お金、競争vs想像力
お金のことをどう思っている?
マネー。マネー。マネー。
世の中すべてお金かもしれない。
お金がないと何もできない。
食べられない。住めない。服を買えない。遊べない。
みずから働きお金を稼いで生活する人達が尊い。そして脱税することなく税金を納めている人。
働かざる者食うべからず。
親のスネをかじっているくせに親や周囲に文句ばかり言い、悪びれることもなく恥ずかしがる素振りもないような人など、いつか痛い目に遭えばいい。周りの支えてくれる人たちの存在に涙が出るほど感謝することになるだろう。
古い街並みを見ると落ち着く。
新しさを競い合うように建ち並ぶ都会の建物たち。高さはそれほど高くはないが丈夫な造りの昔ながらの建物は、長く生きてきた中でおのれのスタイルを確立し、その競争を静観しているように見える。
新しく建てられたビルたちは、自分達がどれだけ強いかまるで争っているかのようにも見えてくる。
そんな争いなど無意味だと部外者たちが思っていても、自分たちの強さを誇示するようにビルは次々と建ちつづける。
50年後、最先端と言われてきたビル群において、いくつのビルが生き残るだろうか。
雑草の生い茂った道
無心に雑草をかき分けて行く。
道の上で新しい発見を何度もしてきた。
道に落ちた牛乳瓶のふた、漫画、雑誌。
それらが宝物のように思えた幸せな日々があった。
どれもかれも初めて見るものばかりで物珍しか思えた。
道に落ちている漫画でも、好奇心の赴くままに読み漁った。
道端に落ちている空き缶やらゴミ拾いも何気に好きだった。いいことをしている感覚も味わえるし、草むらに隠れていたゴミを発見して、ゴミを取り除くことで草むらがどんどん綺麗になっていく。この時の爽快感が好きだった。
それにどんな人がこの草むらに落ちているゴミを捨てていったか、どんなドラマがあったか、ゴミや空き缶を見て自由に想像を巡らす。
お金の豊かさなんて関係なく、純粋な想像力で溢れた世界はキラキラと輝いて美しかった。
道草を食って塾に遅刻することもあった、
道端、自動販売機の下などに小銭が落ちていないかよく目を凝らしたものだ。人が誤って小銭を落とすような場所はゆっくり歩いてキョロキョロと下をうつむきながら歩いていた。
いまも誰かにバレない程度に続けていればメガネやコンタクトレンズも要らないぐらいに視力も上がっていたかもしれない。
今も昔も、1人の帰り道になるとお気に入りの曲でカラオケ練習。ただ好きな曲を歌っているだけで楽しかった。
1日の授業やクラスメートとの人付き合い(私の中でこれらは「仕事」の一面もあった)が終わり、夕方以降に一人になった時に歌いたくなる。
人付き合いも大変だった…クラスの中での流行についていけないとすぐに孤立してしまうので、人付き合いを円滑にするべく流行っているテレビ番組やゲームを真面目ながら予習していた。
社会人になった今でも仕事終わりにカラオケへ歌いに行く。
やっぱり今も昔もカラオケはストレス発散の一つ。かつては歌手になりたいという夢は1ミリほどあったがいつのまにか0ミリに。
そして、大学生の夜。
飲み会で夜遅くなった際の帰宅途中、楽しい気分に浸ったままで何も考えていない時にナンパされがち。警戒心が弱まっている様子で、非常にチョロそうな顔をしていたはず。
たくさん飲みすぎた夜は酔いつぶれて道の上に寝そべりそうにもなった。
「もう何もかもどうでもいい」
「いまが楽しければいい」
何に対して嫌気が差してここまで飲み過ぎたか…。偽りの楽園。ポジティブでもなく人生に悲観して絶望的になり、現実逃避したがっている。
世の中の中心がお金になっているが、お金を持っていない自分、人生の覇者になれていない自分、すべての認めたくない現実から目を背けたくなったのか…
朝になって夜が明けたら目を背けたい現実が戻ってくる。
それでも生きるしかない。
想像力だけで楽しく過ごせた時間を取り戻せないのか…
コロナ禍になったいま、お金のことも心配だけど何のために我々は生まれてきたか。
どうせ生まれたなら、どんな状況になっても人生楽しんだもん勝ちじゃないのか。
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