実際に身を削っている人間の言うことを信じた方がいい
最近思っていることです。必ずしも万人に当てはまることではないかもしれません。
株価の例
「実際に身を削っている人間の言うことを信じた方がいい」例として、株価をあげましょう。
僕は、2020年の株価の動きの読みを完全にはずしました。
2020年が終わる今となっては、3月の暴落時に買って、年末に待ってるのが正解だってわかりますね。
ただこれはもう結果論です。
たぶん3月時点のいろんな有識者の予想を遡れば、めちゃくちゃ外してる人もまあまあ当たってる人も見つけられると思います。
2020年はひたすら回復することなく低迷する予想だったので、もし僕が仮にショートポディションをとっていたら、ひどい損失を出していたでしょう。そういう意味ではポディションを取らなくてよかったです。
無責任な発言は有識者が言ってる場合のみ価値がある
昔は「自分でポディションをとっていると冷静に相場が見れなくなるから、経済学者やエコノミストの言うことは客観的な第三者意見として価値がある」と思っていましたが、年をとればとるほど、「第三者の客観的な意見」というのは無意味だなと思うようになりました。
まあ有識者の客観的な意見は有用性ありますが、Twitterやブログでわめいている自称経済通の意見は本当に無意味だと思います。特に断定的な口調で、「今の株価水準はバブルでいつか暴落する」と言い続けてるようなタイプの人。
そういうタイプの人は、自分の予想が外れたことは忘れて、自分の予想が的中したときのことだけを鮮明に記憶して、年齢を重ねていきます。「ほら、あのとき俺の言った通りだろう?」が口癖です。
けれど自分のその鋭い読みを元に、何か勝負をするということはしないでしょう。株価の暴落の予想はしても、その暴落に対してポディションをとることはしません。
自分がダメージを負わないので、長い間強気でいられます。そういう人種は、自分のことを軍師タイプだと思いがちですが、実のところプライドが高くて臆病で、人より少しばかり知能が高い人です。僕も大学時代ぐらいを振り返ると、自分がそういうタイプだったな〜と思います。
実際にポディションをとってみると未来に対して謙虚になる
けれどその手の未来予想を見事に的中させるだけだと、何の価値もないんですね。
その予想をもとに、何か行動を起こした人間だけがリターンを得られて、そこではじめて価値になります。
予想ばかり言って、何も行動しないのは「頭でっかちな口だけ野郎」と罵られても何も反論できません。「本当にそう思うんならxxしてみたら?」と指摘してみても、「いや別に俺は予想してるだけだから」と返ってくるだけでしょう。
本当の難しさというのは実際にやってみないとわかりません。「エアプ」というネットスラングがありますが、実際にプレイしてないことをあたかもプレイしたかのように堂々と語る人間は世の中多いです。
Twitterでいつも元気に経済予想しているアカウントも、実際に株式投資を全力でやると、得したり損したりすると思います。「絶対に負ける」とも言えませんし、「絶対に勝つ」とも言えません。もしかしたら口だけだと思ってたらやらせてみたらマジで上手いかもしれないし、ホントの口だけ野郎ということが証明されるかもしれません。
統計的には、ほとんどの個人投資家は損をするので、ネット評論家さんもやらせてみたら損失を出す可能性の方が高いです。
ただ実際にプレイヤーになってみると、まず「100%こっちに振れる」なんてシチュエーションはないことに気づくと思うんですよね。
そして当たらない未来を100%の精度で予想することが不可能である以上、常に不完全な精度の予想で持って戦わなきゃいけないこともわかると思うんです。いわば未来に対して謙虚になると思うんです。
プレイヤーの態度
謙虚じゃない人間でパッと思い浮かぶのはプロ野球ファンですね。自分は酒飲みまくってダルダルの肉体しているのに、試合に出てる選手を上からDisる(よく考えるともはやそれはファンなのか?)のは典型的な野球ファンですね。
上原選手が一回「野球の素人はプロを批判するな。ならお前がやってみろ」という発言をして、物議を醸し出しました。僕自身は必ずしも賛成じゃない(少なくともプロの選手の言うべき発言じゃないと思います)ですが、これは「プレイヤーの態度」としては正しいです。
「人を批判するくらいなら、そいつよりもいいやり方をやる」と言うのは、正しい態度です。特に批判というか感情的に罵倒しているだけの人は世の中すごく多く、インターネットの力でそれが可視化されてしまっている面もあるかと思います。
「インターネット使って自分の意見を表明する」、というのは全然正しい行動で、何らも問題ないんです。けれど、僕自身受け手の一人として、ネットの情報量は膨大なものになっていると感じています。その膨大な情報から取捨選択する一つの基準として、「身を削ってる人の意見」というのはより価値を増しているという風に感じます。
つまり「口が上手いだけのエアプ野郎」より、「口下手だけどその道のプロ」みたいな人を高く評価すべきだと思うんです。もちろん「口が上手くてその道のプロ」が一番いいんですが、現実的にはそんなにスーパーマンは多くなくて、そう言う人がネットで無料の情報発信をしてくれてることもそんなないので……
ネット評論家の心理
本題はここで終わりなんですが、最後になぜネット評論家が出てきてしまうのかという心理を少しだけ分析して終わりたいと思います。
まず第一に「行動を起こす」というのはそれだけで難しい行為だということです。チャレンジにはリスクが伴います。人間、可能であればノーリスクでいたい気持ちがあるかと思います。
またチャレンジしたとしても、きれいに成功できるとは限りません。「TOEIC900点を目指すブログ」みたいなブログを立ち上げて、序盤は熱心に更新していたけれど、いつの間にか放置になって、目標もあやふやになって、結局いつしか消す、みたいな人を結構な数見たことがある気がします。チャレンジして試行錯誤する過程も、たとえ失敗しても価値があるものなんで自信を持って欲しいですが、そういう心理になかなかなれない人も多いかと思います。
そして第二に、「ネット評論家の強すぎる批判はコンプレックスの裏返し」というのがあると思います。彼らの自己認識は「自分は軍師タイプ」というものですが、実際一般企業で経営企画部みたいなとこに行くエリートが自称軍師タイプみたいなタイプだったのは見たことがありません。つまり彼らは肥大化した自己認識を満たせる場を求めているけれど、社会の中でそれが与えられていない状態である場合が多いと思われます。
それ故に彼らは「マスコミ・政治家・コンサル・シンクタンク」あたりの予想はダメダメで、自分のような在野の賢人が本質をついている、という風なシチュエーションを喜ぶのだと思われます。
その一方で、批判の矛先は鋭いものの、いざ自分が同じテンションで批判されることは許容していないので、「議論」という名のもとに誹謗中傷合戦を繰り返す傾向があります。それもまた根本に抱えたコンプレックスから来るものと思われます。
↑の描写は僕自身もかつてそうだったので、過去の自分への嫌悪感から、やや辛辣に書いている部分があります。もし読者の方に刺さってしまったらすみません。
(了)
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