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中世ヨーロッパのペスト大流行で起こったこと

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長らく積んでいた下記の本をようやく読み切りました。

この本のテーマは多岐に渡るのですが、僕はご時世的に「疫病」についての章を興味深く読みました。その中でもペストという疫病が中世ヨーロッパに与えた影響について、書きたいと思います。

ペストとは

黒死病とも呼ばれる伝染病です。

腺ペスト・肺ペスト・敗血症性ペストの三種類があるそうですが、ほとんどの症例は腺ペストらしいです。

ノミを媒介にして感染します。ネズミにも注意が必要です。彼らはノミの運び屋として働くので。ノミに刺された近くのリンパ節に細菌のペスト菌が感染して、テニスボールぐらいに腫れあがり、高熱や皮下出血を招きます。皮下出血によって皮膚が黒ずむところから、「黒死病」と呼ばれるようになりました。

一次感染はノミからですが、ヒト→ヒトへの感染も発生します。

治療しなかった場合、60〜90%の確率で死にます。自然治癒の見こみが低い、ということですね。エボラ出血熱が40〜70%らしいので、それよりも致死率が高いです

この記事を書くまで知りませんでしたが、実はワクチンは未だに存在しません。ただ抗生物質が効くらしく、現代では早期に抗生物質を投与すれば助かるみたいです。現代では中世ほど怖い伝染病ではありませんが、根絶はできておらず、今年も世界のどこかで患者が発生している、現役の病気でもあります。

中世ヨーロッパのペストのすさまじさ

僕が「暴力と不平等の人類史」を読むまでは、「中世ヨーロッパではペストで人口が激減した」ぐらいの認識しかありませんでした。高校の世界史でやった内容だと、その程度の扱いだったと思います。山川の世界史だとコラムでちょろっと書かれています。

今僕の手元にある「もういちど読む 山川世界史」だと、

(前略)この伝染による直接の被害はあきらかでないが,全ヨーロッパの人口の約4分の1が死んだと考えられている。しかしその後も西欧ではペストが風土病として残り,そのたびに多くのものが死んだ。こうした中世末期における人口の激減は,生産活動や商業を著しくさまたげたため,とくに封建領主に打撃をあたえて,封建社会崩壊の重要な外的要因になったのである。

という書かれ方をしています。

もちろん正しい記述なんですが、サラッと書かれているので、あまり印象に残っていませんでした。

ペストによる死者数は正確な記録というのもは存在しませんが、それでも学者は色々推定しているみたいで、「暴力と不平等の人類史」では、パオロ・マラニアという経済学者の最新の推定から数字を引用しています。

それによれば、ヨーロッパの人口は1300年に9400万人だったが、1400年に6800万人に落ちこんだと推計されています(ペストの大流行が1350年前後)。

これは「4分の1が死んだと考えられている」という山川の記述と一致します。

ヨーロッパ全体は25%の減少率ですが、国別に見ていくと更に深刻な国があり、イングランドとウェールズは600万人の人口が半減したそうです。

東西の文明は破壊的な疫病に見舞われた。この病は国家を荒廃させ、国民を死へ追いやった……人間が住んでいた世界全体が一変した。
(イブン・ハルドゥーン)

ペストが起こした最も根本的な変化

ペストによって、中世ヨーロッパの人々は大きなダメージを受けました。感染爆発のタイミングでは、民衆は外に出ることすらできなくなりました。

ペストはその後も周期的に流行を見せて、繰り返しヨーロッパ世界を襲うのですが、そのことは単に生活様式を変えただけではなく、民衆の価値観も変えました。

長期的には、ペストとそれがもたらした混乱が、人びとの考えや社会制度に広く爪痕を残した。つまり、キリスト教の権威が弱まり、快楽主義と禁欲主義が同時に繁栄し、恐怖と跡継ぎがいない者の死亡が原因で、慈善活動が増えたのだ。芸術のスタイルまで影響を受けた。医者は長年守ってきた原則の再考を迫られた

ここまでは教科書で読んだ範囲だったんですが、「暴力と不平等の人類史」によると、最も根本的な変化は経済領域、中でも労働市場で起きたと説明されています。

人口が減ったため、労働者の給与が上がったのです。

市場の勝利

ペストによる人口激減によって、それまで圧倒的に地主階級が強い立場にいたのが、是正されました。

何でもふんだんにあるものの、価格は2倍だった。調度品や食料はもちろん、商品、賃金労働者、農業労働者、使用人などすべてがそうだ。唯一の例外は土地と家屋で、それらは現在でも供給過剰の状態にある。
(カルメル会の修道士ジャン・ドゥ・ヴネットの1360年ごろの年代記)
労働者不足が続いたため、庶民は雇用労働など歯牙にもかけず、3倍の賃金で貴人に仕えるという条件にもなかなか首を縦に振らなかった
(ウィリアム・ディーンのロチェスター小修道院年代記)

貴族階級から見れば、これは由々しき問題でした。イングランドでは、1346年6月に労働者勅令が発布されます。


住民の大部分、特に労働者と使用人(「召使い」)がペストで死亡して以降、多くの人びとが主人の窮状と労働者不足につけこんで、法外な給金をもらわないと働こうとしない……イングランドの領土に住むあらゆる男女は、自由民であれ非自由民であれ、身体が健康な60歳未満で、商売や特殊な技能の行使によって生活しているのではなく、耕す必要のある自分の土地からの不労所得がなく、他人のために働いているのではない限り、自分の地位とつりあう仕事を提供されたらその申し出を受ける義務が生じることを、ここに定める。その料金、仕着せ、支払い、給金は、わが国の統治の20年目[1346年]か、5、6年前の適切な年に、彼らが働いている地域で通常支払われていた金額でなければならない……誰も、賃金、仕着せ、支払い、給金を、先に規定した金額を超えて支払ったり約束したりしてはならない……違反すれば、それでは損だと思う者に対して支払った、あるいは約束した金額の2倍の罰金を科す。職人や労働者は、自分の労働や技能に対し、どこで働いていようとも、前述のとおり20年目、もしくはそれ以外の適切な年に得られるであろう額より多くを受け取ってはならない。多く受け取っていることが発覚すれば、牢獄行きとなる

この勅令はほとんど効果がありませんでした。貴族も労働者に働いてもらわなければ、自分の土地の農作物を刈り取ることもできないので、賃上げ要求をはねつけることもできませんでした。

政府の命令と抑圧によって賃金上昇を抑えようとしたけれど、市場原理が勝った、と「暴力と不平等の人類史」内では説明されています。

労働者の生活水準が向上した

ペストでヨーロッパ全土が荒廃したのに、庶民の生活水準が向上した、というのはなんだか皮肉な話ですが、どうも事実のようです。

「暴力と不平等の人類史」の中では、1300〜1800年のヨーロッパ中東の実質賃金の推計値のグラフを載せていますが、ペストの流行タイミングと賃金上昇タイミングは明らかに連動しています。

かつての2〜3倍の報酬を手にできるようになった労働者は、面白いことに食生活もどんどん改善していきます。小麦の消費量が落ちる一方で、肉・チーズ・ビールなどの贅沢品を消費できるようになりました。

小麦への需要が低下する一方で、肉、チーズ、(ビール醸造用の)大麦の価格は維持されたおかげで食事が改善し、かつては富裕層しか手が出なかった食料品に労働者もありつけるようになった。贅沢品への需要も全般的に増えた。賃金の上昇に加え、イングランドの労働者は報酬の一部としてミートパイやビールを要求し、手に入れた。ノーフォークの収穫作業員の場合、食費に占めるパン代の割合は13世紀末には約50%だったが、14世紀末から15世紀初めには15~20%に下がった。一方、肉代の割合は同時期に4%から25~30%に上がった。

終わりに

山川の世界史だと三行で説明されている内容ですが、こうして深掘りしてみると、歴史というものがまた違う風に見えてきて、いいですね。

(了)

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