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3分で読める!社労士コラム ~労使のバランス・オブ・パワー~第2回(前編)

新年あけましておめでとうございます。
本年もお読みいただき誠にありがとうございます。

今年は、政府と経済界あげての『賃上げキャンペーン』の1年になりそうです。いろいろやったけど、結局国民の大部分を占める勤め人の方々の消費が伸びないことにはどうしようもないということでしょうか。

ものの本によると、この賃上げキャンペーンもアベノミクスの流れのなかにあるそうで、経済学上では、きっとそれなりの理論があってのことなのでしょう(ケインズ的思想というものらしいです)。

わたしのような『就職氷河期世代』にとっては、政府が言うのはともかく、経済界までが賃上げキャンペーンに賛同する風景なんて想像もつきませんでした。高いお金を稼ぎたければ、大企業に行くか、成功するベンチャーに入ってものすごいスピードで出世するとかストックオプションで恩恵を受ける、あるいは何か特異な能力で成功する・・そんなことしか想像できませんでした。

過去にさかのぼれば、前例がないことでもありません。池田内閣の『所得倍増計画』というものがありました。昭和30~40年代のことです。

そのころは、労使関係でいえば今よりも労働組合の活動が活発で、労使関係に緊張感のあった時代です。極端な例だと、労働者が会社を自主操業するところまでいってしまった例もありました。

とはいえ、やはり労使の関係は使用者の方が強くて、定年までの雇用と引き換えに、強力な人事権の下で働くことが当たり前の時代でした。

今はどうでしょうか。

たとえば遠方への転勤。何の説明もなく、『来月から〇〇にいってもらうから』という内示だけで済まされそうになったとき、『人事権の濫用!』というネット記事にすぐたとりつくことができます。労働問題に詳しい専門家(実名顔出し)の記事です。私も専門家の端くれですが、権利濫用かどうか意識しないと、会社をやっていけない時代だと思います。

ここでちょっと考えてみたいのですが、一体、どちらが本来の労使関係といえるのでしょうか。つまり、雇用保障の裏返しとしての強力な人事権の下におかれる姿と、雇用保障はそのままだけど労働者の事情に配慮しながら恐る恐る人事権を行使する姿です。

前者は、いろいろと問題はあるけど、わかりやすいところはあったと思います。『宮仕えの苦労』なんて一言で済まされたりしました。後者は、過去の反省から徐々に作られてきた姿で、『労使対等』の原則に近づいた感がありますが、どうもしっくりこない気がしてなりません。

しっくりこない理由について、後編で書きたいと思います。

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