻を縫うようにクオリアは旅をつづけてゆくのだろうか...

大いなるものの一滴...その一滴が注がれた杯がこの肉体なのかもしれない...この私とは…  この世界とは…  この宇宙とは...ひとつの意識体マンダラによって映し出されたひとつのホログラムなのかもしれない...  










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