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ポップスってなんなんですか

みんな言ってるよ。」「全米が震撼。」「それ普通だよ。」

この太字で表されたワードの醸し出すニュアンス。それは普遍性という言葉にもできるのかもしれません。

「みんな」って?「普通」って?もやもやしていた子供のころ

僕は子供の頃から、よく聞くこの普遍性と自分が感じる普遍性にどこか微妙なズレを感じながら生きてきました。

大きくは違わないけど、どこかズレてる。

人生のステージによってそのズレが恥ずかしいことだったり、逆に極端に開き直って個性的な自分を前面に出したりしてましたが、突き詰めるとそのどちらもそのズレをきちんと受け入れられないことの表れだったと今では思います。

サラリーマンから、グラミーノミネート。「普通」を理解したつもりだったのに…

僕は17年ほどサラリーマンを経験し、普遍性を強烈に意識しながら仕事をしてきた後、40手前にして音楽の道に進みました。音楽家という特殊な職業に転向してからも、自分の個性を大事にしつつ、自分の長いサラリーマン経験から「普通はこうだよね」っていう感覚も持ち合わせているつもりでした。言うなれば、みんなが好きな感じもわかってるけど、俺はあえて自分が好きなようにズラしてるんだよね っていう感覚です。

でも、特にグラミーノミネートという予期せぬ事態が舞い降りてきた後、急激に商業音楽仕事を受けるようになり、周りからも僕のキャリアをもっと伸ばすために、もっとポップ性を出せと言われ続けられました。

僕自身もプロデューサーたるもの、ヒット作をもっと出さないといけない。それがプロデューサーの才能だと思い込んでしまった時期もあり、その能力を証明しようと必死に頑張りました。しかし、周りが求めるものがなかなかできない。これが本当に辛くて、ポップスってなんなんですかという疑問に初めて真剣に向き合うことになりました。

「みんなが好き」と「みんなに好きなってほしい」の違い

そうすると、


・大勢のリスナーが買ったり聴いたりするいわゆるヒット作を軸に置いたポップスという音像
・僕ができるだけ多くの人に共鳴してもらいたいと思う精神性を含めたポップス

は別物だという今考えると当たりまえの事実に帰結しました。

これは別の表現に置き換えると、

・現状みんなが好きというポイントを把握してそこに作品を寄せること 
・自分がいいねと思って作って、それをみんなにもわかってもらえるだろうという期待感を持つこと 

との違いを意味します。
つまり、僕は「現状みんなが好き」というヒット作のポイントに完全には共鳴できていなかった。そして自分が共鳴できないことを音楽でやるのは嫌だった。

パーソナルな音楽 = ポップス になる時代

こうして、2年近く精神的に病んでしまった後、周りが言うポップスを追求するのを僕は辞めました。経済的成功ももういい。そして人ともほとんど会わず当時のLAのスタジオに住み込んで、音楽を作るわけでもなく、ひたすら自分を見つめる日々が続きました。

自分が現状のヒット作に完全に共鳴できないのは、冒頭で触れた微妙なズレのせい。そして自分はそのズレを埋めようとしても結局心がついていかない。自分はそういう人間なのだと受け入れるようになりました。そしてどこまでも一人称な音楽を作りたくなったのです。
そして自分の中身を完全にアウトプットするには音だけじゃなく歌詞が必要でした。だから僕は歌ったことないけど、当時はまだアメリカで活動するつもりだったけど、濁りのない表現をするために母国語である日本語で、自分がいいと思う歌い方で歌を乗せてみました。

その名もなければ、リリースプランもない、ひたすらパーソナルな音楽プロジェクトに、一年後POPS研究会という、その精神性と一見相反する名前がつけられました。

なんで、世に出すつもりもなければ、個人的幸福のために始めた音楽をそんな名前で世に出すことにしたのか。

僕にとってはもはやポップスは音楽的な定義ではなく、精神性を意味する言葉になっているのです。例えばスポーツの試合で感動するシーンとか、みんな共感しますよね?誰かの心温まるストーリーや逆に辛いストーリーにヒット作並みに共感することありますよね?みんな狙ってそのストーリーを生み出したわけじゃない。でもその体験をシェアしたくなる。そういう純粋な気持ちとそこで生まれる共感がポップスでいいんじゃないかと。

僕の過去のnoteでも書いた通り、デジタル革命の波によって作り手と視聴者がダイレクトに結ばれるようになり、中間に入っていた売手の意図した共感ポイントでマスを束ねるのは難しくなってきています。
誰かのパーソナルなエピソードやストーリーがSNSを通じてどんどんシェアされていくように、音楽もまた、誰かのパーソナルな思いで作られた音楽や、誰かのパーソナルな音体験が共感されて広がっていくのではないでしょうか。

僕がPOPS研究会で吐き出した個人的なストーリーをどれだけの人が共感してくれるかはわかりません。でも、人はそれぞれ違うんだっていう真理を受け入れたからこそ、共感を通して社会とつながりたいと思う気持ちも強くなっていってます。そうじゃないと、この社会で生きてる意味がなくなってしまうでしょう?だからこそありのままの自分を敢えてこのアルバムを通してシェアしました。是非聴いてもらって、共鳴してもらえたら嬉しいです。

このアルバムのタイトル、ジャケ写に込められた意味など、伝えたいことはまだ沢山ありますが、また次回に。

POPS研究会 Am I Weak Enough to be Strong? “The Idea of Desirable Difficulty”
配信/DL https://linkco.re/GN0gTM4E

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