『ニムロッド』上田岳弘



歴代芥川賞を読んでみようと思い立ったものの、はじめの数頁の圧倒的理系感に気圧されなくて良かったと読み終わってから思った。

帳簿を書き続けることで存在が証明されるビットコインを「それって小説みたいじゃないか」と言うニムロッドの言葉のように、記されることで事実が事実として存在する、ということが鍵となる小説であった。

登場人物の存在そのものや関係、役職、出来事、感情、その他のいつかはなくなってしまう(かもしれない)ものをこの『ニムロッド』が記し、存在させている。

・主人公であり語り手のナカモトサトシが課長として勤めることになった新設の課「採掘課」は、継続していくうちに利益が見込めなくなり、最終的には名を変えることになる。「採掘課」として活動していた過程をこの『ニムロッド』という小説が記したことで「採掘課」は存在している。

・ニムロッドこと荷室仁が綴る小説は、主人公に送られ続けていたが、結末部分は主人公に送られなかった。主人公の立場では、結末部分以外の小説が存在しており、結末部分は存在しない。しかし、この『ニムロッド』という小説で結末部分が記されることにより、結末部分も存在する。

・主人公の交際相手である田久保紀子が何かを言おうとして口を紡ぐ描写が何箇所かあるが、それは田久保紀子が言葉として発しない限り存在しない事象である。

・田久保紀子の出生前診断をうけた堕胎についても、その胎児が、田久保紀子の記憶にあり、その記憶を語ることで存在している。

他にも多数あるがわかりやすく記されているものはこれくらいだろうか。

物語の中でたくさんの「存在」があり、語られない部分は存在さないものとして読み進めてしまう。それは当たり前のようで悲しいことなのだと感じた。

普段読書メーターで感想を書き連ねているが規定の文字数では書ききれないほど思う点があったので初めてノートを使用してみた。

この記事が参加している募集

読書感想文