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竜神ナーガ 【第0話】

あらすじ

 全国で唯一“龍神が忌み嫌われる地域”である杜園に、民俗学の研究でやってきた大学生・汐崎裕介は、龍神に関する史料が全て処分されてしまったと聞かされ途方に暮れる。
 そんな時、龍神に関する文献を見たという女性が現れる。彼女に誘われるようにして山奥の屋敷へ向かう汐崎だが…。

個性的でどこか怪しい杜園の人々とのふれあいを通じ、汐崎はそこに隠された“歴史の真実”を解き明かせるのか――。

プロローグ

 いまからほんの少し前の話。世間はちょうど連続殺人事件が起きたばかりで、ほとんどが世にも珍しいその話題で持ちきりだった。しかもそれとは別に、常にどこか落ち着きのない荒々しい活気に満ち溢れていた。人々はそれまで好意的に接していたかと思えば、ひそかに目をぎらつかせて粗探しをしていたし、およそ興味の持てるものは全て飽きるまで貪りつくそうという魂胆さえ覗かせていた。

 少女がそこを訪れたのは運悪くも、そんな不安と好奇心とに縁取られた浮ついた時代であった。もちろん原因はそれだけではなかったが、彼女はそんなことさえ知るはずもなかった。道の端を少し遠慮気味に歩いていると、前から来た男にぶつかった。ぶつかったというよりは、明らかにぶつかられたといった感じだった。しかし少女はぺこりと頭を下げて自分から何度も何度も謝る。そうやっていると、いままで少女を睨んでいた男は自分が悪さをしでかしている気持ちにでもなったのか、小さく舌打ちをしてそのまま何も言わずに向こうへ消えていった。

 再び歩き出した彼女は、しばらくしてここに来た目的を忘れていたことに気付く。だから先ほどの男はあんなに怒っていたのか、と思った。今度は行く先々で出会う人ごとに「ごきげんよう」と声を掛けた。そう言ったのはいまが朝か昼かどちらに区別されるか分からなかったからだった。声を掛けられた人たちの反応はまちまちで、黙ってそのまま行き過ぎる者もいれば、気まずそうに目を逸らして咳払いして行ってしまう者もいた。目を左右に漂わせながら落ち着かない様子で小さく頷く、という反応が最も少数派であった。

 それでも彼女は確かな手ごたえを感じていた。今度は少しだけ道の真ん中に近付いた。少女はどんどん進み、ある大きな建物の前にやって来た。そこは一番偉い人の住む場所であると聞いていた。勇気を振り絞って中に入る。

 少しだけ胸を張って入ってきた彼女を見て、近くにいた女が悲鳴を上げた。そして走り去って、すぐに男と一緒に戻ってきた。女は怖い顔をしている。

 男が何のためにここに来たのか、と訊いた。それに対して少女がみなさんに挨拶するためだと答えると、男は「違う」と短く突っぱねた。首を傾げる彼女に、男はやや語気を荒げて「この地に」と言い直す。少女は男の目を真っ直ぐに見つめ返して、母や祖母のため、そして何より彼女自身のためと答えた。男は溜息をつき、首を何度も振りながら帰りなさいと静かに言った。

 建物を出た少女は落ち込んでいた。男に言われたことよりも、帰り際に女が叫んだ言葉のほうが彼女の心を傷つけた。「嫌われ者の居場所はここにはないわ。早く帰って」と女は言ったのだ。とぼとぼ歩きながら何度も何度もその言葉を繰り返した。来たときとは打って変わり、道行く人々は口を揃えて少女のことを「疫病神」だとか、あるいは「仇」と呼んだ。

 辺りはいつの間にか夜になっていた。雲ひとつないはずの夜空が霞み、月に笠がかかっているように見えた。泣き疲れる頃には星空は暁天に変わっていた。

 歩き続けて少女が辿り着いたのは深閑とした神社の境内だった。そこで彼女は眼帯をした性別もわからない小さな子供に出会った。挨拶をするのも忘れてぼんやりと見ていると、眼帯の子供は「ついてきて」と言ってどんどん森の中を歩いていった。

 やがて辿り着いたのは見晴らしの好い場所だった。眼帯をした子供は、山の稜線に消え行く夜に向かって不惑の笑みを浮かべた。それはまるで、次は自分の時代がやって来ると言わんばかりの確信に満ちた笑みだった。そして夜明けを告げたばかりの空に向かってなにか言った。

 この世界を救う。見ていて。

 そう言ったように聞こえた。そして、その言葉は少女の胸にいつまでも響いていた。

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