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755映画『老後の資金が足りません』 足りないには理由があった

 表題の映画を見た。冒頭に経済評論家の「老後に2千万円の蓄えが必要とする政府の発表はウソ。4千万円が必要」と警告が出る。主人公の主婦は預金通帳を開いて大きくため息。彼女の家の預金総額は700万円。65歳までにあと3千万円以上増やすなんてとても無理。
 夫は実直な会社人間。彼女もパートをしている。娘は学校を出て何年も経っているようだし、息子も大学卒業間近。なのにどうしても預金が増えないのか。その理由が徐々に明かされる。そしてそれが現代日本社会の問題縮図であるのだ。 
 問題の第一は親世代の行動様式。夫の父親が長い介護を経て死亡する。母親は息子である彼女の夫に「世間様に恥ずかしくない葬儀を出してちょうだい」。葬儀場で一番広いボールを使うなどで総費用330万円(お寺に払う戒名代などは別)。しかし父親がお店(浅草の老舗和菓子屋)を開いていたときの付き合い相手は先に鬼籍に入っていたりして会葬者は20人も来ず、香典では費用の1割も回収できない。彼女の預金は半減する。
 ここで出なければならない疑問。なぜ子どもが葬儀費用を払うのか。親の家業を継ぐなら当然だろうが、その場合は事業の経費として処理される。サラリーマンの息子では、介護費用同様、親の年金など社会保険給付から自弁すべきだろう。健康保険には埋葬料(葬祭費)という法定給付がある。高高齢者医療制度でも同じ。それで賄うならば、喪主の息子は挨拶に専念できる。ただし給付額は5万円とか7万円で浮世離れしている。これを25万円(出産給付金のせめて半額)に引き上げれば事情は変わる。息子の持ち出しはなくなり、かつ葬儀屋も葬儀の内容を考える(家族葬など)ことになるはずだ。
 夫の両親は代々の和菓子屋を畳んだ際に7千万円ほどの現金を得た設定になっている。老夫婦のr羽後資金には十分のはずだが、夫の両親は海外旅行などで派手に使い尽くす。なによりも理不尽なのは、この老夫婦の高齢者ホーム生活の日常費を彼女の夫とその妹で月々9万円ずつ負担していることだ。  成人同時の親子は別世帯で別家計のはず。親の老後生計費は親自身が準備すべきもの。子どもには頼らない。そう考えるから彼女は2千万円貯めようとしている。にもかかわらず親のための月に9万円も支払っている。
 次の問題は子どもの行動様式。彼女の娘が結婚することになる。相手は一代で財を築いたギョーザチェーンの御曹司の設定だが、自身はミュージシャンで身を立てようとしている。まだ名がでていないので年収150万円。その独立心は買いたいが、結婚式を東京でも指折りの式場にしたいと言い、双方の親で折半負担してほしいと要望している。夫は娘の一生のことだからと鷹揚だが、それでは預金がゼロ近くに減ってしまい、自分たちの老後資金はいよいよ危い。頑として拒絶するのがお互いのためではないか。 
 その後も彼女がパートを雇い止めになったり、夫の会社が倒産したり。またホーム経費を節約するために彼女の家に同居することになった夫の母親が振り込め詐欺に遭うなど、視聴者サービスのドタバタがある。そして家族仲よくはカネでは変えない幸福である位という当たり前のことにみんなが気づいてハッピーエンド。ほんわかホームドラマに仕上がっている。
 問題は世代間の二つの問題。老世代が財産を放蕩してしまい、中年の子世代が肩代わりさせていること。もう一つは成人した子世代が自分たちの結婚式費用などまでも親に頼ろうとすること。大人になれば親子間でも家計は別。核家族中心社会の原則ルールだ。この点をしっかり教えない教育が現代日本人の老後を必要以上に複雑化している。

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