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酪農ヘルパー出身だからわかる、大事なこと

ファームノートでお世話になっているある酪農家の話を聞きました。
一緒に人と働くということについて学びがあったので、noteを書きます。

高校卒業後にヘルパーに

実家が酪農をやっている高橋さん。
高校卒業後は、休みもあるし自分で稼いでみたいと思って、ヘルパーになったんだとか。

「ある組合に友達がヘルパーとして入る!って言っていたので、ノリでその組合に入ったんだよね笑」

”外”に出たら、今の奥さんに出会えた

「ヘルパーをやるなら、修行っていうことで3年までって決めてた。」と語る高橋さん。

卒業後すぐに酪農家になる道もあったのでは?と聞いてみたら…

「勝手なイメージだけど、すぐ実家を継いだら外の世界を知れないじゃない?ってことは、お嫁さん見つけるの難しいんじゃないかって思ったんだよ。笑」

ヘルパーになりたての19歳の夏、イベントで今の奥さんに出会うことに。
その後結婚をしたんだとか。

戻ってきたのは、高橋家を名前を残したいから

結婚したら実家に戻ろうって思ってたという高橋さん。
お子さんができたりといろいろあり、結局11年くらいヘルパーとして勤務していたと言います。
その後、実家の牧場を継ぐことになります。


「もともと、両親から牧場を継いでくれ!みたいなことは言われてなかった。というより、高橋っていう名前を残すために帰ってきたんだよね。先祖の仏壇とか墓を見ると特にそう思う。」

次の世代に高橋家を残せるようにがんばろうと決意したんだとか。
約11年、外の世界を見てきたからこそ固まった思いなんじゃないかなと感じました。

ヘルパー時代に味わったしくじり

ヘルパーを経て酪農家になった高橋さんは、ヘルパー時代に味わったある”しくじり”から生まれた、仕事でのこだわりがあるそうで。

「ある現場に向かうと、打ち合わせは何もなく仕事がスタート。
注意事項とかが書いてあるホワイトボードを見ながら、細心の注意を払ってやっていたんだよね。」

なんと、ホワイトボードに紛らわしい表記ミスがあり、搾ってはいけない牛を搾ってたと言います。

「検査結果出たら念の為電話くださいって牧場主に言ったんだよ。」

するとその後、牧場主から電話が来て、検査結果について聞いてみると、なんとか大丈夫だったそうで。

「だから、それ以降は自分がヘルパーで入るときは、自分ができる範囲で情報共有は徹底していたね。置き手紙みたいな感じで書いてたよ。」

元ヘルパーだからこそわかる向き合い方

自分がヘルパーの立場から酪農家になった今、情報共有はもちろん、ある考え方を大事にしているという高橋さん。

「勝手なイメージかもだけど、昔の酪農家って、『俺らが使ってやってんだ。』みたいな感覚があった気がするよね。」

一方で、「ヘルパー時代に気づいたのは、俺たちヘルパーがいるから休めるんだよっていう思いをもったよね。」

酪農家になってヘルパーさんにお願いするときは、情報共有はもちろんのこと、”やってもらっている”という、ある種感謝の気持ちを持つようにしていると言います。

どちらの立場も経験していると、互いの意識に目を向けられるんだなと思いました。

この考え方は、酪農だけでなく他の業界でも、日々の生活でも大事だなと痛感します。

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