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オーガニックの本当の意味を、「分解と発酵の視座」から感じる

日本の食文化の最も凄いところは、発酵を食に広く取り入れたことにあると思います。

発酵とは、腐敗であり、分解と再構成を経て新しいものを生み出すプロセスでもあります。

ビジネスで叫ばれているイノベーションとは、まさに発酵のようなものです。


味噌、醤油、酢、みりん、酒、鰹節、納豆…

人間にとって、都合の良いものを発酵といい、都合の悪いものを腐敗というようです。

でも自然界では、誰がどう役割を担うかだけで、その違いはあまり関係がないでしょう。

よく考えれば、人間の身体だって、動物の身体だって、食べ物を全く異なる身体の一部に変えていく機能を持っています。

ご飯を食べる人間も、草を食べるゾウも、結果は身体をつくりますが、持っている要素が違うだけで、基本は同じことをしているわけです。


栽培だって同じです。

私は、自宅で栽培された米と野菜で育ちました。
今も庭に畑のある暮らしをしています。
大きなコンポストで堆肥を作り、無農薬とほぼ有機栽培で野菜を使って食事をしています。

「土が全て」と言われるほど、土づくりが重要です。

これもまた、土の中での微生物や虫たちとの、発酵や分解の賜物といえます。

地球上に住む生物の全てが、この分解と発酵に関わっているわけです。


朽ちて、分解され、新しいものに生まれ代わる。
そうして、新しい生き物たちの環境として生まれ変わる「循環」に関わっています。

朽ちるのは「有機物」であるからで、これが本来の「オーガニック」という言葉です。
特別な野菜のことではありません。


ネイチャーポジティブ、生物多様性、リジェネラティブ・・・色々な言葉が生まれるけれども、それは太古から繰り返されている、この有機物の分解と発酵がベースにあります。

この視座に立って、あらゆる万物を見ると、それは奇跡と呼ぶほどに小さな分解のプロセスが繋がる大きな循環が見えてくるでしょう。


時間とお金に余裕のない人間は、この分解と発酵の時間を待てなくなっています。

○○風調味料のように、甘味料や化学調味料で誤魔化しているのは、いまの社会を表す光景そのもの。

私たち自身もまた、有機物であり、人生100年の先にあるのは、地球に還ること以外の選択肢はありません。


その視座に立ったとき、私たちは、何を選択するのでしょうか。


私たちは、このあたりまえの循環に逆らい、朽ちては困るという都合の良い理由で、無機物を創り出し循環を止めています。

地球をつくるプロセスに関わることのできない、朽ちることのない「ゴミ」。
巨大な海、見えない地中、そんな風に目の前から隠していく未来。


1日に1回、太古から未来に続く循環に視座を置いて、地球の様子を見てみる時間があっても良いのではないでしょうか。


誰もが、今日からすぐに全ての無機物と付き合うことを止めらるわけではありません。


でも、1日1つでも、分解や発酵という視座から見た「朽ちる」ものに選択を変えていったなら、きっと未来は変わっているに違いありません。