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「満開オルゴール」(星雲乱破シリーズ)

彼の中にはたくさんのオルゴール箱がある。小さい物から大きなタイプ。クラシカルな骨董品から最新型OSを搭載した物、包装も多種多様で、鮮やかだったり色落ちしていたり。ほんの時々、鍵が錆びついて開けられない場合もあるが、そんな時はいつも、本人が自分から開けて中身を笑顔で見せてくれるのだ。流れてくるほとんどは、切なくも哀しいメロディ。

「明日は六時起きだよね。早めに晩ごはんを食べて風呂入れば、七時間半は寝られるよ」
「私、仕事はマシンで飛ぶだけだから楽しいんですけど、早起きが一番辛いんですよね。朝10時からスタートして、帰宅は19時のシフトに変わらないかな」
「ああ、アナタ夜型だもんね。朝10にしたいなら、うちもフレックス制度を作る? 総務と相談するよ」
「伍長、ありがとうございます。そうしてくれると助かります」

すっかり二人暮らしが定着したマンションにて、隣の部屋が一応の自宅なはずのアルマンゾは、こうしてほぼ毎日、ソーヴィの生活サポートをしてくれる。今夜のメニューは柔らかく煮詰めた親子丼。この数日、少し胃が痛いので漢方薬を飲んでいるのがすっかりバレている。

(ゴミをここで捨てないのに、どうして分かるんだろう……)

キッチンの中に立つ、鍛えられた背筋がしなやかに動くブルーのシャツをまとう長身を眺める。色鮮やかな肉や卵、野菜が輝くボーンチャイナのトレイ。まだ自家中毒で苦しんでいた幼い自分へ、血の繋がらない父が少しでも食欲が湧くような料理を並べてくれた、懐かしいあのテーブルを思い出した。

「伍長、私もお手伝いします」
「いいのいいの、アナタは高給取りのパイロットなんだから、指でも切ったら大変だよ。火傷とかもコンソール打つのに支障が出るし。プロには休むのも仕事のうちなんだから、のんびりしてて」

効率的に手早く作業を進める姿に、確かに自分がいても邪魔になるだけだとソーヴィは「すみません、ではお言葉に甘えて」と控えた。

どうして彼はこんなに良くしてくれるんだろう、優しくしてくれるんだろうと考える。これが一般常識内の「部下と上司」又は「友人」の距離感なのだろうか。

六歳でツタンカーメン家に入った日には、既に祖父である響の伴侶だった「梔子(くちなし)」は出奔していて会ったことは無かった。その息子である静は、自分を引き取るまでは散々浮き名を流した社交界の華だったと聞く。だがソーヴィが屋敷に住み始めた当時には、過去を全て清算し身綺麗な独身貴族になっていたらしい。

そんな事情もあり、ソーヴィには「夫婦」や「パートナー」と言われる間柄が身近にいたことがない。そんな未経験ではあるものの、こうして毎日自分の部屋に寝泊まりして朝食と弁当を作り、掃除や風呂洗いまでこなしてくれる人物を「伴侶」「同棲相手」と呼称するのではなかろうか、と最近は感じるようになった。

ここで「恋人」という単語が出ないのは、ソーヴィがまごうことなき「クシィー・セクシャル」だから。自分自身と他の誰かが、恋愛や肉体関係を結ぶ思考が全く浮かばない。クシィー性とは、そういう新人類だ。



モフモフがマイブーム。ニッセンセールにて。


風呂から上がり床暖房畳の上で横になったソーヴィは、そのまま寝てしまっていた。バレリーナ・ピンクのモフモフルームウェアは、ポラリス・マーケットにて上司がチラチラ眺めていたのを、アルマンゾが5000デュベで購入したプレゼントだ。アクリル地で軽く、兎の耳がついていてとても可愛いらしい。

UNIQLOに初めて入店した時の顔は忘れられない。「色が、色違いがこんなに!」「ウールのワンピースが……3000デュベで買えるんですね……」

天王星を統治する「猛禽王」、洒落者として知られる静・アマデウス・ツタンカーメンの雛鳥ならば、それは豪勢なオートクチュールしか身につけたことはないだろう。そう指摘すると「いいえ、13歳で寮に入るまではほとんど、祖父のお手製を着ていました。浴衣とかセーターとか……、あ、毛皮のケープとか」と聞いて驚いたものだ。


小さな寝息を確認しつつ、アルマンゾは部屋のフックに引っ掛けられていた、キャスキッドソン・ロンドン製の花柄リュックをそっと開ける。一個ずつ手縫いで仕上げられる商品は、一つとして同じ柄合わせの物はない。

「あれ、また濡れたハンカチを出し忘れてるし……。薬は……まだ残りはあるかな」

上司の手荷物を毎日調べることに多少の罪悪感はあるが、元から腕利き工作員としても長く生きてきたアルマンゾは、この行為をやめない自分を諦観していた。毎晩、喘息と偏頭痛、鬱の抑制薬と睡眠薬を飲んでいる事実を、ソーヴィは自分に気を遣われたくなくて黙っているのだ。性格上、問題のない話ならいつでも語ってくれるのに。

おそらく、子供時代から体質について散々大人から追求された過去が、かなりのトラウマだと思われる。「屋敷に入ってからはずっと寝込んでいて、父が宇宙中の名医を呼んだものです」と、珍しく疲れた顔で零していたから。

最近になって「史上初クスィー・ナチュリアかつ最年少の、ナイファスパイロット」として、顔出しのインタビューや部隊のプロパガンダが急増した。その中でも特に多い「クスィー・セクシャルとしてのハンディキャップを持ちつつ」「ナチュリアの不利な体力や、フィジカルをものともせず」とマイクを向けられ、辟易しがちでもある。ソーヴィにとって自分の体質や性別とは、完全に自身でも納得し、受け入れている個性ではない。

それらを間近に見ているアルマンゾは何より、ソーヴィに負担を感じられるのが嫌でとにもかくにも避けたかった。話題にしたく無い内容を切り出せば、微笑みを浮かべつつ感情自制をして聞かせてくれるソーヴィに自分が傷付くし、本人をも憂鬱にさせる。

「え〜と、総務にシフト提案をして、明日は入隊希望者の面接が14時。ポラリス・マーケットにバスタオルと味噌とオリーブオイルを買い出しに行く……」

ポチポチとセルフィアイにスケジュールを打ち込みながら、寝入っている小さな顔を覗き込む。普段は快活なイエロー・ダイアモンドの瞳は閉じられていて、童顔が少し大人びて見えた。

「伍長は私の部下と言うよりも、お母さんですよね。母親という人は、子供のご飯を作って靴下や下着を買ったり、本を読み聞かせたり健康管理をしてくれるのですよね?」

一度、そんな質問をされて気づいた。

「そうか、この人は母を知らないのだなあ」と。

アルマンゾことマンジェリン・ベラスカトーレ少佐は、六歳まで生まれ育った城に住んでいた昔に、よくグリフォンの母親から外の世界の話を聞かされたものだ。

「人間は恐ろしく残酷で、強欲な種族よ。私達のご主人様はとても優しい名君だけれど、あれは貴重な数少ない存在なの。けして、人類に心を許してはいけないわ」

まだ若く美しかった彼女の声の音域は忘れかけているが、その何度も繰り返された警告は一言一句違えず、記憶が全く薄れない。

「母さん、俺は貴重な人と巡り会えたよ。この人間の為なら何でもしてあげたいし、護れるなら死んでも本望だ」

ソヴェアリス・ツタンカーメンは自分より四つ年上だが、大切に育てられた貴族の子供らしく、穏やかで清楚で厳かで。そして何故か、天才的なナイファスのエース・パイロットであるにも関わらず、自己評価が低い。聡明で感受性が深く豊かな語彙力を持つのに、「私には、エアバトル以外には何も取り柄がありませんので」と、卑屈ではなく正直に思い込んでいた。

だからアルマンゾはそんな主人の、何気ない所作や言葉の一つずつを賞賛した。生きることに対していつも遠慮がちなソーヴィに、もっと自信を持って欲しかったし、心から貴方を誇りに思うと伝えたかったから。

この人の中に散りばめられた宝石箱を一つ一つ開いて、流れる音楽や溢れる光を眺めるのが好きだ。無限の可能性に満ちたオルゴールが、ソーヴィ自身でさえ知らないセレナーデを奏でている。

「少尉、そろそろ起きようか。ご飯できたよ」
「……う〜ん……、はい……、起きます……」
「はいはい、食べるのも仕事のうちだよ。手を洗ってきて」
「はい……」

アルマンゾは、余程でない限りは年若い主人には触らない。殺戮の日々に汚れ切ったグリフォンの爪と牙からは、死ぬまで血の染みと匂いが消えないから。

「今夜のメニューは、親子丼とほうれん草のおひたし。そして蛸と白子のポン酢和えです」
「美味しそうですね!」
「美味しいんです」
「では、頂きます!」
「召し上がれ」

いつまでこの穏やかで幸せな日々が続くか、アルマンゾには分からない。来年か、来月か、それとも明日までなのか。幸福な毎日には、ある瞬間から突然の破滅がやって来るねだと、自分は現実を自身の悲劇的な経験から熟知していた。

ストロベリー・ブロンドの隙間から輝く、黄金の視線に微笑みながら、せめて一分一秒でも長くこの平穏が続くように、祈らずにはいられない。


【終】




作詞は「機動戦士ガンダム」の、富野由悠季監督。











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