16年前に書いたCLANNADのSS 『壊れかけのレディオ』

 

 白緑色のカビがコーヒーカップの内側を隙間なく覆っていた。割り箸を持ち出しその中をゆっくりかき混ぜてみると、ヨーグルトをすくっているようなヌラリとした感触が手の平に残った。顔を寄せてみる。夏のワキガに蜂蜜を垂らしたような匂いだ。それは即ち死の香り。
 うーむ。少し腕を組んで考えたあと、
「おい、春原」
 ベッドで惰眠をむさぼる男に向かって声をかけた。
「……ん~もう朝ぁ~?」
 ゴム紐をたるませたような返事が返ってくる。
「おう朝だ。眠そうなオマエのためにコーヒーを入れておいてやったぞ」
 喋りながら布団を引っぺがす。奇妙な金髪が朝日を受けてランランと輝いていた。
「オマエが僕に……? どういう風の吹き回しだよ」
「俺気づいたんだよ」
 落ち着いた声で返す。
「は? 何に?」
「……今まではさ、オマエのこと手足のついたダンゴムシくらいにしか思ってなかったけど」
「爬虫類あつかいですか!!」
「けどさ、コタツの中で色々考えているうちに思ったんだ、やっぱりこいつはかけがえの無い存在なんだって」
「岡崎……」
「そんな俺がオマエのために淹れた初めてのコーヒー」
 そう言って俺はカップを差し出す。
「いや……嬉しいんだけど……この表面に浮いてる毛玉みたいなのなに?」
「クリープだ」
「いやクリープって緑じゃねえと思うんだけど……」
 一応コイツにも微弱ながら危機感知能力が備わっているようだ。
「春原、オマエまじイケてる」
 俺は突然に切り出した。
「え、やっぱり?僕も前々からそうじゃないかと思ってたんだけどさ」
「ああ、この間なんかB組の女の子に噂されてたぞ。『春原くんって支離滅裂よね!!』ってな」
「マジかよ!!なんかよくわかんないけど僕モテモテじゃん!!」
「ああ、そしてその子はこう言ったんだ。『春原くんがコーヒーを一気飲みしてる姿が見たいわ!!』ってな。オマエが嫌じゃなければこのカメラで現場を激写して見せてやりたいんだが」
 都合よくテレビの横に置かれたカメラを構えてみる。
「僕飲むよ!! 僕を待ってるファンのために!!」
 手乗り文鳥も真っ青の扱いやすさである。
「よし、それじゃ撮るからイッキに飲み干してくれ」
「おう!!」
 奴はなんのためらいもなく口元にカップを持っていった。
 ゴキュ……ゴキュ……ゴキュ…
「ぷはぁ~、ごちそうさま。ねえ、いい写真撮れた?」
「ああ、田代まさしも驚くほどに完璧だ」
「よし!!それじゃ写真を渡すときには僕も一緒に……」
 台詞を言い終わらないうちに春原の顔が青くなり始めた。
「な、なんか急に吐き気が……ブハァッ!!」
 口からなにかを吹き出して奴は倒れた。吐き出されたコーヒーのところどころに赤いラインが入っている。
「……母親思いのいい奴だった……」
 俺は物言わぬ肉塊となった彼に向かって手を合わせた。
「って勝手に殺さないでもらえますかねえ!!」
「あ、動いた」
 つまらん。
「ほ、ほんとに死ぬかと思った……岡崎……友達相手とはいえ冗談でもやっちゃいけないことってのがあるだろ!!」
「わりぃ。友達っつーかそもそも人間だとみなしてねーや」
「これからはみなしましょうネ!!」


「てゆーかさ」
 唐突にマジな顔になる春原。
「なんだよ」
「明日って……卒業式だよな」
「ああ、頑張れよ」
「アンタもですよ!!」
「ああ、そう言えばそうだな。んで、それがなに?」
「なんつーかさ……虚しくならないか?」
 思わず耳を疑った。こいつからアンニュイな台詞が飛び出すとは予想していなかった。
「僕達ってさ、学校自体お情けで卒業させてもらったみたいだし、なんつーかさ、このままじゃ負け犬みたいじゃん」
「いや、俺彼女いて十分幸せだし。負けてんのオマエだけな」
「そこだよ!!そこ!!なんっで同じような人生辿っているはずなのにオマエだけ渚ちゃんとラブラブショーで僕は一人身なんだよ!!納得いかねーっつーの」
 理由は明らかである。
「オマエ気持ち悪いからな」
「そんな非道いこと笑顔で言うなよ!!
くっ……まあ軽いジョークは置いといてさ。僕が何を言いたいかっていうとだ………」
 春原はベッドから跳ね起きると俺に向かって三つ指を立てた。
「僕に彼女作ってください――!!」
「それ人に頼むあたりからしてオマエ駄目な」
「プライドより大事なもんだって世の中あるだろーが!!」
「この場合それ全く決めゼリフになんないからな」
 ふう。改めてこの男が人より優れている点について考えてみる。

【春原陽平データ】
 髪:金色で気持ち悪い
 顔:いつもにやけてて気持ち悪い(歯ぐきを出すな)
 行動:いつも空回り
 人望:皆無(つーか友達すらいねえ)
 性格:痛くてなにも語れない
 知能:可哀想である
 足:臭い
 ワキ:臭い
 口:臭い

 ……よし、データはそろった。
【結論】E:志望校を変更しましょう

「オマエ彼女作る前に人に嫌われない努力しろな」
「あんた剥き出しの直球投げすぎですよ!!」
 すでに半ベソである。
「いや……だってさ、彼女作るっていってもなんのアテも無いじゃんオマエ。言っとくけどナンパとか無理だからな。前みたいに恐がられるのがオチだ」
 はっきり言って見た目以前の問題としてコイツはナンパに向いていない。馬鹿だからだ。それも話してみてアホっぷりが分かるというのではなく、半径2m以内に入ってきただけで辺りの空気を支配してしまうほどの馬鹿だ。はっきりいってどうしようもない。
「そのことなんだけど……」
 にやけているのか悩んでいるのか微妙な表情で春原が口を開いた。
「僕、好きな娘いるんだよね」

 マジか…… 
 俺は言葉を失う。この馬鹿が恋? 無謀だ、いや、無謀というよりもこれは明らかな謀略である。9回2アウト3塁1点差の状況で代打カツノリを投入するに等しい。
 それにしても……相手は誰だ? 高校生活の中で一番多く春原と時間を共有してきたのは間違いなく俺だ(つーか他の奴は誰も相手にしていなかった)。そんな俺ですらコイツの浮いた話など聞いたことは無いし、そもそも女子とまともな会話を交わしているところを見たことすら無い。
「相手誰だよ。俺知ってるやつか?」
「ふふ、聞きたいか?」
「は?」
「参ったなあ。一応コレ誰にもまだ話してない極秘プロブレムなんだよね。まあ岡崎がどうしても聞きたいって言うなら話してあげないこともないけどさ」
「別にいいや」
 冷静に考えてみたら興味ねえし。
「え、マジ? 『究極の秘密』って書いて極秘だよ? 凄くないコレって?」
「どうでもいいや」
「…………」
「…………」
 沈黙が続く。
「……ごめんなさい!!ちょっともったいぶってみたかっただけっす!!聞いてください!!」
「わかったから、まず相手の名前言えな」
 そう言うと、春原はうつむいて軽く顔を紅くする。気色悪いことこの上無かった。
「……そのさ……智代……なんだ……」
 ためらいがちにボソッと呟いた。
「いや、ネタいらないからな。空気読めよ」
 と、返事が来ない。見るとまだ顔を下げたまま何か言いたそうに口をもごもごさせている。
「もしかして……マジなのか」
 またも返事は無い。代わりに奴はコクンと、一度だけ大きくうなずいた。
「いつからだ」
「うーん……秋……ぐらいかなあ。」
「なんかきっかけでもあんのかよ」
「んなもん特にねえよ。ただ、なんつーかさ、アイツ生徒会長じゃん? 仕事で走り回ってる場面に出くわしたことが何度かあってさ」
 懸命に頑張る姿に惚れてしまったとでも言うのだろうか?
「そういう時にちょっかい出したりするとさ、必ず蹴られるんだよね。廊下の端から端まで吹っ飛ぶくらい。で、何回もそんなこと繰り返してる内にさ、その、気がついたら好きに……」
「いやそれ恋って言うより『覚醒』だからな」
 キッパリと言った。
 まあ、それはいいとして……マジなのか……よりによって智代……?
 無理。なんつーかすね毛むっちゃ濃いオッサンが短パン履いてるくらい無理。
 客観的に見て二人の相性は最悪だ。つーか智代にとって春原など真夏のやぶ蚊みたいなものだろう。
「んで、結局オマエは俺に何をして欲しいんだよ」                                
「なんつーかそれもよくわかんねえんだよ……なんにしてもさ、普通に告白したって撃沈するのは目に見えてるじゃん。けど岡崎ならなにかいいアイディア捻り出してくれるんじゃないかと思って」
 この状況を解決するアイディア……
 まあ……無いことも無いな。
「じゃあまずは紙と鉛筆を用意してくれ」
「ラブレターかよ……結構古い手だな」
「出だしはこうだ、『お父さんお母さん』」
「ふむふむ」
「『お二人に育ててもらったこと、とても感謝しています』」
「うんうん」
「『思えば色々なことがありました。楽しいことも悲しいことも』」
「ほうほう」
「『でも、それも終わりです。僕は永遠の旅に出ます』」
「なるほど……ってこれ遺書ですよねえっ――!!」
「これを俺が智代に渡すんだ。インパクト抜群だぞ。もちろんオマエが実行した後な」
「死んでちゃ意味ないでしょ!!」
「大丈夫。智代の記憶の中で、お前は永遠に生き続けるんだ……」
「そんなカッコイイ台詞使っても誤魔化されません!!」
 駄目か……
「岡崎……明日で最後なんだぜ、学生生活」
 なかば悲痛な声で語りだす。
「やっぱりさ、最後くらいかっこいいことやりたいじゃん。無謀な考えかもしれないけど、明日智代にはっきりと告白したいんだ」
 春原は水を被った猫のようにシュンとしている。
 ……はあ。
 俺は覚悟を決めた。
「分かった。俺が舞台を整えてやる」
「え……マジ?」
「ああ、これ以上鬱々とした顔を見せられたんじゃこっちが参っちまうからな」
「岡崎いぃぃぃぃぃぃっ!!」
 突然抱きつかれる。うなじに触れる手がこの上なく気色悪かった。
「ははっ。やっぱ友達っていいもんだなっ!!」
 うーん。
「わりぃ。やっぱり俺オマエのこと友達だと思えねえや」
「卒業してからも仲良くしましょうネッ!!」

 翌朝。目覚めの空は澄み渡っていた。雲ひとつ無い、限りなく透明に近い蒼。
 卒業式を迎えるにはこの上ない空模様だ。
 俺は手早く着替えを済ませ、軽く顔と歯を洗うと、朝飯はとらずにちゃっちゃと家を出た。
「おはようございます。朋也くん」 
 校門の前で渚とおちあう。渚は病欠のために一時は卒業があやぶまれたが、成績のほうが良好だったことで、どうにか式の日を迎えることができた。
 ゆっくりと、桜並木に目をやりながら講堂へと向かう。
「でも意外です」
「なにがだ?」
「朋也くんが卒業式に出ることがです。てっきり春原くんと一緒に遊びにいっちゃうかと思ってました」
 ま、そう思われてても不思議はないな。
「おまえがいるからな。一人で出席させるわけにもいかないだろ」
「あ……ひょっとして気を使わせちゃいましたか、わたし」
 軽くうつむく渚。
「アホか。おまえと一緒なら式も楽しくなるだろうなって思ったんだよ」
「あ……そういってもらえると嬉しいです……」
 今度はにっこりと微笑む。
「それに……」
「なんですか?」
「ちょっとした余興が見られるかもしれないからな」

 講堂にはすでにほとんどの生徒が集まっていた。全学年の生徒が一同に会している光景はどこか日常から遠く、否が応にも卒業式が始まるのだと実感させられた。脇に配置されている父兄席にも多数の出席者が見受けられた。その中に見知った顔を発見する。
「渚ァー!!てめえ一発ブチかましてこいやああああ!!!!!」
「渚、ファイトですよー」
 オッサンと早苗さんである。証書をもらうだけが役目である娘に何を頑張れというのか。 
「……恥ずかしいです」
「目をあわせなければ大丈夫だ」
 うちの高校では卒業式の際の席は指定されていない。俺達は適当に空いている場所を見つけて腰を下ろす。式が始まるまであと10分、まあ適当にくつろいで過ごすか……
「岡崎ぃぃいいいいいいい!!」
 と、突然、汚らしい金髪が視界に飛び込んできた。
「朝っぱらからでかい声出すなよ」
「わ、わりぃ……なんかキャラ的に普通に登場しちゃいけない気がしてさ……って、そんなことはどうでもいいから、ちょっとこっち来いよ」
 強引に服の袖を引かれる。
「渚、わりぃ、ちょっと行ってくるな」
「あ、はい……」
 講堂の外、誰もいない欅の下で春原は立ち止まった。
「なんだよ」
「なんだよじゃねえよ!!ほら、アレだアレ!!」
「アレじゃわかんねーよ」
「あーもう!!にっぶい奴だなあ!!昨日話してたことだよ。その、智代に僕が……告白するって話」
「ああ、それね」
「ちゃんと考えてくれたのかよ」
 不安そうな顔をする春原。その様子を見ているとこいつが本気で智代を好きなのだとわかる。
「まあな」
「え、なんか思いついたのかよ!!やっぱ式の後で体育倉庫に呼び出したりするのか?」
 好きな子に喧嘩でも売りたいのかオマエは。
「ま、とりあえず任せとけよ。ほら、もう式始まっちまうから戻るぞ」
「お、おう」
 落ち着かないのか、席についても春原は無意味に手の平を擦り合わせたりしている。
 それでも段取りを教えるわけにはいかない。コイツがへタレだからだ。内容を知ったらビビって逃げ出すのが目に見えている。
 徐々に教員達が講堂の前部に集まり始めた。
 校長が壇上に立ちマイクを取る。
「全員起立」
 式の始まりだ。
 ……とりあえず出席してみたもののやはり卒業式なんて楽しいもんじゃない。小学校・中学校全く代わり映えしない段取り。校長の話が無駄に長いところまで似せなくともよさそうなもんだが。
 続いて担任たちの送る言葉が終わり、校長が再びマイクの前に立った。
「送辞、在校生代表―坂上智代―」
「はい」
 一層緊迫した空気が辺りを包む。
 智代のほうは緊張した様子もなく軽やかな足取りで壇上へと向かう。女として、というよりも、一人の人間として立派な奴なんだと改めて思う。横に目線を移す。開始三十分ですでにイビキをかいている金髪間抜け面。時代が時代ならば卑人が大城主の姫君に求婚しようとしているようなものである。神よ、「無謀」という言葉はこの男のために用意されたものなのですか?
「おい、起きろ。智代の出番だ」
「ひぃいいいいいいいいい!!!!」
 突然、春原はすっとんきょうな声をあげた。周りの視線が痛い。ま、教師には気づかれていないようだが。
「なんだよ、オマエ。いきなり大声あげんなっつの」
「い、いや。なんかさ……夢を見てたんだけど、夜中にさ、布団に入ってたら足元のほうでなんかゴソゴソ音がするんだよ。で、何かと思って見てみたら、岡崎が僕のパンツを脱がそうとしてるんだ……」
 ドグシッ!!とりあえず正拳を横っ面に叩き込む。
「勝手に人をろくでもない夢に出すのやめろな」
「……気をつけます」
 なんか顔の形が変わってるような気もしたが放っておくことにした。
「それよりほら、ちゃんと前向いてろ」
 すでに智代は送辞の言葉を述べ始めていた。彼女は全く臆することはなく、堂々と、しっかりとした発音で言葉を紡ぐ。
それは決して形式的なものではなく、彼女が心から俺達の卒業を称えてくれているのだと伝わってきた。
「やっぱ……凄いよね、アイツ」
 春原でさえも今講堂に流れている引き締まった空気を感じ取っているのだろう。多少尊敬に近い面持ちで壇上を見つめている。
「なんだよ、身分の違いにびびったか?」
 俺は小声で尋ねる。
「ばか言ってんじゃねーよ!!そんぐらいで日和ってらんないっつーの!!僕だって……あいつに負けないものくらいあるさ」
 ほほう。
「その心は?」
「アイツのことを想う……この熱いハートさ……」
 なにやら馬鹿は誇らしげな様子である。とっさに出た自分の台詞に対し、悦に入っているのだろう。
「オマエ、今の言葉忘れんなよな」
 少しだけ意味ありげに俺は言った。

「――以上を持って送辞と代えさせて頂きます。在校生代表、坂上智代」
 彼女がゆっくりとマイクから顔を遠ざける。生徒達はその仕草から目を離せずにいる。ま、あれだけ見事な送辞を送られたら余韻も残ってしまうだろう。
 さて、段取りとしては、次に送辞に対するお返しとして卒業生による答辞が述べられる。
「答辞をやるのって藤林だったよね?」
「ああ、だけどその前にやることあるからな」
 智代が壇を下りる前に、俺は颯爽と席を立ち、舞台脇で司会を行っている教師の下へと歩み寄る。列を成している教師陣も何事かと慌てているがそんなことは気にも止めず、マイクを奪い、口を開いた。
「次に卒業生から坂上智代さんに対する言葉を送らせていただきます」
 在校生ではなく、一個人に対して送られる言葉、ようするにシナリオ無視のゲリラライブ。
「卒業生代表――春原陽平」
「はぃいいいいい!?」
 予想通りのすっとんきょうな声をあげる春原。当然集まった生徒たちもざわついている。
「春原くん、壇上へお願いします」
 そう言われても何がなにやら、と言った様子で、春原は席を立てずにいる。
「春原、オマエさっき言ったよな。気持ちの強さではタメはれるってさ。見せてみろよ、口先だけじゃないってことをさ」
 多少皮肉交じりの口調で俺は言った。
「春原くん、ファイトですっ!!」
「あんた、ここで逃げたら最っ高にへタレよね」
「ヒトデ」 
 状況を全く把握していないとはいえ、春原にとって逃げてはならない局面だということは察してくれたのだろう、渚と杏から激が飛ぶ。
 しばし、講堂を沈黙が包み込んだ後――
「おおっしゃああああ!!!!!!!」
 ――春原の咆哮が響いた。
 物凄い勢いで壇上へと突進していく。そして、マイクを手に取り、智代の眼をしっかりと見据えながら口を開いた。
「前から思ってたんだ」
 教師陣、生徒達ともに声を殺して春原の話に耳を傾ける。
「どうして自分には目標が無いんだろうって。どうして自分は何かに一生懸命になれないんだろうって。だらだらと過ごしてる毎日はさ、もちろん悪いことばっかじゃないんだけど……時々、凄く虚しくなることがあるんだ。そんな時ってさ、凄く逃げ出したくなるんだ。かったるいこととか何にも考えないで、どこか遠くに旅に出ちまいたいような、そんな気持ち」
 ……なんだよ、結局のところ、俺とアイツは似たもの同士なんじゃねえか。すっげえ青臭い、甘えたガキの言い訳みたいなものなのに、こんなにも俺はアイツの言葉に聞き入ってしまっている。
「けど、そんな時にさ、智代がいろんなことを頑張ってる様子を見てると、なんていうか……勇気が湧いてくるんだ。踏みとどまんなきゃいけないって、この場所で頑張らなきゃいけないんだって。そうやってるうちにさ、いつの間にかお前のことばっか考えるようになってた。今頃メシ食ってるかなあ、とか、生徒会の仕事に追われてんのかなあ、とか。……自分の気持ちには結構前から気づいてたんだ。けど、言えなかった。僕とお前はあんまりにも対称的だと思ったから。言う資格なんか無いって、勝手に決め付けて諦めてた。でも、最近になって就職活動とかも自分なりに頑張ってみてさ、変われる自信がついたんだ。なにかしらの目標に向かって頑張れる人間になれるんじゃないかっていう自信がさ。だから、この学校を去る前に、はっきり言っておきたいと思った。僕は、智代のことが好きなんだって」
 ……続く台詞は一つだよな。
「僕と――付き合って欲しいんだ」
 ホントに言いやがった。
「断る」
 間髪入れずに響く智代の声。講堂を再び沈黙が支配する。やっぱりな、そんな呟きが聞こえてきそうな雰囲気だ。
 ……終わった。俺はすかさずポケットから財布を取り出し中身を確認する。三千円か、缶ビール二十本程度は買えるな。盛大な残念会を開いてやろう。励ましの言葉も考えないとな。
「だが」
 と、再び智代は口を開いた。
「卒業式の舞台で脅えることなく個人に対して告白を出来るという根性は認めざるを得ない。それに、自分のことをそれだけ見ていてくれた人間がいたのだということも、今の私にとってはこの上なく力強い支えになる。正直なところお前がそう言ってくれたことは……嬉しい。わたしはこれから三年生になる。受験勉強に取り掛からなくてはいけないし、多少は生徒会とも関わっていくつもりだ。正直言って忙しいし、あまり時間は取れないと思う。それでもいいなら……友達として、これからも私の側にいてくれないか」
 それはきっと本当に僅かな間。だが間違いなく、講堂を流れる時は止まった。
 あまりに以外な出来事に声も出せない群集、その中で、俺は一人呪縛から逃れたかのように一直線に壇上へと駆け上がっていく。
「春原ぁあああああ!!!!!!!」
「うわっ!!」
 急に俺に抱きつかれ春原は後ろにドサリと倒れこんだ。そのまま二人して床を転げ回る。
「やった!!やったな、この野郎!!」
「な、なんだよ!!単に友達でいようって言われただけじゃんか!!」
 そう言いながらも春原の口の端はしっかりと嬉しそうに持ち上がっている。
「ばっかやろう!!卒業してからもいくらでも会えるチャンスがあるってことだろ!?」
 俺は笑った。自分に幸せな出来事が起きたかのように綻んだ。
「……いつまでそうしてるつもりだお前たち。式が終わったわけではないのだぞ」
 ハッと我に返る。全校生徒の視線が一身に注がれていた。
 ……今更のように恥ずかしくなってきた。
「ふう、私は先に戻らせてもらうぞ。春原、時間がある時にどこか食事にでも行こう。電話は自宅にかけてもらって構わない」
 春原は心の中で「イヤッホーウ!!」と叫んでいることだろう。言うべきことは言ったという感じに智代はこちらに向けていた踵を返し、ゆっくりと歩いていく。と、その途中。
「岡崎」
 思い出したように俺の名前を呼ぶ。
「流石にお前と連れ添っている奴だけのことはある」
「……どうだか」
 素直ではないな、と言わんばかりの顔つきで今度こそ智代は檀下に足を運んだ。俺達もそれに習うようにしてそそくさと移動を始める。席に戻る途中幸村と目が合い、何かしら小言を言われるかとも思ったが、奴は一言、ふむ、と頷いただけだった。心なしか喜んでいるようにも見えた。
 椅子に戻り再びの静寂。
「え……えー、では気を取り直して、卒業生答辞――」
 司会が式を再開したが、隣のパッキンボーイは未だ上の空で話なんか聞いちゃいねえ。
 きっと自分に都合のいい様々な妄想に心馳せているのだろうと察し、気味が悪いので関わらないことに決めた。
「春原くん……カッコよかったです」
 渚が当人には聞こえない程度の声で耳打ちしてくる。
「……ちょっとだけな」
 妬みを少し織り交ぜつつも、俺自身不思議な充足を感じていた。

 式が終わったあと、渚と杏を交えて教室で雑談し、外に出てみれば時は既に夕刻。
「これからどうすんのよアンタたち。まさか、帰るなんて言わないわよね?」
 酔い潰してやるからね、と続きそうな笑顔で杏が尋ねる。
「適当に酒買ってって春原ん家で飲むつもりだ。委員長は呼ばなくていいのか?」
「あーあの子お酒はさっぱり駄目なのよねー。チューハイ一口飲んだだけで服脱ぎだしちゃうくらいなんだから」
 ……だったらなおさら呼び出そうと言いたいところだが、渚の視線が痛いので言葉を飲み込んだ。
 近くの酒屋に向かって四人で歩き出す。涼んだ風が肌に心地よい。きっと皆同じ気分なんだろう。言葉を発せずとも物足りなさを感じさせない空気が辺りを包んでいた。
「けどさ」
「ん?」
 唐突に杏が口を開いた。
「今回のことって朋也が発案者なんでしょ?自分からマイク奪いに行ったりもしてさ、なんて言うか、普段いがみあってばっかのようでもやっぱ友達なんだ~って感じよね」
「そうです。朋也くん、普段春原くんのこと悪く言ってるけど本当はお友達だと思ってるはずです」
「ほら見ろ!!二人ともこう言ってんじゃねーか!!いい加減僕との友情を認めろよな!!」
 はあ、と大きなため息がこぼれる。やれやれ。
「春原」
「んあ?」
「オマエとは絶対友達になれないからな」
 断言する。
「僕ぁ永遠にアンタのパシリなんすかねえ!!」
「どっちかっつーと下僕な」
「ちっくしょおおおおおおおおおおんんん!!!!!」
 情け無い喚き声をあげながら奴はどこかに走り去ってしまった。
「あ~あ、あんたが酷いこと言うからよ」
「しょうがねえだろ」
 だって――友達と親友って違うもんだからな。

「うっし、とっとと酒買って家に押しかけようぜ。どうせ家で布団被ってヒンヒン言ってるだろうからさ」
「そうね、アイツに遠出する根性があるとも思えないし」
 自分自身の言葉にどれほどの毒が仕込まれているかを知らないのが杏の恐ろしいところである。
「祝勝会……でいいんですよね」
 渚が嬉しそうに呟く。
「ま、そうなるな」
 勝利か。確かに、今感じている真夏の向日葵を眺めた時のような高揚感は決して敗者のものなんかではないと思う。
 嫌でも、今夜起こるだろう楽しい時間、そして笑いながら過ごすだろうこれから日々のことを考えてしまう。
 空はすでに宵闇に染まり始め、薄く白い月の姿を映している。
 それを見上げながら、俺達は休むことなく歩き続ける。
 楽しいことは――これから始まるはずだから――


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