見出し画像

BOOK CAFEそらふね『昔話の深層』

画像1

前回のBOOK CAFEでユング心理学の本を紹介したんだけど、今回は「昔話」に表れる心のパターンをもっと具体的に!身近な例に結び付けて教えてくれる本をご紹介☆

前の本はちとオカタイ感じで「ムムム読みづらい。。。」と思う人が多そうな内容だったけど、今回はほんと、「あ~確かに、確かに」「あるある!」って自分や身の回りの人、出来事に照らし合わせながら読み進められて、かつ深いメッセージも読み解ける本でございます(''◇'')ゞ

というのも、題材が「昔話」だから。

誰だって子どものころに読んだり聞いたりしたことのある話。子どもも大人も楽しめる「物語」がテーマ。なんとなく印象に残ってる「物語」って、ひとつやふたつ、あるでしょ?

古今東西おもしろい昔話はたくさんあるけど、この本は「赤ずきんちゃん」とか「ヘンゼルとグレーテル」なんかが有名なグリム童話をメインに、いくつか日本や他の国の昔話も交えつつ「人の心の奥の奥!」をのぞき込んでいくよ。

昔話は人の心の奥の奥を映し出す!

画像2

ユング心理学ではずせないキーワードは「元型(アーキタイプ)」。これは前回のBOOK CAFEで紹介した『共時性の深層 ユング心理学が開く霊性への扉』でも出てきたアレ。

昔話や物語、儀礼の中で繰り返し登場する、時も場所も超えてニンゲンみんなに共通する、根っこにある「心のパターンの現れ」ってやつ。それが「元型」。みんなが無意識に思い描く「あるある」パターンね。

長い時を経て繰り返し語られてきた「物語」の中には、そういう無意識のイメージ(元型を象徴するキャラクターや物語構成)が盛り込まれている・・・というか、無意識に感じ取るイメージ(元型)を直接的に表現したのが「物語」なんじゃないか、って視点。

ちなみにユングといえば「夢分析」。夢もまた、無意識の心の動きを物語化(表現)したものだってこと。昔話を語ったり聞いたりすることは、起きたまま夢を見る(共有する)ことなのかも。

「神話」とか「伝説」も、心のパターンを映し出す物語なんだけど、神話とか伝説ってのは人為的(意図的に)にコントロールされてる部分が大きいから、今回は昔話に絞って注目する。

伝説は特定の場所、人に結びつくし、神話も特定の集団のアイデンティティについて語るって役割があるからね。

民間伝承文芸を研究したマックス・リューティは「昔話は現実を抽象するが、伝説は現実的な想像を強いる」って表現したように、伝説ってのは「こういうことがあったんです!」って現実的な情報として受け取ることを求める。昔話は毎日の出来事、あるある心理状態の様々なエッセンスを抜き取って物語化したものってこと。

それから昔話は単純な「勧善懲悪の教訓」じゃない、ってことは重要ポイント。だってとんでもないストーリーいっぱいあるよ(笑)

まるで「自然」のごとく、善人だからとか悪人だからとか関係なく、時に理不尽に作用する文句のつけようのない力。英語で言えばjust so!まさにそうであって、どうもこうもない。心理学者のフォン・フランツはこれをjust-so-nessと言ったんだって。

そういうむくわれないjust-so-nessも含めて、道徳とか合理性とかから切り離されたニンゲンの本質(の片割れ)を保存しているのが「昔話」なんじゃないか、ってのが面白いところ。これは本書で紐解いていく心の機能にもリンクしてくる。

意識から切り離されたもの、かつ切り離せないもの。それがどこに沈んでいるかと言うと、それが無意識の世界なんだよね。

意識と無意識の世界をつなぐ手段

画像4

「意識」という心の働きが生まれて、それを磨き上げていくことで文明は発達してきた。見える世界、意識できる部分を拡大していく作業が文明化だからね。

ただ、あんまりにも意識!意識!と無意識の世界から切り離されると、人は生命力を失ってしまう。意識×無意識のコネクションの不具合が、精神疾患として現れるのはこのあたりも関係あるのかな。

昔話は無意識をくみ上げたエッセンスなんだから、逆に無意識に降りていくためのハシゴにもなるんじゃないか。そう思って読んでみると、昔話にものすごく世界の広がりを感じる。

例えば昔話は、太陽の運行(昼や夜の訪れ)や生死のサイクルを、動植物や擬人化されたキャラクターで表現する。これは自然現象の物理的しくみをわかってないからそう言ってるんじゃなくて、自然現象を体験したときに心の中に生じる働き(感じること・イメージすること)をまるっと全部いっしょくたに「消化」するために「物語」という形式を使ってるんだぞ、って視点。

意識を発達させてきたワレワレは、太陽について、雨について、知識を得た。あんまりにたくさん、自然についての知識を得たせいで、太陽そのもの、雨そのものを体験することができなくなったんじゃないか?って河合せんせは言う。

そういった体験を、昔話は表現してくれている。昔話を通して、分断されがちな意識と無意識の関係性を「いいあんばい」でつなぎ直すことが、ダイジなんじゃないだろうか。

意識と無意識を「いいあんばい」でつなぐということ

無意識と意識がつながるってことは、意識の世界と無意識の世界でエネルギーのやりとりがちゃんとできてるってこと。例えばひらめきや直感、インスピレーションってやつは無意識のなかにただようアレを意識がうまいことキャッチしないと起こらない。

画像4

キャッチする側の意識が未熟だと、そのチカラは現実感覚がなくなったりなんのつながりもない空想の断片としてしか現れない。

そのつかみきれない無意識のエネルギーってやつは、昔話ではよく鳥の群れとか、飛んでいく鳥、鳥の羽で描いてる。占星術のサビアンシンボルも「鳥」は霊性の象徴だよね。

意識ってのは、「自我」って言い換えられるかな。

無意識の状態から、「自分」を意識する過程ってのは、ニンゲン誰もが子どもから大人に成長するために経験してきたこと。子どもが主人公になる昔話は、この自我の成長プロセスが描かれてる。

占星術LOVERのみなさん、そのとおり!

月(無意識)から太陽(意識)へと至るプロセスですな。

さてここでクイズ。スタート地点である無意識の世界、「月」の世界を支配しているのは誰でしょう?

・・・そう、「月」は子どもの象徴であると同時に、母親の象徴だよね。

無意識の世界の出発点は、母なるもの。個人的な母の思い出、具体的な人物像は人それぞれ違うけど、「母なるもの」の存在感は、どんなニンゲンにも必ず無意識の中にある

それが、「グレート・マザー」っていう元型。

代表的な「元型」グレート・マザー

画像5

元型にはいろんな種類があるけど、これだけは外せない!って元型なのかな。前の本もグレート・マザーだけピックアップして解説してたし。

昔話でも、頻出の元型。魔女、山姥、お妃や女王、もちろん母親というキャラクターで出てくることもあるし、物語の展開そのものが「グレート・マザー」の性質を持っているなんてこともある。

母なるもの(母性)、それは生命を育むと同時に奪いもする両面性を備えたもの。生の女神であって死の女神でもある。日本神話のイザナミも、生と死の両方の性質を描いてるよね。母性の包み込む性質は、裏を返せばすべてを呑み込んで無に返す破壊的なチカラにもなる。

現実社会だと、当然だけど母性のポジティブな側面(ささえる、育てる、実らせる)しか受け入れられない。切り離された負の側面が、昔話の中で魔女や山姥、残酷な継母として拾い上げられて保存されている。そうやって無意識にバランスを取ろうとしているのかも。

われわれは自分の能力も省みず、何事であれ自分で「抱きこみ」、「かかえこもう」として、それが不可能とわかった途端に、棄て去ろうとし、死に追いやろうとしなかったであろうか。われわれは誰かを世話し、育てるという美名に隠れて、その自立をさまたげていないだろうか。

グレート・マザーは誰の心の中にも、どんな社会にも存在する。

元型って、そういうこと。片方を切り捨てずに、どっちがイイとかワルイとか判断せずに(just so!!)両極を併せ持つのが元型。

画像6

そしてタロットでグレート・マザーを表現しているのが、大アルカナの3番目のカードEmpress!妊娠中の女帝でごわす。まさに豊穣の女神。実り、豊かさ、生命を育むチカラ。

金星マークがついているように、女帝は金星に結びつくカード。金星ってのは牡牛座と天秤座の支配星だね。牡牛座は豊かさに、天秤座は相手にスポットライトを当てたサイン。

「相手」ってどういうことかって、これは私の解釈だけど、マザーは単体じゃマザーになれんよね。ささえる対象、育む対象、慈しむ対象が必要だ。そういう他者と自分を結び付ける側面が、天秤座的な金星(女帝)なのかな~って。

それから「3」って数字。昔話には題名だけ見ても「三」がかなり多く出てくる。ユングに言わせればこれは「4(完全な統一、安定)に至る力動的な状態」なんだとか。これから安定に向かう動きのある準備状態、ってやつかな。数秘術的にはどうなんだろう?

私個人は「3」って数が小さいころから好きで、「黄色」のイメージがある。だからおとなしくない印象。そこで完結してまとまってない数だよね?でも2みたいに大きい力の変化、釣り合い(オポジション)とも違う。

母なるもの、母性と言えば「月」を支配星に持つ蟹座をはずすわけにはいかねぇ!グレートマザーの負の側面って、暴走した蟹座のイメージがわかりやすいかな(笑)過保護になったり、排他的になったり。

蟹座は地底ICで始まる4ハウスのサイン。無意識が地下で表現されるように、深い部分を占拠しているのが蟹座、グレートマザーの影響力。

あえて切り離された(見えないように隠された)負の部分ってのは、8ハウス…蠍座が受け持ってるのかな。8ハウスって深層心理の領域でもあるし。

自我と対立する母性

画像7

子どもがオトナになるってことは、無意識から切り離した「自我」を大きくしていくってことで。それには「父性」の存在も欠かせない。というか、無意識に対する意識、自我ってやつは、母性に対する父性でもある。

蟹座とオポジション(180度)向き合う山羊座が、父性の象徴でもあるように。父性は父親とか人物だけじゃなくて、社会そのもの(常識やルール、法)も父性として機能する

いつまでもママンと一心同体べったりしていたいけど、「そんなことじゃ立派な大人になれないぞ!」って世間的な目だったり、社会システム(常識とか社会制度)も父性。

心理学者ジャック・ラカンは父性による母子分離を「去勢」って言葉で表したんだけど、チョキンってへその緒を切るハサミのような役割。切り離すっていえば残酷なようだけど、そうしないとグレートマザーは子を自分の中に取り込み呑み込んで「殺して」しまう。

自分を切り離して自立しようとする自我と、抱え込もうとする母性(グレートマザー)の負の側面の対立や葛藤を描いているのが、昔話に登場する魔女とかオソロシイ継母なのよね。

昔話の深層 ユング心理学とグリム童話 (講談社+α文庫)』の中で母子分離の葛藤を描いた例に挙げられていたのが、ヘンゼルとグレーテル。

あれ、子どもを捨てるのは原作だと継母じゃなくて実母なんだよね。。。

グレートマザーの負の側面を描いているキャラって、本来は実母なんだけどのちのちに継母に書き換えられているものが多い。これまた、母性の片側が社会に受け入れられにくい様子を象徴してておもしろい。

だいたい昔話って、不完全な家族構成がスタート地点になっている。昔話に限らず物語って大抵そうなんだけど、欠けているものがあって、物語が動きだす。完全調和の安定モードだとストーリーはなんの変化もないのは当然か。

ヘンゼルとグレーテルは珍しく、家族構成は安定してる。父と母と姉弟。ただし、「貧困」「飢饉」って状況がストーリーを動かす最初のキーワードになっている。

河合せんせの説明によると、飢饉や貧困ってのは「心のエネルギーが不足している状態」を描いているらしい。心のエネルギーってやつは自我を支えるパワーなんだけど、それがじゅうぶんに自我に補給されていないとどうなるか。

幼児に退行しちゃう

幼児に退行すると、幼児的な願望が前面に出てきちゃったり、「拡大した現実把握」をしがちになる。「拡大した現実把握」ってのは、ちょっとしたことにとてつもなくショックを受けたり、少し親切にされると崇めちゃったりする精神状態。

一文のLINEメッセージに「え?え?怒ってるの?嫌われた?どうしちゃったの?」っていちいちザワザワして疲れたり、Youtuberのありがたいお言葉に涙ハラハラ流して「この人こそが私を分かってくれる!!言葉にしてくれてありがとう!!!」って感動したり。。。

エネルギー不足による幼児退行ってこともあるかもね!!

この状態って、まんまタロットの「月」が表す状態。月の神秘的でコントロール不可能な側面(海王星的な要素)に囚われてる様子と同じ。「月」という象徴が子ども、グレートマザーに関わってくるのは先に述べた通り。面白いね~~!!

河合せんせは、著書の中でよく「日本は母性が父性の肩代わりをしている」ことを問題提起しているんだけど、父性のチカラが弱くなると、母性がその役割を受け持とうとするんだよね。

学校の成績とか、就職だとかに母親が強い影響力を持とうとすると、ちょっとアンバランスなことになる。母親が父性を代行する時、どうしても「極端な」働きかけをしてしまうから。

それがヘンゼルとグレーテルを山に捨てよう、と決断する母親に重ねられる。父が弱いと、母が厳しくなる。河合せんせは何組もの親子に向き合ってきた臨床心理士なだけあって、このあたりのストーリーの例も豊富。

母親と子供の関係性については、どの本でも触れられるテーマ。グレートマザーってのはニンゲンの心に向き合うために欠かせない要素なんだな、やっぱり。

グレートマザーの負の側面を乗り越える

映画にもなったね!!約束のネバーランド!!!!ネタバレは書けないけど、これこそグレート・マザーの葛藤、子どもたちがグレートマザーの負の側面から逃げて「生き延びる」過程を描いた物語

孤児院から脱走するまでのシーズン1、外の世界で自分たちの生き方を探すシーズン2。シーズン2でグレートマザーの役割の回収が、お見事。。。

昔話でよく出てくる「鬼」ってのも、心の内側を映し出したものとして読むなら、自分の切って捨てられた受け入れられない片側(影=シャドウ)ってことになる。

『約束のネバーランド』でも、主人公は「鬼」を通して影と向き合い、自分の中のシャドウを取り込んでいく過程にもなってる。Netflixでシーズン2のラストまで…全話見るべし!!!!

シーズン2では特に「食」と「命」にスポットライトがあたるんだけど、このへんは『空挺ドラゴンズ』にもリンクする。

ニンゲンの正義、大切なものを守るために行使するチカラってものの「影」、傲慢さ、見て見ぬふりをされてる残忍さも考えさせられる。それって、『ディザインズ』もそうだった。

この過去記事が「マァーーーーーマァァーーー」の絶叫で始まるというまさかのシンクロ(笑)

個人的なことなんだけど…『約束のネバーランド』シーズン2を見てた頃、「全部背負うこともまた傲慢」ってキーワードが出てきてね。これカードからも言われてて、パイン王子もちらっと顔を出してた案件なんだ。

DoingだけじゃなくてBeingも。生きている、存在している、それが完全に「ゆるされている」感覚。そういうもっと根本的な部分で「自分を信頼する」感覚。

そういえばパイン案件で例に挙げた『よだかの星/宮沢賢治』もまた、命を奪うこと(食)に絡んでくるストーリーだったな。

私、別にヴィーガンでもなんでもないんだけど。

なんでかしらそういう分野にも縁が深いようです。

さてっさて。グレートマザー(母性)からの自立には父性が欠かせないわけなんだけど、『約束のネバーランド』には父的な存在が出て来ない。男の子はいるけど、みんな子ども。

孤児院から脱出するきっかけになった男の人は、その存在がずっと見えないままでストーリーが進む。「きっとどこかに存在しているはず」と彼を探す展開もまた、父性を失って母性が暴走している状況を象徴していているのか…!!

最後にその姿の見えない父性を代行するキャラクターが出てくるんだけど、彼もまた象徴的で。子どもたちが彼に出会う場面が、ホロスコープが描かれた天井を持つ大きな丸いエレベーターなんだよ。

運命の環、ですな。

10 Wheel of Fortune

立場と言う運命、個人が動かしたり留めたりすることのできない大きなシステム。父性と対峙した主人公たちは、そこに至るまでの困難を通してシャドウ(影=鬼)を統合していた。だからグレートマザーとの葛藤を乗り越えることができた。

このママとの関係性の再構築が、見事なんだよーーーー

「物語の語りなおし」が、ここで起こるわけ。

月の「過去」を捉えなおして、癒す。その上で運命に対して「自分の選択権」を放棄しない。占星術の太陽は、未来への照準。選ぶのは自分。

悔いは、生きて償う。

生きること、「選択」して自分の世界を自分で創ると決めること。ちまちまと象徴的な出来事を考察したいっ!!でもネタバレになる・・・!!(笑)

占星術のバーテックスをどうとらえるか、ってヒントにもなるストーリーだった。

ああ、そういえばタイトルの「約束」はそういうことだったのか!!ってのも最後に浮かび上がってくる。シーズン2の、クライマックスのテーマは約束の結び直し。物語の語りなおしだった。

深層心理はみんな繋がってることを考えると・・・

この時代にこのテーマが描かれるのは、今必要なことだからってことだ。シャドウ(鬼)を取り戻して、グレートマザーとの葛藤を乗り越えて、成熟すべし。

鬼滅の刃も、そうだね。主人公は鬼も「救おう」とする。同じ時代に似たテーマが「響く」ことは、集合意識で読み解くとオモシロイ。物語は、ワレワレの心の奥の奥を映し出すってこと。

『約束のネバーランド』でいえば、父性の「選別」に対する批判もあったんじゃないかな。主人公は一貫して、「全員で生き延びる。みんなで助かる方法を探す」を主張する。

幼い子供とか、明らかに足手まといになるメンバーを切り捨てれば助かる確率は上がるんだよ?それも分かったうえで、成功する確率が0に近くても、その結果(切り捨てていれば)助けられたかもしれない命も危険にさらしたとしても、最後まで曲げなかった。

効率重視の現代社会システム(父性)に真っ向から挑んでるでしょ。

トロッコ問題でおなじみの「1人見殺しにすれば5人助かる、さあどうする?」という状況に陥ったとき、ワレワレは見殺しにすることを選ぶ(そっちが評価される)社会に生きてるんじゃないだろーか。

そんな父性=社会システムすら「語りなおし」に挑む物語なのさ。つまり山羊座の冥王星!!!主人公の女の子はね、父性のシステムに「選択」という可能性を示した。

選択せずに「成功」したオトナ(父性システムに従う成功モデル)が、最後に死を迎えたのも印象的。あれは死を「選択」したんだろうか。それとも選択することを拒むという「選択」だったんだろうか。。。

主人公の「みんな助けたい」という責任感が「女神的に」最後まで描かれていないのが良かった。ピュアな天使像というか、善の象徴になりそうなもんなんだけど、結局はそれも「傲慢」だって気付くから。

気付いたうえで、改めて「選択」する。自分を更新し続ける。それでも自分が人生に(目の前の世界に)レスポンスしていく。投げかけられる問いに、自分のこたえでこたえていく。

「生きる」とは人生に問うのではなく、人生から投げかけられる問いに答えること。

「どうしてこんな運命なんだ!」「なんのために生まれてきたの」と問いかけるんじゃないの。逆だよ、運命があなたに問いかけてるの。

問いに応えるプロセスってのは、「葛藤」として現れる。乗り越えるべき問題、危機的状況で描かれる。そしてそれが、成熟に(人生を前進させるために)欠かせない要素なんだってこと。

「物語」は心(タマシイ)の成長を描き出す

画像8

だいぶ本からハナシがそれちゃった(笑)

『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話 (講談社+α文庫)』のなかにはもっとたくさんの具体的なできごと、心の葛藤なんかが例に挙げられててほんとオモシロイ。

今回のBOOK CAFEでは取り上げなかったけど、「トリックスター」っていう元型、それから男性の中にある女性性「アニマ」と女性の中にある男性性「アニムス」もめちゃんこオモシロイ。

未熟なアニムスの例とか、「アイタタタタ・・・・」って思いながら読んだよ。あたしじゃん、って(笑)

以上、河合隼雄せんせの『昔話の深層』でした!!

おもしろいから読んでみてね~~(''◇'')ゞ

無意識(母性)と意識(父性)をどう繋げるか
実像と影、男性性と女性性、これを「葛藤」を通してすり合わせながら、自分だけの全体像を見つけていくってのがニンゲンの成長の向かう先。陰陽統合ってやつです。

私の今の関心は、母性の「全受容」(全肯定)感覚を、コトバ(父性的な働き・ツール)でもって結び直すことができないか、ってこと。

色にも出てたな。

コトバのチカラって、すごいんだよ。「引き寄せ」とか「言霊」っていうレベルじゃない。それ自体が世界を構築する(している)んだから。

空海せんせは、そのチカラのすさまじさを「宗教設立」っていう行動で多くの人に伝えた。そういえば、阿吽の新刊がもうすぐ発売だ・・・!!!

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のように ただ独り 歩め。

そういうわけで私はこれから、マーシャル・ローゼンバーグの提唱したコミュニケーション哲学NVCを学ぶつもり。NVCって、対話の「スキル」とか「心構え」っていうより、思想というか哲学・・・臨床哲学に近いと思うんだ。

知識じゃなくて、技能でも無くて、応用してなんぼの「理想の世界の構築方法」、知恵ってやつです。NVCってなんぞやってハナシも、できるだけ丁寧にブログで紹介したい。

現在進行中プロジェクト

公式LINE

もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!