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誕生日がボイド化した時

その単語そのものに解釈というか自分の誕生日を忘れられて日付として存在されるものになった時、どんな言葉が合うのかという考えにタイトルをつけてみた。

「空」とか「何もない」とか
私からすれば宇宙空間にほとんど星すら存在しないに値するんじゃないかと

生まれる日を祝うことって存在意義を明確にするためのものじゃないかと思う。でもそれを良しとせず己が作った造形物に対して私を崇めよ!
というのが「歪んだ親心」俗に言う「毒親」


その意義を否定し自分中心に出来上がったまわりにすら影響を与えてその生まれた存在を否定する。

それは誰のための誕生日なのだろうか?

毎年、私の誕生日はボイド化したままその日は母方の墓参りの手伝いをした後に毒親が作った造形物(娘、息子)に対して私を崇めなさい慰労会をしなければならない。

私の誕生日はまったくもって物心ついたころから楽しめた思い出がない。

自分の誕生日は思い切り1人で祝う予定。
正直、何十時間も腹にいて4ザン手前で無理やり引き抜かれて産まれた側だから。
ぶっちゃけていえばほとんど親のエゴに近い。

本来は存在しないものだったんだろうね。

今年も毒親に勝手に食われるケーキを目の当たりにしながら食べかけのケーキを捨てる日がまたやってくる。

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