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旅先に生きる。

第2回のStaple noteの文章を書かせていただくことになりました、瀬戸田開発担当の小林です。今回は、岡(代表)のNoteでもキーワードとして出ていた「旅」というものをテーマに文章を書いてみようと思います。
 というのも、「旅」というのはStapleを語るうえで外せないテーマの一つであり、何よりも自分の人生振り返ったときに、これほどまでに人生に刺激と色味を齎らしたものはないからです。

「旅」との出会い

僕が初めて旅と出会ったのは、高校卒業後の春でした。毎日同じ仲間と顔を合わせ、学校と家の往復だけをする高校生活に嫌気が差していた自分は、その反動からとにかく外の世界を見たいという思いで、タイに単身10日間ほど旅に出ました。結果からいうと、当時の僕には海外を一人で渡り歩くことはあまりにもハードルが高く、世界を見たいという思いとは裏腹に異国の地への恐怖心のあまり、結局1週間1泊3000円のホテルからほとんど出ずに過ごすという、ほろ苦旅デビューを飾ることになります。
 
幼少期を海外で過ごした自分にとってはこの時の無力感はかなり悔しいものでして、結果としてこの時の悔しさがバネとなり、その後はさらに世界中のあらゆる景色を自分の目で見たいと強く切望するようになります。

その後の僕は、長期休みになればアルバイトで稼いだお金を全て海外旅行に注ぎ込み、大学生ながら毎年4ヶ月は海外を渡り歩く生活をしていました。それでも僕の底知れぬ好奇心は満たされぬまま、長期休みでは物足りないということで、大学を1年間休学し、世界一周の旅に出ることを決意します。

「旅」のテーマ

世界一周そのものは、日本を出て、東南アジアへと向かい、そこから中国・中央アジア・中東・ヨーロッパと少しずつ西へ陸路で向かうルートで進んでいきました。飛行機を極力使いたくないという無駄なこだわりを持ってしまった自分は、ユーラシア大陸という難敵を相手に、旅の半分(半年)以上をアジア圏で過ごすという大失敗を犯したわけですが、(本当は北米・南米・オセアニアなど色々回りたかった・・・)

そんなことはさておき、 
そのなかでも、

  1.  旅の様子をコンテンツ化し、発信していくこと

  2.  定期的にノイズを入れること

この2つをテーマに旅を続けることになります。

旅Loverのアカウント

1に関しては、その当時はまだ稀?であったユーチューバーを自称し、様々な企画を立てながらその様子を一人カメラに向かって大声で解説をし、配信をするというものですが、
・灼熱の砂漠で太陽の光だけで目玉焼きを作ってみて大失敗したり、
・死海のうえを全力で走ってみるという企画をしていたら、その様子を見ていたアメリカ人観光客が横で大笑いをしていて、結局その人と2週間一緒に旅を続けたり、
・中国の街中で折り紙教室を開いたら、気づけば100人くらいの中国人に取り囲まれて、警察にお世話になったり、
動画配信のための企画を通じて、今となっては愉快に思える経験をたくさんさせてもらうことができました。
その様子は今もYouTubeに残っていますので、見るに堪えませんが、念の為リンクを貼っておきます。
夜どうしても寝られないときに見るのに、ちょうどいい動画 
誰かがそんな表現をしておりました笑

2に関しては、「弱いつながり」という本のなかで出てくる言い回しでして、要は、「定期的に普段の自分では絶対にしない決断を敢えてしてみる」というものです。
長期に渡る旅においては、実はこれが結構大事でして、一見常に新しい地を訪れているように見える世界一周の旅でも、実は多くの旅人はある種の既定路線を辿っているだけの場合が非常に多く、自分も決してそんなつまらない旅はしてはいけないという戒めも込めてこれをテーマにしていました。これは、生きるうえでも大事にしていることだったりします。 

心を揺さぶられる、人との出会い

僕がなぜここまで旅が好きなのかというと、もちろん旅先での美しい景色や異国の文化、ローカルな食を楽しむことで、地球の多様性を体感するということもありますが、やはりそれ以上に旅先での人との出会いにいつも心を揺さぶられるからです。
こういった出会いというのは、様々な偶然の重なりで突然降ってくることが多く、旅に出ていなければ、きっと人生で出会うことのなかった人と奇しくも同じ時間を共有し、お互いのことについて語り合う、そんな瞬間がいつも自分に新しいエネルギーをもたらしてくれます。
先ほどの2つテーマも、旅先での偶発的な出会いを引き起こすための自分なりの仕組みだったりします。

イランにて

旅先に生きる

ユーラシア大陸・アフリカ大陸を渡った末に、気づけば僕はメキシコのカンクンで2ヶ月を過ごしていました。
というのも長旅の結果、所持していたお金を使い果たしてしまい、たまたま泊まった宿で管理人を募集していたので、そのままそこで生活をすることになったのです。
そこは、20床ほどある安い日本人宿だったのですが、毎日のように新しい旅人が世界中から訪れ、カンクン滞在中に出会った旅人の数は数百人に及びます。
旅先での人との出会いが生きがいになっていた自分にとっては、ここでの日々は本当に幸せで、毎日のように新しい旅人と出会い、週に1回はゲストとダイビングをし、週に3回はBBQを企画し、週に6日は飲み明かすという日々を過ごしてきました。

毎日のようにBBQをしていたカンクン生活

 もはやこの時から僕は、旅人ではなくなり、旅先にいる人になったわけですが、考えてみればそれは今も変わりません。
2年ほど前に、瀬戸田というしまなみ海道の小さな島に移住した僕は、この土地でまちづくりの仕事をしています。
 
まちづくりの話は、非常に長くなるので、ここでは割愛しますが、移住して一番よかったと思うことは、やはり日々の人との出会いです。
自分にとってははじめての故郷とも言えるこの地で、家族のように接してくれる地元や移住者の方々の優しさを日々感じながら、
各地から訪れる旅人をご案内し、夜はお酒を片手に語り合い、この島の魅力を感じてもらう
そんな生活を送れていることに幸せを感じています。
もちろん、まちという多様性の塊を相手にするので、まちづくりには様々な視点が必要になるのですが、
 
心が揺さぶられる旅先になっているか
 
こんな視点も持ちながら、まちづくりと向かい合えればと改めてこのnoteを書きながら思いました。

瀬戸田の風景

最近嬉しかったこと

ここから先は、大した内容ではないので、割愛いただいて構いませんが、折角なので最近嬉しかったひとときを。
 
大学時代の親友どもが瀬戸田に来てくれたのですが、自社で運営をするレストラン「MINATOYA」で食事をしていたところ、たまたま地元で一番人気のタコ料理屋を営むご夫婦と遭遇し、
気づけば一緒に夜中の3時まで、Stapleのオフィスで懐メロを聴きながら、飲むという出来事が。
 
このご夫婦は、家族の食事会にいつも招待してくれるなど、この島で一番お世話になっていると言っても過言ではないのですが、
大好きな友人たちと大好きな地元の家族が、一緒に肩を揺らし、心から楽しそうにしているその光景に、僕もなんだか心が揺さぶられました。

瀬戸田の夜 2:30 AM

Written by Ryota Kobayashi

プロフィール
小林 亮大 | RYOTA KOBAYASHI
取締役 Executive Officer
慶應義塾大学在学中に休学をし、世界一周の旅へ。大学卒業後は、Insitu Japanへ入社(現 Staple)。2020年にSOIL Setodaの開発責任者として尾道市瀬戸田に移住。直近では、Aoshima Beach Village(宮崎県青島市)の開業PMを担当、2022年7月には尾道駅内の新店舗カンキツスタンドオレンジを開業。2022年8月より瀬戸田での地域創生を推進する株式会社しおまち企画の代表取締役に就任。ビールときのこが大好物。最近はフィルムカメラを持ち歩いている。