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良い大学に行きたかった

私の出身高校は、その地域では、ネームバリューの高い進学校だ。
学生時代は、受験勉強に明け暮れた。
でも、私は全ての大学に落ちた。
浪人するほどの情熱も根性もなかった私は、面接だけで合格するような専門学校へ逃げるように入学した。

私は、母校の高校が好きだ。
語弊ある言い方になるが、みな頭が良いので、その中にいるだけで、自分のスペックが上がるような環境だった。

良いところに就職したい
そのためには良い大学へ
そのためには良い高校へ

だから、私は母校を選んだ。
良い高校の定義が進学校だったのだ。

そもそも、私の良いは、何が良いのか?
自己内観が不十分過ぎた。
漠然にもほどがある。

高校時代の私は、相変わらず漠然とした方針で受験勉強にひたすら打ち込んでいた。
何でその大学に行きたいのか?という目的がなかった。

良い大学に行く事だけが目的だった。
自分にとっての良い、を自分がわからないまま。

そりゃ、大学全部落ちる。
悔しくもなかった。
むしろ、こんだけ勉強しても受からないんだから、しょうがないと開き直ることができた。

いや、いろいろ間違っている、私。

大学に入ることだけが目的だったなら、自分のレベルに合った大学を受験すれば良かったのだ。
偏差値の高い大学が良い、スゴイ、みたいな進学校特有の雰囲気に流されたのは、私の目的がブレブレだったからだ。

あの時、もっと自分と向き合っていればなぁ、と思う。目的地を定めないことには、どの地図を見たら良いかもわからない。どういった方法で向かったら良いのかもわからない。

私は、迷走していた。
あの勉強した努力は無駄ではなかったが、その時間を別な事に当てていたら、人生より豊かにできたかも、とか思う。

開き直って通った専門学校は、予想をはるかに超えて楽しかった。大学大学と言っていた人間が、専門学校生活を誰よりも謳歌した。
もし、自分が過去に戻れるのなら、あの専門学校時代に戻りたい。

でも、オレンジデイズ的な大学生活に憧れる気持ちは、まだちょっとあったり。
無いものねだり。

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