
ヘレン・ケラーはどう教育されたか
明治図書の「ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録」を久しぶりに読んでみた。
障害児教育、教育の神髄のようなものを見せられたような印象を受ける。サリバン先生は優しい先生だったか、そうではない。非常に厳しさをもった先生であった。
このように書かれてある。サリバン先生がヘレン・ケラーと出会ったから最初の頃。
『彼女の気質をそこなわずに、どうやって彼女を訓練し、しつけるかがこれからの解決すべき最大の課題です~』
似たようなことを私も考える時がある。いかにして、勉強という子どもが嫌がる事柄に対して自分から積極的に向き合えるようにするか、そこが問題の根幹である。
しかし、ヘレン・ケラーは子どもの頃、素直にサリバン先生の言うことを聞く従順な生徒ではなかった。家族もサリバン先生も手を焼いたようである。このような記述がある。
『彼女はどんなことも、にがい結果を生ずるまで争うことなしには、一歩も譲りませんでした。』
『家族はヘレンと私の間に入って、争いをとめたい気になっていました。特に、彼女の父は彼女が泣き叫ぶのを見るのが我慢できませんでした。そこで、平和を保つためには、みんな喜んで降参したのです』
『彼女の過去の経験や連想は、すべて私と対立しました。』
つまり、幼い時のヘレン・ケラーは周囲に対して是が非でも自分の要求を通そうとしており、それがサリバン先生と出会って初めて壁を感じた、ということである。
障害を持っている子は周囲の状況を理解することが難しい。だからこそ、自分が納得しない場面であると感情をぶつけ、時にそれが問題行動になることもある。年齢や状況にもよるが、どうであったとしても、大人が譲ってはいけない場面もある。その部分がサリバン先生は徹底していたのだと思う。
子どもが持っている最大効力のカードは泣いたり、暴れたりすることである。そのカードを切られると、大人も非常に困ってしまう。しかし、これに対して大人側が屈してしまっては、いつまでも子どもは自分の世界から抜け出ることができない。
かといって、力で押さえつけようとするのではなく、応用行動分析などの考えを活かして、徹底して子どもと向き合うことが大切なのだ。
自立とは、自分の世界から周囲との世界へと抜け出すプロセスでもあるのだ。また、納得いかないことを自分の中に内在化していくこと、これが、大人になることなんだと思う。
なかなか厳しく大人でも難しいことなのだが、むしろ大人が常に突きつけられているのだな、と日々反省しながら教育にあたろうと思う。
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