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一人で泊まった五つのホテル・旅館の思い出について書きます

旅行体験というのは宿そのもののクオリティもさることながら、宿泊者がどういう状況だったかというのが感じ方に影響していて、たぶん同じ宿に同じ条件で今行っても同じようには感じないだろうなと思います。そのときの自分がどう感じたかについて書こうと思っています。

お役立ち情報というよりかはエッセイに近い書き方をしようと思っています。

※写真は全て蔀による撮影

ホテル・レニングラード(2016/モスクワ)

ロシアとアメリカには人生のどこかでずっと行こうと思ってたんです。特にロシアにはずっと行きたかった。その寒さを体験してみたかった。

正確な旅程は覚えていませんが、結構長いこと休んだんじゃないかと思います。一週間以上はありました。

2月か3月だったんですが、モスクワはそこまで気温が下がらないらしく、寒いは寒いですが、想像していたマイナス何十度!みたいな世界ではなくて、うっすら氷点下が続いて、ただただずっと寒いみたいな感じでした。

ドモジェドヴォ空港におりたって、電車でモスクワ市中に向かいました。他の海外だとアジア人はそこそこいて、場所によっては日本人もいるんですが、モスクワは完全にアジア人がいなくて、自分が完全な異物になってる感じがして、興奮しました。

詳細な行動経路はもう忘れてしまいましたが、モスクワ市中の駅から、敢えて最寄り駅まで行かずに、少し離れたところからホテルに向かって歩きました。沢木耕太郎の影響で、知らない街に着いたらとりあえずひたすら歩いて、その街を感じるという行動をよくとります。

モスクワで最初に思ったことは、駅がボロボロなのと、車が汚いなというところでした。道ゆく車が汚いのはなんか気になりました。そのときはわかりませんでしたが、モスクワは雨が降っても雪になってしまうので、自分で洗車しないとキレイにならないので、だいたいの車がホコリっぽいままなんでしょうね。

元共産圏であることが関係しているのか、していないのかはわかりませんが、モスクワの建物は広告がひどく少ないです。一目見ただけではなんの店かわからない建物が多かったです。全体的に商売っ気がないというか……日本の都市部の説明過剰感が嫌いなので、ヨーロッパ流の洗練された街の感じは好きでした。

ただデザインとしては好きでも、実際に食事する場所を探す段階になると困りました。どこか飯屋なのか、外見から全然わからないからです。看板もだいたいロシア語でした。旅行の3ヶ月前ぐらいからロシア語の本を読んで勉強していましたが、一部のキリル文字を読めるようになったぐらいで終わっていました。当然街の看板を読めるほどの語学力があろうはずもありませんでした。なので初日・二日目はかなり食事難民になりました。

そんな感じに、ホコリっぽい車と情報が抑制された感じの建物を眺めながら街をとぼとぼ歩くと、宿泊先のホテルが見えてきました。事前にモスクワの地図をiPhoneに落としていました。現地のネット回線がなくても、GPSは海外でも使えたので、(少し誤差はあるものの)道に迷うことはありませんでした。

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「ヒルトン モスクワ レニングラードスカヤ」というのが予約したときのホテル名でした。ヒルトンという名前の割に宿泊料がやたら安くて、一泊5,000円ぐらいでした。当時はルーブル安のおかげで安いんだと解釈していましたが、今検索しても安いので、実際安いのかもしれません。

当時の僕は社会人二年目が終わろうとしている頃で、学生の金銭感覚から社会人のそれへと移行しているところでした。

モスクワは冷戦の影響なのか、街に英語というものがほとんどないです。また街の人に英語で話しかけてもだいたい英語で対応してくれることはありません。そんな中、ホテルの人はヒルトン系列のおかげか、流暢な英語を話してくれます。日本にいると急に英語で話しかけられるとウッとなるかもしれませんが、非英語圏の国に行くと英語が通じる嬉しさを感じると思います。

共産主義の時代に建てられたホテルで、スターリン様式の建築物です。モスクワにはこの建築様式の建物が7つあり、セブン・シスターズと呼ばれているそうです。

ホテルの宿泊プランには朝食バイキングがついていて、僕の滞在初期の主なエネルギー源はこの朝食に頼っていました。なにせ出かけてもどこが食べ物屋なのかもわからないレベルでしたので。

レストランにはボーイ(たまに女の子)がいて、飯を食べていると「コーヒーいりませんか?」みたいな感じで声をかけてくれて、嬉しかった気がします。一杯入れてくれたあと、ポットを置いて行ってくれました。やたらとコーヒーが美味しくて、毎朝二、三杯飲んでいました。

その頃の僕は仕事自体は順調でしたが、会社員として一生を終えることに危機感を抱いていました。学生から社会人になったときにありがちな感覚なのかもしれませんが、自分が単なる社畜に落ちてしまったような感覚がありました。忙しい毎日の中でだんだん感性が鈍っていくような、あの感覚です。「秒速5センチメートル」の主人公みたいな感じ、と言っても差し支えないです。

ロシアという土地が何か自分に特別な力をくれるのではないか。そんな思いもあったかと思います。日常から遠く離れて、とびきりの非日常の中で、とびきりに孤独になって、自分の思考を取り戻す。そんな気持ちがあったんだと思います。

確かに、とびきりに孤独、というのは達成できましたが、自分の思考を取り戻す、というのは結局上手くできませんでした。

グランドハイアット(2017/ニューヨーク)

ロシアにいった一年後、僕はアメリカに行こうと思いました。単にアメリカに行けばそれでいいという気持ちもあったのですが、旅行には目的が必要でした。せっかくならメジャーリーグを見よう、と思いました。

ちょうど田中将大がヤンキースのエースとしてバリバリやってる頃で、ダルビッシュはまだレンジャーズでした。渡航2ヶ月くらいにローテーションを読んで、田中将大の登板日になりそうな日のチケットをとって、念のためその翌日分もとっておいて、二試合分のチケットをおさえて行きました。結局読みが的中して、田中vsダルビッシュの投げ合いを現地で見るという体験ができました。

で、ホテルどうしようとなったときに、せっかくなら有名なホテルに泊まりたいよなというミーハー心が出ました。ニューヨークはとにかく何をするにしても物価が高く、飛行機にせよホテルにせよ、ちょっとした額になります。今振り返ると、僕はモノを知らなかったせいで、アメリカといえばNYと思ってましたが、西海岸の方が色々面白いし、僕のイメージしてたアメリカに近かったような気がします。

「どこもたけーなー……」と思いながら旅行予約サイトを見て、結局名前を知っているところということでグランドハイアットにしました。地理的にもニューヨークのど真ん中ですし、駅直結なので便利でした。

個人的にはあまりニューヨークという街はいい思い出がありません。ヤンキースタジアムや美術館はよかったですが、食事は高い割に美味しくないし、全体的に出したお金に対して満足度が総じて低い感じがずっとありました。街全体もパンパンに高層ビルがひしめいていて、もう成長余力がないんじゃないかという感じがしました。実際、東海岸の都市部は成長余力がなくなって、新興の西海岸がIT企業を中心にして急成長したんだと解釈しています。

受付に行くと、愛想の良くない女性が「ID持ってる?」と聞いてきました。僕は予想外の質問だったのでよく理解できずにまごついていると、「IDカードか、外国人ならパスポートだよ」みたいな補足を入れてくれました。パスポートという単語だけ聞き取れて、慌ててパスポートを出しました。そのときはIDというワードも聞き取れてなくて、後から振り返ったときに「あ、あれIDって言ってたのか……」と気づきました。

その愛想の悪い女性が、パスポートのコピーをとったあとで、「高層階と低層階、どっちがいい?」と聞いてきたので、「高層階で!」とリクエストしました。その高層階の部屋から撮った写真です。

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ニューヨークのビルはこんな感じの光を反射するビルが多かったですね。東京で同じビル建てたら夏場ヤバそうですが……

2016年は色々辛い一年でした。一つ一つのマイナスの出来事は大したことないんですが、色んなものがあわさって、メンタルの落ちこみがすごいことになりました。完全に生きる意味を見失って、自分で命を絶つギリギリのところでした。何をどうしたらいいのかもよくわかりませんでした。その最悪の年があけて、年明けにいきなり一人でレンタカーを借りて、アクアラインを渡って、千葉の富津に行きました。とにかく死ぬぐらいなら今ある貯金を全部使って、やりたいことをやりまくろう、と思って、2017年は毎月のように旅行に行っていたみたいです。

ニューヨークという街は、たぶん世界一の都会だと思うんですが、やはり都会は肌に合わないなあと思いました。日常が都会で働かなければいけないなら、せめて旅行先は田舎にしたいなと明確に思ったのもこのときだったと思います。パリやニューヨークなど、有名な都市に行くよりも、自分も名前を知らないようなよくわからない土地をレンタカーでふらふら回る方が自分にとっては楽しい、ということを発見しました。

あとやはり英語が喋れないので、特にニューヨークはみんなちょっとお高くとまってるところもあって、自分がすごく下層民みたいな感じがして、その辛さもあったと思います。ニューヨークは日本の感覚だと自動販売機があるようなところに移民がやってるようなちっさな屋台があって、ちょっとした飲み物買うにも人と話さなきゃいけなくて、英語コンプレックスがある僕はだんだんそれが嫌になって、喉が乾いてもなるべく我慢していた気がします。

ちょっといいご飯なんかもだいたい一人で入るようなところじゃなくて、ロシアとはまた違うタイプの食事難民になっていました。

元々「野球見る」という目的さえ果たせればそれでいい旅だったんですが、なんかもったいないことをしたとは思います。

今だったら全然ホテルに「Do not disturb」の札をかけて引きこもる選択肢をとると思いますけど、当時は札をかけると掃除来なくなるというシステムを理解してなくて、「掃除の人が来るから日中は外にいなきゃ……」という強迫観念で外出していました。

板室温泉 大黒屋(2017/那須)

2017年は色んなところに行きましたが、田舎を車でまわるというのが一つのテーマでした。

特にニューヨークに行った後は、もう海外旅行というものに疲れていて、「同じ金額で国内で豪遊した方が楽しいんじゃないか?」という発想にいたって、そこからずっと国内をあちこち行っています。

関東で車で行きやすいところというと、那須は結構お手軽でして、二回ほど行きました。

大黒屋という旅館を知ったのは、おそらくこのブログ記事を読んだんだと思います。

なかなか攻めた経営戦略を持っている旅館で、一人客専用の部屋をつくっていて、お値段は一泊二万円ぐらいで高いんですが、ただそれに見合うだけのサービスを提供します、というのが謳い文句でした。地方の旅館というのは衰退産業の一つだとされていますが、大黒屋の経営者はそこをアートと温泉で攻める、という風な宣言をしていました。そういうところも面白いかなと思って宿泊しました。

あと二泊三日でこもって小説執筆するつもりだったんですが、結局全然捗らずに、単なる保養旅行になってしまった苦い思い出の地でもあります。

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部屋とそこから見える庭の景色はこんな感じでした。二日目は台風が来て、一日中ひどい雨と風で一歩も外に出ませんでしたね。日本庭園がそのまま駐車場も兼ねていて宿泊者の車をそのまま停めます。僕は割とその無骨さが好きでしたけど、賛否両論はあるみたいですね。きれいな庭なので、車がない方がいい、と思う人もそれなりにいるみたいです。

部屋の中には床暖房といいベッドがあって、壁には一枚絵が掲げてあります。全体的に「何もない空間」というのをきちんと配置していて、そこが僕は好きでした。アパホテルみたいな、必要最低限のスペースだけを削りとった部屋も嫌いじゃないですけど、本当に美しい空間をつくろうとしたらやっぱこんな感じになるよなと思いました。

食事も朝晩を部屋食で持ってきてくれます。ちょっと量は少ないですが、ちまちました皿にたくさんの料理が運ばれるタイプの料理でした。おひつのご飯がやたら美味しくて、酒飲んでるのに白ご飯もたくさん食べました。

仲居さん的な人が部屋に食事持ってきてくれるんですけど、なんか気まずくて、変な感じでしたね。大広間で一人で食べるのがイヤな気持ちは確かにあるんですけど、部屋食も部屋食でなんか不自然な感じでした。ホテルのルームサービスなんかは好きなんですけど、何が違うんでしょうね。

小説を全く書けなかったことは挫折感あったんですけど、今思うと非日常の力というのは、精神的な回復という意味では大きいですが、それをもって何か生産するような安定した力ではないと思います。結局何かそれなりに質量のあるものをつくるためには、日常の中で安定したパフォーマンスを発揮し続けなければならない、というのをこのときの僕はまだ理解していなかったんでしょうね。

突然天啓がおりてきて、ガーって手が動いて、それでうみだした作品でなんかすごい評価を受けて……みたいなサクセスストーリーはフィクションの中だけで、現実にはない(少なくとも僕には)というのを、このとき生々しく経験したのかもしれませんね。

そういう意味では、宿自体はいいところですけど、僕にとってはほろ苦い経験だったように思います。

肘折温泉 旅館勇造(2019/山形)

2018年もだいたい2017年と同じような行動をとっていましたが、色々変わってはいました。一番違うのが仕事との向き合い方を変えた、というところでしたね。仕事している自分を受け入れて、とにかく会社での仕事を真剣にやるようになりました。

「金のために仕方なくしている仕事」ではなくて、もっと真剣にやるようにしました。会社からの評価もされるようになりました。ただ真剣にやる中で、周りとのズレだとか、仕事内容に対する不満だとか、会社自体への不満だとか、そういうものが出てくるようになりました。

2018年末が案件的にめちゃくちゃ多忙で、そのときにはもう明確に転職することを考えていました。忙しいのは構いませんが、その忙しさの結果生み出された成果に自分が満足できないのがイヤでした。自分が本当に価値のあると思ってるものを生み出す仕事をしないといけない。そのときはそこまで明確に思ってませんでしたけど、そういう問題意識があったように思えます。

2019年の三が日明けに、グラントーキョーにあるリクルートのエージェントの面談受けたのを覚えています。

転職活動自体は色々大変でした。忙しいのもしんどかったですが、キャリアチェンジだったのでとにかく選考が通らず、「これムリなんじゃないか……?」と何度も思いました。

山形に行ったのは、そんな転職活動中の4月でした。会社的には案件が落ち着いたタイミングだったのと、転職活動的にも面接の予定がなくなる一週間があったので、そこで3ヶ月の疲労を癒すために湯治に行くことにしました。

東北自動車道の途中でリクルーターから電話があって、車のBluetooth接続で話そうとしたらレンタカーが上手く僕の声を拾ってくれなくて、結局SAにとまって折り返すと、最終面接が決まったという報告でした。その会社が今働いている会社ですね。二次面接の内容も、なんかほぼ採用確定みたいな雰囲気があって、いけるとは思ってました。当時はまだ内情がわかってなくて、色々不安がありましたが、とりあえず採用されそうというのが嬉しかったです。

肘折温泉を知ったのも、このブログ記事経由だと思います。肘折温泉自体が小さな旅館がいくつかあるところなので、毎日泊まるところ変えても面白いかもしれませんが、このときはとにかく体を休めたかったので、深いことを考えずに連泊することにしました。

4月というのは温泉街的にはなんともいえない時期で、人もまばらでした。驚くべきことに、4月だというのに雪が相当残っていて、帰宅日の朝には少し雪が降りました。スタッドレスにはしなかったしチェーンもつけたことがないので、もし雪が降ったら帰れなくなるところでした。豪雪地帯です。秘境の温泉、という感じでした。

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これは肘折温泉のなんでもない路地です。草津の賑やかな温泉街と比べると店も少なく不便ではありますが、その分ガヤガヤしてなくて、静かにゆっくりするにはいい場所でした。

勇造は夫婦二人でやられている? っぽい旅館で、朝晩部屋食でした。山形の山菜をふんだんに使った料理を出してくれるので、一人暮らしの野菜不足に苦しんでいた僕の体が喜んでいました。三日か四日泊まりました。畳の部屋に、効きすぎるぐらい強力な暖房装置がついていました。旅館のご飯でよく出てくる、お膳の上で火をつけるタイプのきのこ鍋を食べながら、花羽陽という山形の地酒を飲みました。花羽陽は甘めの日本酒で美味しかったです。関東だとあまり見ないですね。

宿にも温泉がついてるんですが、肘折温泉の街自体も公衆浴場が三つほどあったので、初日は宿の温泉に入って、翌日からは外の方に行ったような気がします。

この頃にはもう車の運転も昔ほど不安がなくなっていて、2017年頃の自殺行為感がなくなって、色々楽しく行動できたような気がします(最終日の雪はビビりましたけど)。肘折温泉自体は道が激狭なので、徒歩で移動しましたが、一回会社の人におみやげを買うために山形市中に行った日もありました。

「ふうき豆」という山形の甘納豆的なお菓子を会社の山形に詳しい人にオススメされたので、買っていこうと思ったんですが、小分けタイプのものが売ってなくて、会社の人に配りづらかったので、自分用にだけ買って、宿でぱくぱくおやつとして食べました。確かに美味しかったです。

2020年の大雪で肘折温泉の交通網が壊滅したというニュースも見たような気がしますが、今は大丈夫なんでしょうかね……とりあえず勇造が現在営業中なのは確認できました。

ホテルミヤヒラ(2019/石垣島)

無事転職活動が終わり、有休消化期間に入った6月に石垣島へ行きました。

金もあって、時間もあって、将来への不安もない、いいテンションでした。

とりあえず初日と二日目の宿だけとって、あとはテキトーにスマホで調べてとる、という気ままな旅にしました。

初日・二日目はアートホテル石垣島というところに泊まりました。石垣島で唯一サウナがあるホテルでした。いいホテルでしたけど、なんかオシャレなホテルすぎてあんまり石垣島っぽくなかったかもしれません。

石垣島に旅行、といっても半分ぐらいは離島巡りをしていて、フェリー乗り場から竹富島とか西表島とかに行って、そこに泊まっていました。

で、島巡りにも飽きて、石垣島本島でもうちょっと遊ぶかと思ったときに泊まったのがホテルミヤヒラでした。八重山諸島に向かうフェリー乗り場の目の前にあるホテルです。

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部屋からフェリー乗り場を見るとこんな感じです。赤煉瓦の屋根と青い海のコントラストが何度見てもキレイですね。

ミヤヒラの受付で、「部屋に備え付けの館内着・スリッパで館内を移動してもらって構いません」という説明を受けたのがちょっと面白かったです。「移動しないでください」という説明はホテルでたまにされますが、「移動してもいいですよ〜」というのは珍しい気がします。西表島のホテルでも同じことを言われたような気もするので、南の人特有の感覚なんですかね?

大浴場がついてるんですが、一回フロントを通って、お土産屋を抜けた奥がなぜか大浴場で、「館内着で移動していいですよ〜」とは言われたものの、さすがにちょっと遠くて、色んな人と会うので、一回使っただけで、あとは部屋で風呂入るようにしました。風呂話で言うと、石垣島ってスーパー銭湯的な施設がなくて、ミヤヒラにはサウナがありませんでした。まあ石垣島は日中外歩いてたらそれだけで汗だくになるので、わざわざサウナ入りたくなるモチベーションもないのかもしれませんが……

ミヤヒラの近くには730記念碑という記念碑があって、どうもこの周辺が栄えているみたいで、石垣島の中心地と言ってもいい感じがしました。アートホテルはいいホテルでしたけど、立地っていう意味ではちょっと繁華街から離れていたのかもしれません。ミヤヒラの方がより石垣島っぽさを感じました。
(ちなみに730記念碑は1978/7/30のタイミングで、アメリカ占領時代の名残りで右側通行だった石垣島が一斉に左側通行に変更となった日だそうです)

だいたいホテル泊まるときは朝食はホテルでとることが多いんですけど、ミヤヒラに泊まったときは何を考えたのか食事なしのプランにしました。730記念碑のすぐ前にファミリーマートもあるので、困らないだろうと思ったんですかね。実際困らなかったです。

石垣島は基本的にいい思い出しかなくて、精神的には非常によかったです。たぶん10日ぐらい滞在しました。その10日を振り返ったときに、その象徴みたいにホテルミヤヒラが浮かびます。もっといい宿泊施設はあると思うんですが、石垣島ぽさを一番感じたホテルでした。沖縄本島と比べるともっと素朴な感じのする土地でした。

(了)

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