おはなし会でおはなししたこと(周波数編 ③)
周波数編、いよいよ最終回です。
おはなし会の短い時間の中、周波数の話だけでこの情報量をみなさんにお伝えしていたのかと思うと、みなさんはひどい仕打ちに耐えてこられたのだなあと感心します(すいません)。
決してお勉強のための記事ではありませんからね。
おはなし会の内容を紐解く、ような、おはなしです。
お煎餅を食べながら、お茶を飲みながらなどの、
ながら見がちょうどいいかもしれません。楽しんでいただければ幸いです。
最終回はいよいよ「繊細な周波数との交わり」について、おはなししていきたいと思います。
まだこれまでの記事をご覧になっていない方は、こちらを先に読んでいただくほうが面白くお読みいただける気がします。お時間ある時に、どうぞご覧ください。
3/24更新 おはなし会でおはなししたこと(周波数編①)
https://note.com/starbows/n/n29e1fc0d690a
3/25更新 おはなし会でおはなししたこと(周波数編②)
https://note.com/starbows/n/nbcaab61b3ef5
「繊細な周波数との交わり」については、もうほとんどの方がすでに実践してらっしゃると思います。ですから、そのことに関するHow toなんてないと思うくらいでちょうどいいかもしれません。
ぼくの観点でお伝えしていくと、まず繊細な周波数帯というのは、周波数編②でお伝えした地球のシーソーシステムでいうところの、グレーゾーン(エリア)にあることがとても多い、と感じています。
念のため、再掲しますね。
地球がクリみたいな形をしている、この平面的な図だと少しわかりにくいのですが、繊細な周波数は「とらわれのない領域」にあって、できるかぎり適当な言葉をぼくなりに探すと、
何においても「超越」していて、「比類のない」感覚があります。
だからと言って、それ以外はすべて粗い周波数だからダメ!なんていう極端な想像だけはなさらないように気を付けてくださいね(笑)
正直、ぼくもなんて表現したらいいか、よくわからないんです。
たとえば、「愛」という繊細な周波数のエネルギー、存在のことを詳しく言葉で説明しろと言われても、言葉の持つ拘束力や、粗い周波数、重たいエネルギーが、一気に「愛」から遠ざかってしまう感覚があるので、責任をもってみなさんにお伝えするというのが、今のぼくではなかなか難しいです。
ですが、今現時点では、宇宙LOVEアーティストのプリミ恥部(白井剛史)さんの言葉が、そのとらえどころのない繊細な周波数帯をわかりやすく言語化なさっている気がします。
気になる方は彼の書いた本がいくつかありますので、ぜひお手にとってみてくださいね。特に『あいのことば』は端的で、読みやすいんじゃないかと思います。
プリミさんの宣伝はこのくらいにしておいて(笑)
今こうして愛にフォーカスしたからなのかわかりませんが、
急に、宇宙のかなたから声が聞こえてきたので、ここからはその声を、そのままの純度でお伝えしますね。
身近な「食」の、周波数を変化させる
たとえばですね、インスタントラーメンがあるとします。
チ◯ンラーメンでも、カッ◯ヌードル、チャル◯ラでも、なんでもいいです。
この食べ物は、世界的に見ても、世間一般に数多く供給されている人間の素晴らしい発明品です。
ただこれを周波数でとらえると、そんなに繊細なものではありません。同じようにレトルトカレーや冷凍食品、個包装された菓子パンとか、そういったものはだいたい同じ周波数で、大差はないです。
あえてしつこく言いますが、粗い周波数=悪いモノではない、ですからね。
物質というものは基本的にどれも粗い周波数ですから、ぼく個人的な感覚だと、「まあ、そうだよね」くらいに思ってます。
さ、ここからが本題です。
もし、今何が食べたいだろうか、という問いが自分の中で浮き上がった瞬間に、なんだか今はどうしてもインスタントラーメンが食べたい気分だ、と感じたときは、ぜひインスタントラーメンを食べてください。
値段ではなく、一番心惹かれた銘柄を選ぶといいでしょう。栄養とか主義思想にとらわれず、躊躇なく、遠慮なくです。
あと、お財布の中身を丸無視して、無理をすることだけは避けたほうがいいと思います。あくまでも、今の自分にとって、無理なく心地よく、喜びとともに食べられるのはどれだ!という選び方がいいでしょう。
そうやってベストチョイスがなされたとき、不思議なことが起こります。
口に運ぶ寸前まで、インスタントラーメンはただのインスタントラーメンです。ただ、口にふくんで、舌にふれて、味覚や触覚、嗅覚を意識しながら、「美味しい!」「わあ、食べたいモノが食べれて幸せ!」と感じると、
それまで粗い周波数だったインスタントラーメンから美しい光がどばっと溢れ出してきて、あっという間にその人の「喜び」「幸福」「心地よさ」を満たすような繊細な周波数に変化し、そのまま体内に取り込まれていきます。
そうなんです。
ぼくたち人間のすごいところは、自分自身の受け取りようによって、その対象となる物質の周波数を、どのようにでも変化させることができる、ということなんです。
とらわれのない在り方の未来
少しセンシティブなはなしになりますが、食には、いろいろな主義や思想があります。
環境のことを考慮してお肉を食べないという考え方、オーガニックの食材であるべきという考え方、体調のことを考えて小麦由来のグルテンはとらないべきという考え方、ほんとうにいろいろあるものです。
そう言った主義思想を持つことはまったく悪いことではありません。
むしろ体質的にどうしても食べられない、とか、宗教的にどうしてもダメ、ということだけでなく、今の時代はたくさんの情報が飛び交っていますから、主義思想が多種多様にあることはとても自然なことです。自分にいちばんフィットしているものを選んでいるだけでしょうから。
とはいえ、その点において、くれぐれもご注意いただきたいのは、良いモノと悪いモノに区別するというジャッジメントです(毎度おなじみ)。
地球特有のシーソーシステムの関係上、否定することは肯定することとエネルギー的にはほとんど同じで、またあらたな否定をうみ出すだけではなく、自分自身が否定されることにもつながります。
そもそも、良い悪いのモノサシで他者を測ることなんて、本来は神様と呼ばれるような人たちですらできません。
そして、愛という存在、エネルギーも、そんなことはしません。
人間の世界には、そんなモノサシを使ったたくさんのジャッジメントがあります。
でもそれは、罪や不正を防ぐこと、自分を守ることなど、大なり小なり、秩序を保つために活用されています。ですから、世界や個人の秩序を乱す恐れのあるものは、善意や正義の名のもとに、ジャッジメントの対象になる、というのが一般的なのでしょう。
また、ジャッジメントする人や組織の発言力が強かったり、求心力が強かったりすると、あたかもそれが大義であるかのように、多くの人を巻き込むような巨大な渦ができあがることも少なくありません。
ですが、ひとたびジャッジメントがうまれると、あらゆる生命全体の調和を司る、地球のシーソーシステムが自動的に作動しますから、人間世界では正義と悪、肯定と否定の絶え間ないループが、ほんとうに長い間、あちこちで行われているのかもしれません。
話は戻ります。
否定するつもりはさらさらありませんし、間違いなくぼくもその一人なので、「あらまあ」という感覚なのですが、主義思想というのはひとつの「とらわれ」です。
とらわれるという漢字は、「人」のまわりを四角で囲んだ「囚」という字を書きます。
人を拘束したり(四角で囲う)、柔軟性を失わせたり(四角い頭を丸くするというコピーもありますね)、自由を奪ったりするものになる特徴があります。
個人的な言葉遊びなので、語源とかは知りませんけれど、これはすごい漢字だなあと感心したことがあります。
「繊細な周波数と交わる」ためには、繊細な周波数のものを探しにいったり、追い求めたりすることだけでなく、
自分自身の受け取り方を、その瞬間の自分自身の状態、在り方にできるかぎりぴったりと一致させること、なんです。
そしてこれは、とらわれがなければないほど、より柔軟に自由に、万物を自分自身にフィットさせていくことができます。
さきほどお伝えしたように、インスタントのものを食べようと、食品添加物をとろうと、お肉をたくさん食べようと、つまりなんであろうと繊細な周波数として自分自身に取り込めるんです。
てってれー✨(次元上昇の効果音)
極論かもしれませんが、そうなると敵視するものはひとつもなくなります。
敵をつくることによって感じていたストレスや不安、恐怖からも解放されるでしょう。もっともっと、差別なく他者を受けいれ、愛し合うことができるでしょう。人それぞれがのぞむ在り方を、心から尊重できるようになり、無闇な比較をせず、自分自身を心から信頼し、愛せるようになるでしょう。
この感覚は、自分自身を中心として、必ず周囲に伝播します。
戦争に反対して平和を祈らずとも、自然な流れで、自分の周りから少しずつ戦いや争いはなくなり、いつしか世界規模でそのような瞬間を迎える日がくることでしょう。
ぼくたちが住む地球という星については、また別の機会におなはしさせていただきますが、この星は信じられないほどにさまざまな意識が集まる生命体です。目に見える形でも、数多くの人種がいますし、数多くの宗教や生き方、働き方があります。
ぼくたちは自分自身の、とらわれのない心の赴くままに、どのように生きたっていいんです。
そうやって命をまっとうすることこそが、ひとりひとりの魂の重要な使命であり、地球という生命体が穏やかに、豊かに、愛とともに成長するための大切な要素になります。
ぼくを含めたひとりひとりが、ほんとうの自分自身を見つけ、自覚し、あるがままに命を生かすことができれば、この世界にはびこる悲しみや怒り、苦しみにつながる出来事は、最終的に必ずなくなります。
もうすでに、地球がそのような未来の訪れを自分自身で決めて、大きく動き始めたことで、繊細な周波数の次元に入り、限りなく高次元の愛の状態を目指して生きているのですから、この星で共に生きるぼくたちができないことはありません。
そんな世界で生きる自分自身に心からの愛と敬意をもって生きましょう。もう自己不信感も罪悪感も劣等感もいらなくなっちゃいましたからね。
万物はもうすでに、ぼくたちのことを心から愛し、敬意をもって接してくれていることに、ぜひぜひ気づいてみてください。
いやはや、宇宙のどこかから思わぬ背中プッシュもあり、妙に熱っぽいところもありましたが、周波数編 ③、これにておしまいです。
毎回毎回クドイかもしれませんが、
ぼくはキンボ教の教祖ではありませんし、何の布教活動もしてません。
ここまで読んでいただいたから、100万円払ってくださいね、みたいなこともありません。
(でも、どーーーしても100万円払いたいという場合は、仰ってくださいね。遠慮なく、ありがたく頂戴します笑)
ぼくが、宇宙や目に見えない存在を通して、おはなし会や、このnoteの場でみなさんにお伝えしたいのは、ただただ、みなさんという存在の美しさと清らかさ、その素晴らしさだけです。
こうして文章を綴ることができているのは、これを読んでくださるみなさんがいらっしゃるから、です。これだけは間違いありません。
ぼくの文章は、ぼくの身体を使って、パソコンのキーボードを叩いて書かれたものですが、その情報のソース(根源)はぼくじゃないんです。
みなさんと共有しているこの広い宇宙や、目には見せない存在たち、そして地球という星の声が主な情報源です。そんな存在のおかげで、言葉を見つけることができています。
ですから、教祖になろうと思ったり、救世主になろうと思ったりすることなど一切ありません。
むしろぼくは、自作の小屋のケンチクにお熱になっている、今年37歳を迎える予定の、精神年齢が幼い男です。
この場を借りて、、、
みなさま、スキ、フォロー、サポート、マガジンの購入など、ほんとうにありがとうございます。
この場を提供してくれている「note」ともこの喜びを分かち合いつつ、引き続き、どんどこ書いてまいります。
さて。明日はキンボですね!
キンボが書き終わりましたら、次回からは、ぼくの小さな作品集『星から聴いた物語』の作品について書かせていただきます。
月か、地球か、龍か、魂か、水か、火か、どれにしようか考え中です。
田畑しごとが盛んになる頃合いなので、不定期で、書きあがり次第の更新となりそうです。
また、作品集をすでに購入いただいた方、おはなし会に足を運んでくださった方がたくさんいらっしゃることを考慮して、
次回からの『おはなし会でおはなししたこと』の記事は、有料配信にさせていただきます。
まだ細々したところは検討中ですが、あらかじめご了承くださいませ。
周波数編 ①〜③は、無料のままにします。
いつでも何度でも読んでいただいて大丈夫です。
引き続き、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。
こじょうゆうや
あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。