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749『凛とした日本人 何を考え、何をすべか』

 金美齢さんの著書で『凛とした日本人 何を考え、何をすべか』を読む。ちょっと古い本ですが再度手に取ったので感想文。東日本大震災という国難であたふたしていた2011年の出版。
 東日本大地震では「あのとき自分は何をしていたか」。誰もが語る物語があるはず。ボクの場合、ちょうどマンション管理組合の理事長だったこともあり全戸住民の安否確認をしたこと。ディズニーランドから帰れなくなった娘とボーイフレンドを探しに行ったことなど。電話がつながらないなかでも、助け合えばなんとかなるものだと改めて思いました。
 美齢さんは、原子力発電所への対応などで、当時の菅(かん)総理をトップとする政権の対応を強く批判しています。挙げればキリありませんが、要約すれば「国家観」がない。美齢(今回気づいたのですが「みれい」ではなく「びれい」と読むのですね。これまで間違えて発音していました。ゴメンナサイ)。
 なぜ彼女が日本国の先行きを憂うのか。それは帰化した日本人であるから。台湾人だったのですが、台湾は独立国であると主張したら当時の国民党政権に睨まれ居られなくなりました。
 台湾は誰もが知るように日本領でした。戦争に敗れた日本が領有権を放棄しました。ならばその地に住む人たちが、独立するか、他国への編入を望むか選択すべきという意見です。ボクなどよく理解できます。でも日本国内でもタブーなのですって。そんな発言は中国共産党の習近平さんが許さないからですって。なんで?
「政府に睨まれるから発言に気をつけた方がよい」と注意をくれる人がいます。ボクは中国政府など気にしないと答えたら、その人が意識していたのは日本政府のことでした。キミの発言がもとで外交問題になったら困るだろうですって。一小市民の自由意見ですよ。それ外交問題になるなんてあり得ないことですが、万一そうなれば外務大臣はむしろ喜ぶべきでしょう。「他国の国民の国内での発言をあげつらうのはとんでもない国内干渉だ」との攻撃手段を得て外交優位に立てるはず。
 この本の主題は民主主義国の国民像です。彼女の気持ちがこもっているのは次のくだりです。「各自の自助努力の有無を不問に付し、「かわいそう」の大合唱で「社会保障が足りない」と行政や企業を非難するのはフェアではない。社会的弱者とは自助努力を放棄した人たちのことを指すのではないはずだ」。
 その一例が「おひとりさま」願望です。1人は気楽でよい。そうして困れば社会から助けてもらえばよい。でもその社会はだれか作り支えているのか。美齢さんは総括します。「自分の命は自分のものだが、同時に親や家族、生きてはまみえたこともない先人ともつながっている。だから自分は孤独ではないし、命も粗末にできない。また、ただ自分勝手に生きればいいというものではない」。まったく同感。
 これこそが民主主義国の国民の一般意識でなければなりません。

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