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コンテンツとテクニック

コンテンツの価値、ということを最近考えます。
働いているときは特に思います。
今会社でやっているアプリが完全新規アプリだからかもしれません。

コンテンツの価値、とは

創作にせよ、ソフトウェアにせよ、コンテンツの価値というものがあります。
何に価値を感じるかは人それぞれなので、価値が高い/低いというのを定量的に測ることは難しいです。
しかし、確かにコンテンツの価値というものは存在します。

自分のiPhoneを見てみると、よくできていて、ちょっと自分にはすぐにつくれないと思うアプリとして、
たとえばYouTubeとかTikTokとかがあります。
けれど、この2つのアプリは、コンテンツ自体はユーザーが投稿するもので、実はアプリの提供会社はコンテンツをつくっていません。
よく見るとソフトウェアはそれ自体がコンテンツを含んでいるものと、単なるプラットフォームかにわかれますね。

コンテンツを含んでいるアプリとしては、たとえばポケモンGOはそれ自体がコンテンツと言えそうです。
あと僕はあまりダウンロードしていませんが、単なる写真集をアプリ化してるだけの有料アプリなんかもあるので、そういうものはまさしくコンテンツでしょう。

もっと厳密に、コンテンツという言葉の定義からはじめると学術的に正確な議論になりそうですが、めんどくさいのでやめておきます。

「本当に中身が良ければ売れる」vs 「いや中身だけでは売れない」

「本当に中身が良ければ売れる」というワードはよく聞きます。
これは言い換えると、「コンテンツの価値が高ければ売れる」という言い方もできると思います。

それに対して、中身がどんなに良くても売り方が悪ければ売れない、という主張もよく聞きます。
すごく歌の上手い人がいても、その人の所属している事務所に力がないと、全然売れないで終わってしまう、というパターンもまた良くあることのように思えます。

「本当に中身が良ければ売れる」と主張する方をコンテンツ派、「いや中身だけでは売れない」と主張する方をテクニック派とこの記事の中では便宜上呼びます。

コンテンツ派とテクニック派、どちらが正しいのでしょうか。

コンテンツの価値への回帰

コンテンツ派とテクニック派の議論は、永遠のテーマで、実は正解のない問題だと僕は思っています。

が、これは僕の感覚ですが、ここ数年、つまり2016〜2020年ぐらいの時期は、コンテンツの価値への回帰と言えるような現象が起きているように感じました。

たとえばソフトウェア業界だと、ZoomやSlackがシェアを伸ばして、デファクトスタンダードになっている例があげられるかと思います。
テクニック派からすれば、ビデオ動画は既にMicrosoftという大企業のSkypeがありましたし、メッセージングもFacebookのMessanger(日本だとLINE)があり、
ZoomやSlackがこれだけ伸びるというのは考えがたかったのではないでしょうか。

色々マーケティング的な分析はあるんでしょうけども、単純にZoomやSlackが優れたUI/UXを持っていて、ユーザーにとってより高い価値があるソフトウェアとして使いたくなった、というストーリーだと思っています。
コンテンツの価値が勝利した例ですね。

時代は一定周期で繰り返すものなので、またテクニック派の揺り戻しが来るんだと思います。

(余談)コンピューター産業でテクニック派の揺り戻しが来るとしたら

コンピューター産業は、IBMが支配していた時代があって、インターネットの登場でそれが崩れ、Microsoftの支配していた時代が来て、スマートフォンの時代でそれが崩れ、今はGoogleとAppleが支配する時代が来る(というか既にその中にいる?)ときのように感じています。

GoogleとAppleの天下が来ると、この両社以外のソフトウェアが勝てない時代が来て、また昔のような暗黒時代が来るのかもしれません。

ベンチャーや個人開発者がどんどん潰されて、「やっぱり大企業には勝てないよ……」となって、
大企業は本当にいいプロダクトをつくる必要がなくなって、どんどんユーザビリティが微妙なサービスを出して、
「嫌なら使わなくていいですけど」みたいな雰囲気で売り出して、自社の利益に都合の良い仕組みをどんどんつくり、
そこで入ってきた金で広告もバンバンうって、マスコミもその会社を叩けない構図をつくり、消費者を騙し続ける、というのがここで言う暗黒時代です。

(余談2)ソフトウェアのコンテンツとテクニックの境界線とは?

ここまで書いてて思ったんですが、ソフトウェアを例にしてコンテンツとテクニックの話してたんですけど、
ソフトウェアってどこまでがコンテンツでどこまでがテクニックなんでしょうね。

コンテンツ以外の要素という意味でテクニック(小手先の技術)という言葉を使ったんですが、
ソフトウェアで技術というと、コンテンツの価値に直結する部分なんで、変な話になってきますね。

SlackやZoomが自分たちのプロダクトの価値向上に全力投球して、その一点突破で成長成し遂げた中で、
できる技術者を採用しまくって自社のソフトウェア開発のテクニックをあげたというのもあると思うので、
ここでいうテクニックとは、「補助的なテクニック」の総称なんでしょうね。
マーケティングとか、ブランディングとか、デザインとか、運用とか、政治とか。

コンテンツとテクニックの関係

コンテンツとテクニックは相反する関係ではなく、実は互いに補完関係にあります。
だから上であげたコンテンツ派とテクニック派の議論は、議論自体が無意味で、
本来は「ものすごく価値のあるコンテンツが、ものすごく優れたテクニックによってサポートされている」という状況が理想です。

書いてみると、当たり前のことを書いているような気がします
けれど、現実的にはそんなに潤沢にリソースがないので、二者択一を迫られることが多いのでしょう。
あるいは両方とろうとして、中途半端なものができあがってしまうこともあるでしょう。

コンテンツとテクニックの幸せな関係の例としての劇場版エヴァ

先日、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を見たんですが、そのときコンテンツとテクニックが最高レベルで融合した作品であると感じました。


ここでいうコンテンツは、エヴァンゲリオンのストーリーやキャラクターです。そしてテクニックとは、CG技術やマーケティングなどなどです。

たぶんあの映画の出来なら、ちょっとCGがショボくても許されたし、音楽がちょっと微妙でも許されたと思うんですよ。
そこを一切妥協せずに、最高レベルでつくった訳です。

僕は映画見終わった後に、「これでチケット2,000円は安すぎる」と感じました。
どうやって映画が製作されたかなんて知りませんが、勝手に制作サイドの苦労を想像しました。
ただ視聴した方は、たぶんわかると思いますが、あの映画の密度というのは、別にプロフェッショナルの特集を見るまでもなく、
普通に視聴しただけでも、制作サイドの圧倒的な熱量を感じさせるものでした。

価値を生み出す仕事そのものが人を引きつける

少し前に、COCOAのAndroid版で四ヶ月致命的な不具合が放置されていた件が話題になりました。

これは多くの会社員エンジニアにとって耳が痛い話で、僕にも刺さりました。
この話題の頃に去年末にやっていたアプリがリリースになって、あんまりDL数伸びてない時期だったので、特に。
「このコンテンツに価値はあるか」という問いは、いざつくってみる側になるとちゃんと答えられなくなるときがあります。

「コンテンツの本当の価値がどうとか青いんだよ。ビジネスはとにかく収益やろがい」と経済学部いた頃の僕なら思ってたと思うんですが、
最近は思想がクリエイター目線になってきたので、コンテンツの価値を無視するのは違うと思っています。
ビジネスとして割り切って考えたとしても、やはりコンテンツの価値はある程度考える必要があります。
コンテンツとしての価値がイマイチなものを宣伝やタイアップでゴリ押ししても、結局費用対効果が悪いので、
結局はある程度いいコンテンツである必要があると思います

出典が探しても出てこなかったので、出典不明なままで恐縮ですが、「広告はイケてないプロダクトをつくった会社への罰金」という言葉もあります。
「本当にいいものをつくっていれば広告しなくても自然にみんな使ってくれる」というのは理想論すぎますが、
そういう風にして売れるプロダクトつくるのが理想だとは思います。

エヴァの劇場版もそうですが、いいコンテンツそのものがいい人たちを集めて、更ににいいコンテンツになる、という好循環を産みます。
そう考えるとコンテンツというのは、プロダクトの核なんだと思います。

コンテンツと真摯に向き合う

以上のような思考から、僕はより真摯にコンテンツの価値と向き合うようにしています。

コンテンツの本当の価値と向き合うのは怖いことでもあります。
自分の才能の限界、努力の足らなさ、他者のすごさを感じて、押し潰されそうになることもあります。

また、本当のことと向き合うことは、とにかく疲れます。
思考停止して、「なんか政府で接触者追跡アプリ? ってのをつくるらしい。つくろう。どうしたらいいかな?」と作業に入ることは簡単です。
つくっている間はそれなりに楽しいでしょう。
時々「これ本当に要るのかな……」と思っても、無視すればいいんです。
けどそれでは本当にいいものはつくれません。

キツいんですよね。
「じゃあ本当に感染防止に効果のあるようなソフトウェアってなんだろう」「ソフトウェアに何ができるだろう」って考えて、
仮説を立てて、プロダクトをつくって、リリースするのって、キツいんです。

本当の問題を特定して、本当に効果のある対策を見つけて、それを正しく形にして開発して、それを継続的に改善していく。
言葉にするとそれだけなんですが、これがマジでキツいんです。

おそらくそのキツさの原因は、正解のない問題に対して、永遠の禅問答みたいに「答え」としてのプロダクトをリリースしていかないといけないから。

エヴァンゲリオンの劇場版完結が2021年ですが、アニメの第一話放送は1995年です。
26年間、エヴァという作品に対して庵野監督がああでもないこうでもないと試行錯誤した結果、ようやく2021年に終わりました。
たぶんコンテンツに真摯に向き合う、というのはこのレベルなんだと思います。

正直僕はエヴァンゲリオンが終わらないまま、庵野監督の人生が終わると思っていました。
映画を見終わったとき、作品のストーリーどうこうというよりかは、26年間の戦いが終わったという事実に感動を覚えました。

つくり手にとっては、いいものがつくれた、すごいものがつくれたという感覚は、何より重要な要素であり、
それは時に(あるいは頻繁に、人によっては常に)金銭的な報酬を凌駕すると思います。

本質的な価値を生み出す仕事をしていきたい、と思いますね。

(了)

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