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上達は周りの人が気づかせてくれる
上達していると充実感を得られます。
何も知らない状態からスタートして、努力するうちにできることが少しずつ増えていく。一つひとつの技が磨かれていく。前に進んでいる感覚は心地よいものです。
しかしある段階で壁にぶつかると、その感覚がなくなります。本来、努力していれば少なからず進んでいるのだけど、実感がなければ充実感もなくなってくる。
スポーツなど数値で評価できる分野ならば、自分の状態を把握しやす
「普通」が上達をさまたげる
起業したばかりの頃、経験豊富なシニアに
こんなアドバイスをされた。
成功したければ、打率より打数を気にしよう。
何打席はいったか。これが大事だというシンプルな
教えは、上達を目指す人にもあてはまる。
量をこなさなければ上達できない。
上達には「質より量」。簡単にわかる理屈だ。
だが実際は、上達を目指すときこう考えてしまう。
効率よく上手くなりたい。
失敗したくない。
忘れたくない。
こ
期間を決めて集中する
上達の道のりには終わりがありません。
1つの課題に直面してようやく克服したと思ったら、また別の課題が出てくる。それが1つならまだしも2つ、3つと同時に出てくるので、時には何から取り組んだら良いのか迷ってしまいます。
そんな時は課題を一度整理しましょう。ただ闇雲にあれもこれも同時にこなそうとすると、どれも解決できないままになりかねません。
課題が明確になったら「この期間はこれだけに集中して取り
【憧れを抱いて模倣する】
2月8日、囲碁の世界棋戦「第22回LG杯朝鮮日報棋王戦」の決勝三番勝負・第3局が開催され、日本の井山裕太七冠が優勝を目指しました。
結果は残念ながら準優勝でしたが、井山さんと相手の謝さんが全力勝負している姿に多くの囲碁ファンが心を打たれました。
上達を考えるにあたり「誰かに憧れを抱くこと」は、切り開かれた一本の道筋を見つけたのと同じです。その人が進んできた道のりを目印に取り組んでいけるからです
暗記は忘れるためにある
前回、『倉庫から工場へ』で上達する頭の使い方についてふれた。
では頭に情報を「搬入」する暗記は必要ないのか。
そんなことはない。暗記は大事だ。なぜか。
それは「捨てる」ためだ。
詰めこまないと捨てられない。
禅問答のようだがこういう例で見てみよう。
常識を知っているから常識をはずせる。
常識をしらなければ単なる非常識だ。
型があるから型を破れる。
型がなければ単なる形なしだ。
常識はず
余計なことに取り組んでみよう
余計なことはやりたくない。
上達するのは前提として、できれば効率よく時間をかけずに上達したい。
普通の人であれば、誰もが思うことだ。
しかし上級者であればあるほど、そんな楽な道はないことを、実体験をもって知っている。
好きなことだけ取り組んできたとしても、どこかで壁にぶつかって試行錯誤を求められる。今まで苦手と思って避けてきたことと向き合う必要がでてくる。
苦手なことを始めるのは少したい
1月24日(水)19時から「上達の約束」セミナー開催です!
「上達の約束」は毎月第4水曜の夜に、上達について考えるセミナーを開催しています。
レッスンしている「囲碁」の上達法について話すわけではありません。仕事から趣味までさまざまな分野に通用する「上達」そのものについて考えます。
1月のテーマは「モチベーションとつきあう」です。当セミナーでは生徒・先生の両サイドの視点から、座談会形式で参加者のみなさまと一緒に話し合います。
習いごとや勉強に取り組んで
うまい例えは丁寧な説明にまさる
売れている芸人には共通点がある。
例えがうまい。
わかりやすい。おもしろい。おどろいた。
こんな感情が動く裏には、かなりの確率で「うまい例え」が登場している。
これは「教える」「上達させる」でも活用できる。
なぜなら、上達とは、
まず感情が動き
次にやる気が沸いて
最後に行動に移した
結果の産物だからだ。
最初の感情を動かす起爆剤がうまい例えだからだ。
丁寧に説明しよう
ではなく
うま
僕が上達できた理由はシンプル
僕は今仕事にしている囲碁を大学のサークルではじめました。
「仕事にできるほど、よく強くなれましたね。」と言われることも多いのですが、その理由は至ってシンプルで
「囲碁を楽しんでいたから」だと思っています。
対局、問題集、棋譜並べなど、囲碁の勉強が楽しいから、触れる時間も増えていく。やればやった分だけ身につく。上達すると楽しみ方が増えて、また一層励むようになる。大学時代はこの繰り返しでした。
ドッジボールになっていないか
教えるときに気をつけていることがある。
教える側は知識・経験が豊富なため、つい、教えたいことを
相手にそのまま投げてしまう。
投げるのはいいとして、問題は、相手にとれるように投げているかどうかだ。
自分が投げたいことがあればあるほど、(教えたいことがあればあるほど)
相手がとれるとれない関係なく「投げる」に重きがおかれる。
気づくと、相手が取れないレベルにまで「投げる」に夢中になってしまう