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【コラム】身体を動かすことで生まれるもの

数あるシュタイナーの学びの中で、今までオイリュトミーには、あまり縁がありませんでした。カラダを動かすことにあまり喜びを感じなくて(むしろおっくう^^;)、汗かくのガイヤとか体力がないとか言って。カラダがあるからこそ、この世に働きかけられるんですけどね。

そんな私を、オイリュトミーのワークショップに誘ってくださった方がいました。「音楽と共に動くオイリュトミーは珍しいから」と。そのために作られたピアノ曲の生演奏と共に動くのだそうです。ピアノを習っていることもあり、そっちの興味から、久しぶりにオイリュトミーを動いてきました。

考えてみれば、前にやってみたのはもう7年前くらい? それ以来、人生で2回目のオイリュトミーです。動いている時は、夢中でわからなかったけど、後で考えたら、保育園でのライゲンの安心感に共通するものがあるかもしれない。

たとえば、先生が「うわ~、風が吹いてきた。びゅ~ん!」とか言って、子どもたちが葉っぱになって四方八方に飛んでいく、みたいな、あの楽しい感じ(^^)。動きを強制されないけど、設定に入り込んで、葉っぱになりきって、動きたいように動くことで全体の一員として調和してる感じ。

そっか、別に体力がないなら、ないなりに動けばいいんだ。自分が疲れるほど「運動」しなきゃとか、脂肪燃焼のためには心拍数このくらいで動かなきゃ、とか思うから疲れるんだ。そして、運動神経がないことだって、みんなと一緒にできなくても、間違おうが、ズレようがいいんだ。初めての人や2回目の私から、もう何年も続けている方まで、いろんな経験値の人を包み込んで、全体としては心地よく動いていくんだもの。

やさしい世界だな。
軍隊の行進や、完璧に揃ったアーティストたちの鍛え抜かれた美しいパフォーマンスを完成形だと思うからおかしかったんだ。人間が機械みたいにピシッと揃うまでの1人ひとりの努力を思えば驚嘆するけど、そもそも自分はそこを目指せないし目指してるわけでもないって、とっくに知ってたのに、なんで忘れてたんだろう。

参加してみて感じたこと。
一緒にカラダを動かすと、「一員」になれる気がする。それだけで、言葉を交わさなくても共にその場を生きている感がある。「あなたたちがいてくれて、私もこうしていられます。どうもありがとう」って。

終わった後もおもしろかった。
オンラインなら、セッションが切れた瞬間に現実に立ち戻る。読書会や講座なら、知らない人と話しながら駅まで歩いて分かれる。でもこの日はもっとつながっていた。カラダ動かし系のアクティビティだったからか、みなさんとの一体感を味わったからか、全体で一つの動きを作ったからかわかんないけど。プログラムが終わってから「普段はどんな事してるんですか?」「それならあの人も」などと、誰かと誰かをつなぐための紹介、FacebookやLINEの交換などがあちこちで生まれているのを興味深く見ていました。

ここで生まれたご縁で、「哲楽cafe ピーチクパーク」のリアル回にご参加くださる方や、ウチの近くで同じような活動をされている方もいらして、「今度、こういうのやるから、〇〇しましょうよ?」とか、「一緒に何か出来そうですね」とか、そんなワクワクもあり。

それまでご縁のなかったことをしてみることで、知らない世界が広がっていく体験が生まれていたのでした。世界は知らないことだらけで、ホントにおもしろいです。地球上の人間の数だけ、7億通りのパラレルワールドが、今も刻一刻と進んでいるんだもんね。

主催してくださった方、その道を伝えてくださる方、サポートされる方、参加された方たちに感謝。なんだか「今日の私は誰?」ってくらい温かい気持ちにさせてもらいました。

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