#83なぜ中国語を学習してもカッコよくないしモテないのか?
中国語を習得したい、最低でも英語だけでも話せるようになりたいという人はいると思います。その反面、習得の難しさに悩みを抱える人も少なくないと思います。いろんな人にコツを聞いて回ったり、書店に行って何冊も買ったりするんですよね。今回こそは頑張るぞ!と意気込んでもなかなかうまくいかなかったりします。上手な人を見ると羨ましくなってしまいます。そんなこと、よくありますよね?
そこで今回は「なぜ中国語を学習してもカッコよくないしモテないのか?」を考察したいと思います。
結論は、中国語でコミュニケーションがとれる≠カッコいい、モテる、ということです。
多くの学習者や語学講師は揃ってこう言います。
これに疑問が沸きました。
・学習後に結局カッコよくなったの?
・最終的にはモテたの?
ここに謎が深まりました。理由は二つあります。
一つ目は話せる人がカッコよく見えるから、モテたいからと言うわりには、実際にモテたという話を聞いたことがないからです。じゃあ結果的にカッコよくなったかは真偽不明だしモテてないじゃんというわけです。
二つ目はたとえモテたとしても、それは中国語学習(語学学習)した成果ではないからです。中国語の上手さは最終決定打ではないからです。これは中国の恋愛番組やお見合い番組を見ると明らかです。中華圏の人にモテる人の決定打は「誠実な人」や「信頼できる人」に行きつきます。もちろん外国語を話せることを恋人の条件に挙げる人も少なくないです。しかしそれが決定打になることはほぼないのです。
また私たちはよくある二つの勘違いに陥ってしまっているのです。
一つ目は知識を詰め込めばカッコいいと思ってもらえると思っていることです。これは承認欲求が強い人によくあります。褒められたいので、コミュニケーションが一方通行になりがちになってしまいます。私はこんなものも知っているんだぞ!とアピールしたくて仕方がないのでしょう。
やたら成語やことわざ、流行語を使いたがります。(ex.八九不离十「十中八九、ほぼ間違いない」、瞎猫碰死耗子「犬も歩けば棒に当たる」、社交恐惧症「対人恐怖症」と表現したい)同じ意味を持つ言葉を言い換えて使う人もこれにあたります。(ex.「~次第」と表現したい場合、要看/取决于/在于を全部身につけてしまう)
二つ目は手段にカッコよさを見出していることです。目的と手段がごちゃごちゃになってしまいます。本来カッコいいのはその手段を使って目的を達成できたときのはずです。なぜなら中国語は学習することや習得することが目的ではないからです。中国語は手段に過ぎないからです。以下の通りになります。
目的:(話し手)伝える、伝わる(聞き手)理解できる
手段:中国語(≒言葉)
多くの人が陥っているのは中国語(語学)が話せたらカッコいいなので、手段にカッコよさを出しています。しかしもっと重要なのは中国語を使って双方のコミュニケーションがとれているときです。つまり、話し手の言葉が伝わった、聞き手が理解できた、その目的が達成できたときにカッコいいが実感できるのです。
しかもコミュニケーションの方法もいろいろあっていいのが面白いところです。一般的に大雑把にいうと、外国語は四技能があります。話す・書く能力は運用能力、読む・聞く能力は読解能力と言われます。
言葉は手段ですから、話し手が伝えて、聞き手が理解できる状態が最も重要なわけですよね。ですので、伝え方や理解の仕方はこのような方法でもいいわけです
・話す:翻訳機、翻訳イヤホン
・聞く:翻訳機、翻訳イヤホン
・読む:筆談
・書く(描く):絵、文字
大きな枠組みでコミュニケーションを捉えたとしたら、これもコミュニケーションの一種に入ります。話し手と聞き手に何も問題がなければコミュニケーションが成立するわけです。
今後私たちがもっと突き詰めていかないといけないことは「何のために中国語を学習するの?」という点だと思います。例えば、
・中華圏の人と中国語を使って交流したい
・中国語のドラマ、バラエティー、映画を字幕なしで見てみたい
・中国のSNSを活用したい
・中国語の翻訳や通訳の仕事がしたい
など、このために中国語を学習しているんだ!と言えることが成長に繋がると思います。私には英語や中国語を習得している韓国人の友達、英語や日本語を習得している中国人の友達が多数います。彼らから「カッコいいから、モテたいから」語学を習得した話は聞いたことがない気がします。彼らから話を聞いてみるのも面白そうですね。
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