犬を棄てる ー自分とは何者かー

もう、遠い昔のことになるが、自分は犬を棄てた。
家で飼っていた雌犬が野良犬に種をつけられて子供を何匹も産み、更に悪いことに、産後の気性が荒いところ、通りがかりの人に噛みついてしまう。
これ以上飼っておけない、ということになり、殺処分のため祖父とともに犬の親子を役場に連れて行った。
家に帰ると、出かけていた母親が戻っていて、最後に何か食べさせてあげようかと、近くの商店で菓子パンを買い、二人で再び役場に向かった。
「ほら、パンだよ、食べろ」と、母親とパンをちぎって檻の中に入れると、母犬は自分は食べず、すべて子犬たちに食べさせた。
檻の中から、何か訴えるように自分たちを見ていた母犬の目が今でも忘れられない。
他人からすれば、たかが動物、日常の些末な出来事なのだろうが、自分にとっては刺さったままの棘になり、その後も折り折りで思い出され、何ともいえない気持ちになる。
一緒に犬を棄てに行った祖父は既に鬼籍に入り、母親もすっかり年老いた。
今のうちに母親と、あの日のことについて語っておきたい、とも思うが、このまま触れずにおくのがお互い、いいような気もする。

それなりの年齢になると、果たして自分とは何者か、どこから来て、どこへ向かうのか、そんなことを考えるようになった。
たぶん、死んでしまえば身も心もすべては「無」となり、ある意味、子供たちの将来が「行先」といえなくもないが、寿命という制約もあり、その結末を見届けることはできない。
一方、どこから来たのかについては、遡ることで朧げながら見えてくる。
例えば、戸籍を父、祖父、曽祖父と辿ってみる。
それは、一見すると事実が淡々と記載された書類に過ぎない。
うちは、べつだん由緒ある家柄でも何でもないので、祖父はともかく、曽祖父がどんな人で、どんな暮らしをしていたか、ほとんど知らない。
しかし、そこに記載されている出生の日、出生地、父母の名前、婚姻の日、死亡の日を眺めていると、不思議とその人生のようなものが浮かんでくる。
生命は引き継がれるもの、という前提なら、曾祖父よりさらに上、もはや誰の記憶、何の記録にも残っていない人たちの百年、いや、千年オーダーでのバトン・リレーの結果、今ここに自分がいる。
そして、その長い時間の中で、作者の語る「偶然が生んだたまたまの事実」が一体どれくらいあったのだろう、と思いをはせる。

よく人は、「幸運」について、もしあの時○○だったら、今の○○はなかっただろう、とイフ(IF)にからめて語りたがる。
若い頃はそんな話を聞いても、ただ「運がよかったな」くらいにしか感じなかったが、いつからか、いや、ひょっとしたら、無数の「偶然」によって、もたらされなかった幸運(=不運)のほうがはるかに多いのではないか、と考えるようになった。
作者の父は、戦争という、生き死にが懸かる状況で、「偶然が生んだたまたまの事実」によって生き残り、結果、作者が生まれる。
もし、作者の父が「偶然」の結果、戦死していたなら、今ある小説は端(はな)から存在しなかったことになり、確かにこれは読者にとっても幸運だった。
しかし、その他無数にあったであろう「偶然」により、失われる命がなかったら、もっと多くの感銘を与える小説が世にあったかもしれない。(いや、確実にあったはずだ)

今でも、進学、就職、結婚などという岐路は、その後の人生にそこそこの影響を与えるが、これもかなりの部分、「偶然」に支配されているような気がする。
そして、そういうものに全く無関係と思われる日々の些末、さて、今日どこに出かけるか、何時の電車に乗るか、どの道を通ってどの角を曲がるか、気まぐれに立ち寄る店、座るテーブル、サーブしてくれる女性など、刹那刹那の「偶然」で構成される平凡な日常も、どこかで今の自分につながっている。
そういった数多くの「自分」の寄せ集めが世の中であり、時代を創る。

数年に一度、自分は、車で数時間かけ、とある大河の源流を訪れる。
標高千メートルくらいにある、なだらかな草原を分け入っていくと清らかな小川のせせらぎが現れる。
さらに上流を目指すと、そのうち流れはなくなり、所々の岩場や茂みから水が滴り、浸み出している。
この一滴、滴りが、いずれ下流の雄大な流れになる。
もちろん、無数の「偶然」によって、途中、田畑や生き物の喉を潤したり、地面に吸い込まれるものもあるが、それはそれで、一滴として役割を果たしている。

話は戻り、遠い昔、自分は犬を棄てた。
振り返ると、それを意識、無意識のうちに引きずってきたが、そのことが、折り折り、他者に対する僅かばかりの優しさとなって、今の自分につながり、さらには世の中や、時代になっているのかもしれない、と思った。


◆あとがき、のようなもの
それで何か得をするというわけでもないのに、今の時代、多くの人が、政治から食べ物まで、あらゆるものを「レビュー」しています。
思うに、このルーツ、小学生の頃の「読書感想文」ではないでしょうか。(あの時、みんな苦手でしたが……)
そんなわけで今回、あの頃の童心に帰ったつもりで書いてみました。

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